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フラクタル心理学講師・カウンセラー★講座の日程・カウンセリングはホームページをご覧ください。https://www.fractals-everywhere.com/******「親を許す」のではない心理学は、私の人生を変えました。大阪府守口市在住。主人と小学生の長女との3人家族です。25歳で結婚、30歳から主人の海外駐在について、上海、ホーチミン、ハノイ、シンガポールを転々とし、12年間日本を離れて住んでいました。海外駐在以降はずっと専業主婦でした。それが、フラクタル心理学を学んだことで、気が付いたら自営業ということに(カウンセラー業と、家業の一部を引き継ぐことが決まったため)。人生って面白いです。思い返せば、結婚は早かった私ですが、実は子どもはなかなかできませんでした。最初の駐在先の上海では、婦人科系の病気にかかり、手術が嫌だった私はあらゆる方法で回避しようとしました。その過程でスピリチュアルの世界に出会いました。なんとなく私は、婦人科系の病気になったのも、なかなか子どもができないのも、母に対するわだかまりが原因じゃないかと感じていました。母は私が小学3年生の頃、父と私と妹を残し、突然姿を消しました。それからしばらくは父子家庭だったのですが、その2年後、両親の離婚が成立し、私と妹は母に引き取られることになりました。私は、これからはてっきり母と妹と3人で暮らすものだと思っていたのですが、いざ家についてみると、いきなり知らないおじさんがいてビックリしました。その人は母の再婚相手でした。私たちの育ての父です。この育ての父は、母より20歳ほど年上で、いかにも昭和の父といった風情。ただただ優しかった生みの父親とは正反対で、それはもう厳しかったのですが、私は真剣に叱ってくれるこの育ての父がむしろ好きでした(注:これはフラクタル心理学で読み解けば当然です)。でも、母に対しては、恨みの気持ちが消化しきれず、大人になってもずっと残ったままだったのです。このトラウマを解消しないと私の人生はうまくいかない、そう思った私は、さまざまなスピリチュアルの世界を模索するようになりました。それはとても充実して、楽しい日々でした。自分を癒すことを徹底して実践した甲斐あってか、婦人科系の病気があったにもかかわらず、次の赴任先のホーチミンで私は愛娘を授かりました。すっかりスピリチュアルにはまっていた私は、出産ももちろん自然分娩と決めており、日本に帰国し、病院ではなく助産院で娘を出産しました。それはとても理想的で、神秘的で、幸せな出産でした。生まれてきた娘はそれはもうかわいく、私はそんな娘に癒されつつも、思ったほど世話をしてくれない母に対してはイライラを募らせていました。そして娘が生後4カ月になったころ、主人の次の赴任先、ハノイに娘を連れて渡航しました。早く母の元から去りたい、その一心でした。その時の私は、母の世話になりながら子育てをすることが精神的にもう限界だったのです。ハノイという、言葉も通じない、物資も少ない海外での初めての子育ては、ストレスはありましたが、そんな中、無我夢中で子どもを育てた日々は、否が応でも私を鍛え、母親として成長させました。ずっと自分を第一に優先してきた「お子ちゃま」だった私が、やっと自分を二の次にすることを覚え、大人になれたのです。あんなに頑張ったのは後にも先にもないと思いますし、そういう経験こそが、人生の土台となるのだと思います。そうして身も心も母親になり、娘を育てることで自分も癒され、それにつれて母への恨みがだいぶ解消してきたように思っていました。でも、ずっとどこか空虚で満たされない思いがあったのです。それはやはり、「母を許せない」と思う自分がまだ置いてけぼりの状態になっていたからです。このままだと、いずれ私の娘も大きくなったら私のことを憎むようになるんじゃないか、という漠然とした不安が時々私を襲いました。それだけは絶対嫌だ!!母を許さなくては!でも、「許さなくては!」と思えば思うほど、「やっぱり無理・・・」と落ち込んだり。そうやって自分の感情を押し殺してきたせいなのでしょうか、私は、何年も原因不明の湿疹に悩まされるようになっていました。やがて日本に帰国した私は、スピリチュアルを渡り歩いていた頃に出会った、瞑想の先生のメルマガで、フラクタル心理学のことを知ったのです。そこには、「親を許そう、そして癒す」のではない心理学と書いてありました。「え、許さなくていい?!」その言葉にピンときた私は、その直感に素直に従い、フラクタル心理学マスターコースの入門を受けることを決めました。私の直感は正しかったのです。母へのわだかまりは、氷のように溶けてなくなり、それに呼応するかのように、湿疹も治っていきました。それだけではなく、私は、前進するエネルギーを取り戻しました。それまでの私は、何かが足りない、そんな気がしていました。海外駐在中は毎日が刺激的で楽しかったし、慣れない環境で子育てにチャレンジしていることで気が紛れていたのですが、ふとした瞬間に、この子が大きくなって独立していった後、私はどうなるんだろう、と不安に駆られる時がありました。私は娘が巣立っていった後のことを考えるのがどこか恐ろしく、想像できずにいたのです。主人は優しくて働き者だし、かわいい娘はスクスク育っている。こんなに幸せな私が、「満たされない」なんて思うことは許されない、と感じていたのです。この満たされない思いも、やはり「母への恨み」が解消されたことで見事になくなっていきました。やはり全てのうまくいかない「不具合」は、この「母への恨み」から生じていたのです。さらにその後、学びを進めた私は、フラクタル心理カウンセラーになりました。入門を受ける前には考えもしなかったことです。フラクタル心理学を知った後の世界には、自分で自分の人生を創っていく喜び、面白さがありました。かつてはそれなりに幸せで、「自分を変えたい」と強く思っていたわけではない私。それが、フラクタル心理学を知ったことで、自由自在に創造していける人生に変わったのです。この素晴らしい世界を、かつての私のように親子関係で悩んでいる人に知ってもらいたいと思います。
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テーマ: フラクタル心理学
自己啓発・カウンセリング
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