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はじめまして。木工家「じゅうべえ」と申します。1952年生まれ、64歳です。北海道江別市生まれ、18歳までここで暮らしました。浪人時代を東京葛飾区新小岩、大学時代とその後何年かを横浜です。現在は北海道帯広に住まいしています。大病はしていませんが、アトピーなど細々した問題もかかえています。木工のことと健康のことを織り交ぜながらあれこれ書いてみようと思います。お読みいただければ幸いです。家族は妻と犬一匹。妻は郵便配達のパート。犬は黒ラブ系の雑種、9歳。娘二人は独立しました。年に一度か二度帰省します。二人とも15歳で親元を離れ札幌の高校へ行きました。寂しいことやつらいことがあったことだろうなと、この頃不憫に思うことがあります。さて私のことを少しお話します。じつは私、22歳まで立身出世主義でした。金持ちになってやる、出世してやる、という分かりやすい未来を考える大学生でした。3年時を休学して半年間お金を貯め、半年間北米から中米を放浪しました。もう、40年以上も前のことになります。この放浪で私の人生は180度変わったのでした。がつがつ競争して勝って、それが何?競争して勝たなければ幸せになれないのか。幸福は金で買うものか?きっかけは中米のベリセという国での出来事です。この国は当時まだイギリス領で、公用語は英語です。周りの国がすべてスペイン語ですから、ちょっと不思議な感じがしました。国民の大半はアフリカ系です。他に少数のキリスト教原理主義派の白人がいました。ここのアフリカ系の人々は、肌の色がカナダやアメリカの黒人と違って、文字通り墨のような黒です。そして私は発見したのです。私の目には彼らはだれもが美男美女なのです。きれいな鼻筋、分厚くない唇、小さな顔、生き生きと大きな目、その上にアフロの髪、すらりとした姿。肥満体は見かけません。深紅のバラのように美しい。驚きました。本当に驚きました。これが熱帯の太陽に負けない美しさなんだ。私は自分の中の小さな世界で絶対だと決めつけていた価値がとても恥ずかしいものに思えました。それまで抱え込んでいたちっぽけな思い込みを、私は思い切り放り出しました。心から自由な自分を感じ、幸福でした。何ヶ月かして帰国した時、ものに溢れた羽田空港の様子は異様でした。ものが無い国になぜこんなに有り余るものがあるのか。日本は砂上の楼閣に見えました。私はこの国で決して富みや権力を追うまいと決めていました。大学を卒業して特にしたいことも分からないので、ある会社に就職して8ヶ月間勤めました。その後、家具やの丁稚をやったり、学習塾講師、山林労務者をやってから現在まで続く注文家具を作り始めたという訳です。富みや権力を追わないものは、現代社会ではいわゆる「落伍者」となります。そんなことは私にはどうでも良いことで、貧乏しながらも娘二人を育てられたことで充分私の人生は報われたと思うのです。望まれる限り今後も家具を作りたいと考えています。
テーマ: 敗戦国、日本の事。
テーマ: 健康なダイエット
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