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※最初にお断りですが。。。このプロフィールはすべてが笑い話しです(笑)。。。決してお涙頂戴の人生を歩んだわけじゃありませんので、『 夏山面白い人生やなぁ♪ 』ってな感じで読んでいただけたら嬉しいです♪それではどうぞ~♪◎ 1967年 九州は福岡県博多区にて建設業を営む夏山家に生を受ける。以降、父の泰輔の理想の息子を演じ、母の君子の期待を背負いながら、葛藤の人生を歩み始めることとなる(涙)。(保育園時代)自分から他の子供に仕掛けることはないが、自分のテリトリーを侵されると、暴力を行使する巨漢の幼児時代を送る(笑)。(小学生時代)・・・福岡市立大浜小学校小学校の各種行事に親が来ることはなく、『お前は川を流れていた捨て子だったのよ』という母と姉の遊び半分の言葉を間に受け、他人行儀な小学生時代を送る。追い打ちをかけるように、弟に対する母の溺愛ぶりを見ながら、本気で『僕は捨て子だなんだ・・・』と、遠慮がちな性格が形成される。その影響で、5年生の頃より、新聞配達をはじめ、以降中学を卒業するまで、ひたむきに自分の小遣いを自分で稼ぐ、傍から見ると立派な、しかし、本心は自己憐憫の小学時代を送る。父が『早く学校に行きなさい!!』と、せかかすので、学校に06:00に登校する用務員のお兄さん泣かせの習慣を身につけ、することがないことから仕方なく、ゴミ拾いを始めたら、担任の先生から、えらくほめられ、クラスの人気者の児童会長の嫉妬心に火が付き、彼も競うように早く登校するようになり、一緒にゴミ拾いをはじめ、その輪は全校生徒に広まり、朝早くから掃除をする児童だらけの学校になっってしまった(涙)。新聞各社が取材に訪れ、福岡県の最優秀児童賞まで、当時の亀井県知事より拝領する。新聞各社から、『なぜゴミを拾おうと思ったの?』と聞かれ、『学校があまりにも汚れていたから』と模範的なウソをつき、絶賛されたが、『親が家にいることを好まない』とは悲しすぎて言えなかった(涙)。(中学時代)・・・福岡市立博多第一中学校モテたくて、野球部に入部したものの、まったくモテず、ひたすら野球に打ち込んだ。家を忘れることができるので、自分の居場所を見つけた嬉しさがあった。相変わらず、新聞配達をしたのち登校という習慣は変わらず、学年で登校一番を続けていたことは、誰も知らない。ただ、ゴミは拾わず、野球の練習ができたことで、一応の、恰好はついた。学校の中心メンバーには属していて、級長や運動会の紅組団長など、リーダーシップを発揮するポジションにはなぜか選ばれていた。・・・が、本当はモテたかった(涙)。この時代よりお釈迦様の本を読みふけるようになる。(高校時代)・・・私立九州産業大学附属九州産業高等学校暗黒期である。勉強をまったくせず、野球ばかりやっていたので、偏差値が低く、親も弟は塾三昧をさせていたが、『おまえはいいから』と、塾通いもせず、結局、偏差値は低い(当時)が、甲子園を目指せる高校の硬式野球部に入部した。体罰が激しく(当時)、上下関係がとても厳しかったことから、入部時100人近くいた新入生は、日を追うごとに激減し、卒業する時には14名になっていた。私も何度も辞めることを考えたが、家に帰るよりはマジと思い、根性を振り絞り残留した。2年時、『お前はマネージャー』と、死刑宣告とも言える通達を受け、絶望するが、家に帰ることだけは嫌だったので踏みとどまる。3年時、生徒会副会長に当選し、半分の青春を生徒会活動に傾ける。甲子園予選の結果は1回戦敗退。親も参加した慰労パーティーで、監督より『すまなかった』と不意打ちの労わりを受け、号泣した。めずらしく参加した母も号泣した。高校時代は野球120%の時代だった。(大学時代)・・・私立九州産業大学経営学部産業経営学科。家から近くの大学に行きながら、家の仕事を手伝えと父より厳命され、九州産業大学を選ぶ。卒業単位を2年で全部とれる(当時)ことから、産業経営学科を選択する。結果、2年で卒業単位のすべてを取得する。家に帰ると仕事をさせられるので、死に物狂いで、学校に行くことを選択した結果だ。父の命により、就職は許されず、結局は家業を継ぐための繋ぎの場であったのが大学である(涙)。ここでも、少しの反抗心から、部活に入ることを選び、体育会ゴルフ部に入部。父から野球をすることは仕事を手伝わない理由として認められず、『ゴルフは社会人になって必要だから』という理由で承諾をもらった。入部してみると、全国ランキング8位(当時)の部で、入部理由が、『社会人になったら必要だから』という私以外は、本気でこの部を目指して入学しましたという人間ばかりで、先輩から『なめてるの?!』とマジ怒りされたのを鮮明に覚えている(涙)。体格には恵まれていたことから、平均300ヤードを超えるドライバーショットを打てるようにはなったが、細かいスコアメイクが苦手で、結局レギュラーにはなれず。やはり本気度の違いが結果には影響する(汗)。結局、3年時より、九州学生ゴルフ連盟の渉外局長(プロゴルフツアーのバイト生斡旋など)をすることになり、そちらの方に力を入れる。その活動の最中、当時、貴公子と呼ばれた有名プロゴルファーの牧野裕選手と知り合い、帯同キャディ(専属)をすることになる。そこで、プロの世界で勝つ人と勝てない人の違いを学ぶ。良い経験をさせてくれた牧野選手に感謝である。そうこうしながら、時は流れ、卒業を迎えるが、どうしても家を継ぎたくない私は、父の会社の元受ゼネコンの工事部長に懇願し、その会社から父を説得してもらうよう画策し、結果成功する。晴れてサラリーマンだ。(新社会人時代)・・・株式会社前島建設九州支店経営学部卒業で、工事部に配属になったので、専門的なスキルではまったく役に立たず、ひたすら、会社と職人さんの潤滑油に徹する。24時間働いていたような気がするが、充実していて楽しかった。入社2年目に『あなたのお嫁さんが決まった』と言われ、当時、お付き合いしていた女性と別れさせられ、お見合いをして3か月後に結婚した。自分の人生がいたたまれなくて号泣した。妻も、同じような境遇で、可哀そうだった。私の人生は親を満足させるためにあると自分の人生を呪った(涙)。その1年後、支店長より『夏山君辞めるの?』という電話が現場事務所にかかり、父が辞表を提出したことを知り、会社を退社することになる。仕事が楽しくなり始めた矢先である。(家業継承時代)・・・株式会社新栄組建設業で言うところの鳶・土工会社が、私の実家である。職人さんが社員さんで、一般常識は通用しない。結果と迫力がモノを言う業界であった。専務として入社し、『ボンボンに何ができるの?』と舐められ、しかも、父の強引な取引スタイルに怒りを覚えたゼネコン監督のいじめにあい、ここでも自分の人生を呪った(涙)。父は権力を持っていたことから、誰も文句を言えない下請け会社が元受会社を指図するイビツな状況だったのである。子供も生まれ、ドラマ『おしん』を地で行く生活を送るが、負けん気の強さが幸いして内外ともに友人が多数できる。『人は一人では何もできない』という信条を持った時期である。(独立時代~現在)・・・株式会社ロフティー・ジャパン漠然とではあるが、『30歳になったら自分で何かしなきゃ!!』と思っていた。結果、30歳時にIT企業のロフティー・ジャパンを創業する。1997年のことである。今にして思えば、このまま、親の言いなりで人生を終えていくのが嫌になったピーク時だったと思う。『苦しんでも自分が納得する人生を生きたい』と真剣に考えた時期だった。たまたま知り合ったのがITの技術者だったことからIT事業を始めた。父は烈火のごとく怒ると思いきや、私が号泣しながら、『あなたが胸を張れる息子になりたい』という私の姿勢を見て、『勝手にしろ』と言ってくれた。生まれて初めて父のレールから外れた瞬間であった。その後、『人の役に立て』、『人に迷惑をかけるな』という父の訓示を実現するべく、ITに何ができるか?を真剣に考え、今まで知り合った数多くの経営者の悩みを解決するシステム『ぽっぽメール』を開発。35歳のときに、当時NTTドコモの代表会長だったドコモ創業者の大星公二氏より、そのシステムを絶賛されつつ、『メール配信システムと混同されるよ』と引導を渡されるも、『10年後にはこのシステムの時代が来るよ』と希望とも絶望ともとれる訓示を受け、ひたすら、既存客ストックの大切さを世に説いて回る活動にまい進する。2001年のことである。その過程において、多くの会社員や店舗スタッフさんの思考停止状態を経験し、未来の日本社会を憂うようになる。結果、2010年度より、実践にこだわるカジュアルなビジネススクール『LBT -Lofty Business Training-』を開講。その過程において、夏山家の家系図が見つかる。韓国にてドラマにもなった『善徳女王』の末裔が自分であること知り、震える。それ以降、頼まれてもないのに勝手に人々の幸福を祈りながら、今に至る(笑)。(人生を通じて思うこと)40年以上生きてきて、様々な人に出会いました。その中でもがきながら、『ハッピーでいたい』と幸福を追求してきた結果、今の私が存在します。皆さんがビックリするような大経営者や有名人とも縁あってマンガのような交流を持たせていただき、多数、学ばせていただきました。また、幸せを希求する上で様々なライセンス(心理学・催眠などなど)も取得しました。そのすべてを最短で皆さんに提供するために私は生きています。それが私のハッピーであることも自覚しています。美辞麗句や飾られた理論の中に真実はありません。実のところ真実は難しいものではありません。『常識から逸脱してみる』。ここに皆さんをハッピーにする道があります。『人に迷惑をかけない』・・・この一点を除いて、皆さんは自由です。多くの皆さんのハッピーに貢献できたら夏山は生を終えます。皆さんとの出会いを楽しみにしながら・・・そして何よりも皆さんのハッピーを祈念しながら・・・合掌♪あっ!今は、親とも仲良く、家族円満で最高のハッピーを感じながら生きています(笑)。かなり端折りましたが、興味がある方は気軽に声かけてください♪、いっぱいお教えしたいことがあります(笑)。
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アラフィフ
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