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池田 モノリスiMonolith男性 四捨五入で、およそ100歳(50歳あたりで切り上げ)左の耳の穴から入って右の耳を抜け出るまでの… そのトチューの景色を、自分の言葉と絵と写真と、 あと…少し♪もくっつけて 描くことができたら気持いいぞ!と思って始めた絵日記です。 実話率は、ほぼ83%基準ですが、 スプーン一杯ほどフィクションもぱらぱら。 何かのアクシデントで、 このネットの果ての怪しい日記へ ツイラクしていただいた方へ…。 ブログ全体のタイトルはMellow Blue~ ウチューのトチュー現在第1章スカスカでおセンチな三日月を連載中。禁断の実写?やイラスト、恥ずかしい過去と未来、 リアルな老衰ビンボー自慢とか、バラ色の妄想なんかも程よく入り交じって、甘くモーローとした匂い。 公開しても、後悔しない!ほぼノンフィクション。あ、まだ自己紹介は全然、始まっていませんから では、基本スタンスを少しだけ。 僕がころころ消しゴムになって 世界のはしっこまで、ごしごし消していくとね 自分の背中にぶつかって、びっくり。 宇宙はとっても広いけれど 僕でいっぱいになるくらい、ちっちゃいから。 月夜の天井を見上げていたら 僕は空の消しカスになって 星の渦巻きにぐるぐる飲み込まれそう。 でも、へっちゃら。 僕はすごく小さいけれど 銀河より少しだけ広いよ。 世界の果てを想うことができるから。 セカイという まるで本当みたいな夢の中には いろいろなドアや窓があって 頭の芯がビリビリして 体も蒸発してしまう まるで真夏の午後のような時間に 出くわすこともあります。 探しものは… 春がすう~っと 自分の脇の下を通り過ぎる冬の午後や プールの底から水面にビュン! と浮かび上がった 中学校の夏休みの匂いとか、のスキマに 本当はずっと前から隠れているにちがいない スッピンの宇宙です。 と、深そうに見せかけても、実は… さらさらタイプの、思い出ぽろぽろ日記なので、 おおらかな思いやりの気持で、読んでいただければ。 大雑把に言うとロックと宇宙への、僕の「片想い」日記です。 笠置シズコ、ジョニー・エンジェル・・ ベンチャーズ・ビートルズ・PPMから 70年の大学闘争、ジャンジャン、グラムロック、 ヤマハのポプコン、日払い肉体労働、 80年代のブリティッシュロック 更にバブル期の音楽&コピーライター、 果てはアブナイ写真雑誌編集長・・ という個人的なささやかな体験を通して しつこく「すっぴんの宇宙」を探し続ける 少年・青年・そして中高年、 実はもうすぐ老年の、池田モノリスの 夢と挫折と、たぶん再生の自己陶酔物語! になっていくはずですが…。 さて、まずは「リアル・プロフィール」を ・・・・あ、ここから、ぼちぼち(汗)自己紹介が始まるのですが(殴)・・・・ダイジェストで。 でも、はっきり言って長いですから。ここから実測で4メートルほど下に掘り続けていきます。 コーヒー一杯分のあなたの宇宙が 迷子になるかもしれません。 無事にお返しできるかどうか・・ ♪答えは、友よ、風に舞っているのだよ。 Part 1 ( 0歳~20歳位まで )「団塊」の世代なんて いつの間に勝手に決められたのでしょうか? 生まれは戦後3年目の1948年(昭和23年)。 いわゆる「団塊」の世代…この「団塊」という言葉は、 あまりにも息苦しい表現だと思います。 言葉の響きに解放感や疾走感が 感じられなくて、未だに全然共感できません。 というか、嫌いです。 かたまって生まれた覚えはないし。 「直立思考の世代」とか 「SPレコードと街頭テレビの時代から i-PodとYouTube の時代までをリアルタイムで 体験してしまった知覚の大冒険世代」とか、 そんなイメージの呼び名に変更してほしいのですが ま、いいです…の、ちょうど真ん中。 生まれは九州の福岡ですが、ほとんど記憶なし。 小学校2年生の時に長崎の城山小学校から 兵庫県の西宮市に蒸気機関車でふうふう引っ越して来て、 西宮市立瓦木(かわらぎ)小学校 西宮市立瓦木中学校 兵庫県立西宮高校 を順調にクリア、18歳までは関西暮らし。 ビートルズ来日は高校3年生の夏でした。 来日記念LPに付いていたハガキを出したら ビートルズの武道館公演チケットが当たりました。 でも・・・(涙) 本当の出身地は多分、福岡県なのでしょうが、 実感としては兵庫県・西宮市が心の故郷。 出身地の欄にははこちらを表記しています。 身長・体重(あと、心の成熟度も)共に 高校卒業以来40年間全く変わっていません。 約180cm・62kg(気持ち座高過多が、難)。 スリムと言うよりは「貧相」というのが 的確な表現かと。(偲び泣き) Part 2 ( 20歳~30歳位まで )大学・デザイン学校・バンド…そして労働一年浪人した後、上京(切なくて好きな響き)して 1968年(昭和43年)早稲田大学・法学部に入学。 当時は大学紛争のピークの頃。 入学の翌年から2年くらい「ロックアウト」で 授業は全くナシ!・・ 最初の1年間は大学側が強行。 次の1年間は、自主的というか、個人的に? ロックアウトしたような気もしますが。 60年代終末、荒廃のTOKIO・WASEDA City 受験戦争で青春が壊滅したこの街に 不意に出現した「永遠の夏休み」 それは、 僕たちの世代だけに舞い降りた奇跡妖しい蜃気楼に幻惑された僕を待つ運命は?最初は画家になろうと思い 入学と同時に夜間のデザイン学校に通うなど 真面目にあれこれもがいていました。 しかし、手塚治虫氏が理事長を務めていた このデザイン学校が、わずか半年で倒産・廃校! これを口実に デビッド・ボウイやマーク・ボランなど ブリティッシュ・ロックへと方向転換。 たちまち「あたまの中がクラクラ・びりびりする」音の 中毒になり、ロックの彼方を目指して 4年生位から突然バンド活動を始めました。 (遅過ぎっ!!) その頃はソロで「池田とも」か バンドで「トモ&メローフルーツ」の名前で 学園祭とか、ヤマハのポプコンとか ライヴハウスとか。 真夜中の銀座の舗道でマイクスタンドを乗っけた ギターアンプをゴロゴロ押しながら 一瞬、ロック・スターを夢見ました。 青春をこじらせ、長引かせてしまいました。 (鼻水&ほろ苦涙) 卒業の時期になってもそのままズルズルと (鼻水のダジャレです…)就職もせず、 ワケの分からないライブのLPなどにも どさくさに参加しましたが 音楽で生活などできるわけもなく…。 更に卒業前に一年、自主的に?留年して 1973年(昭和48年)何とか卒業。 その後もしばらくは コンサートのスタッフとか クラブ・キャバレーのエイギョー・バンドとか 音楽関連周辺で、イジイジの境地を極めました。 (当時はまだカラオケが普及前で ほとんどの店に生バンドが入っていて 結構「仕事!」がありました) しかし、生活に疲れ夢も破れて(号泣) 徐々に、お約束の青春ツアー人気コース 日払い肉体労働他のフリーター生活を?年。 Part 3 ( 30歳~40歳位まで )フリーライター&編集長&コピーライター そして、ある日突然、バイト先の昼休みに (あの有名な大日本印刷の工場で) 朝日新聞の求人広告欄を見て レコードギョーカイ誌記者に。(まだCDなんて世の中に存在しませんでした) ただ居場所を変えただけで 汗と埃と軍手の毎日から、次の日は 赤坂&六本木のホテルのレセプション・ルーム。当時来日したロック・スター・・ デビッド・ボウイやデュラン・デュランに 僅か数十センチの距離で普通に会えた (じゃなくて、見れた!) 80年代東京の文化&経済空間システム。 人生の仕組みは予想以上にヘンでした。 カジャ・グーグーのリマール君なんて 東芝EMIのトイレでばったり出くわしたり! (予想通り?プロモーション・ビデオのイメージより ずっと小柄で、うんと無精ヒゲが濃かったです) 1年ほどやって当然!宿命のフリーライターに。 その後は雑誌編集、コピーライター、 どさくさに紛れてイラストレーターと、業界を放浪。 この頃は徹夜の連続で毎晩ひたすら 最先端IT機器のワープロ東芝ルポに向かっていました。 (パソコンやインターネットはまだまだ普及前。 ワープロを無駄に3台も買い換たり) フリーライターとしては この頃は「池田かめ」のペンネームで テレビガイド&関連雑誌などで ビデオ関連の記事を良く書いていました。 コピーライター分野では バブル期で、リクルート関連のパンフなどの 仕事があふれるように。 CITI BANKの求人広告コピーでヒンシュクをかったり、 間違ってSONYビルのイメージ企画とかやったり、 たまにファッション広告の1行コピーもありましたが 人生、楽あれば更に楽アレッ?…です。 あと、内緒ですが 新宿歌舞伎町に編集部のあった 某マイナー写真雑誌で廃刊前の 最後の編集長もやりました。 あ、この箇所は削除しておいてください。Part 4 ( 45歳~60歳位まで )ネットは…人類が、直立歩行、ことばの次に手に入れた永遠への扉だ・・と確信する日々 そしてバブルがはじけて、仕事も激減し 何だかちょっと疲れちゃったので あと自分の老朽化も進んだり、ま、いろいろあって 今度は突然、零細企業経営に方向転換し現在に・・・。 コピーライター業は まだ適度に?続けています。 部屋には現在8台ほどWinやMacや「ZO-3」や LPレコードや、ついでに業務用コピー機も 無意味に並んでいて、 DVD-Rの山の隙間で元気に寝起きする毎日。Part 5 ( 60歳~100歳位まで )冥土喫茶の土産にマイ・フェイバリッツ詰め合わせを ~~凄いと思うもの~~ <<>> ■「2001年宇宙の旅」:HALがだんだん壊れるところ 最後の白い部屋に唐突に浮かぶ黒い「モノリス」 ■「裸のランチ」:人間世界を超えたエンディング ■「異人たちとの夏」: 鶴太郎が不意に登場する場面 ■「ザ・フライ」:「人間の夢を見ていた」の台詞 <<>> ■「昔の!」デビッド・ボウイ、マーク・ボラン シド・バレット、ケイト・ブッシュ <<>> ■エッシャー、マグリット、林静一、吾妻ひでお ■ウィリアム・ブレイク、稲垣足穂、藤原新也 ■アルチュール・ランボー、つげ義春「無能の人」 ■ヱヴァンゲリヲンの美しい「使徒」たち ~~素敵だ!と思うもの~~ ■「太陽がいっぱい」「冒険者たち」の海と風の色 ■「ロッキー・ホラー・ショー」 Don't dream it. Be it. のメロディと歌詞 ■レッド・ツェッペリン、ジミ・ヘン、の 轟音ノイズが切ない魂のギター ■昔のキース・リチャーズの、彼方を見るまなざし ■ブラック・ストーンズの中島美嘉 ■ジェーン・バーキンのヘアスタイル ~~ホッ!と心が安らぐもの~~ ■「時をかける少女」: 最後のカーテン・コール ■「千と千尋の神隠し」: 皆で海の上を電車で走るところ 坊が電車の中で一人で勝手に遊んでいるところ 窓の外を流れる青く透明で悲しい風景 ■「飛んでろ、じいちゃん」; 半透明の妖しい過去 ■「ファントム・オブ・パラダイス」: 地下室で魂を削るファンタスティックな作曲風景 ■「岩井俊二のラブレター」: 図書館のカーテンを揺らす春風 ■大槻ケンヂ:ボヨヨンロック、お世話になりました ■ドノバン:ラレーニャの繊細過ぎるビブラート ■リンジー・ディ・ポール「シュガー・ミー」他 ■瓦木小学校・中学校の思い出に浸る時間 ■あと、ヘレン・シャピロ、レスリー・ゴーアや トロッグズ、ゾンビーズ、パフュームとか あのあたりの音楽 Part 6 ( 100歳~来世位まで )カラオケで必ず歌う曲 ◎:結構「本物」っぽいと密かな自信 〇:まぁまぁ上手く歌えるかも △:う~ん、普通かな x:かなり下手っぽい -------------------------------------------- ◎「テレグラム・サム」T.Rex x「スターマン」D.ボウイ 〇「ウィズアウト・ユー」ニルソン ◎「メロー・イェロー」ドノヴァン 〇「ブルー・スエード・シューズ」プレスリー 〇「時の過ぎゆくままに」沢田研二 △「ノー・ノー・ボーイ」スパイダーズ △「ジョニー・エンジェル」シェリー・フェブレー △「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」ストーンズ x「砂に消えた涙」弘田三枝子 x「頬にかかる涙」ボビー・ソロ エンディング x「ミスター・ロンリー」ボビー・ヴィントン △「ラブ・イズ・オーバー」欧陽菲菲 …お、まさか プロフィールが終わったかもしれないぞおっ! 事故紹介か。あ、寝ると死んじゃうってば。
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