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我妻美香NARDアロマテラピー協会認定校アロマルーム癒香~yu‐ca~ 代表【資格】NARDアロマテラピー協会認定 アロマ・インストラクターNARDアロマテラピー協会認定 アロマ・アドバイザーNARDアロマテラピー協会認定 アロマベイシック講師アロマフレグランスストーン協会 認定講師潜在意識アロマ®セラピスト魅力心理学協会 魅力心理学プロセラピスト数秘&カラー認定 ヴィジョニング・ファシリテーター詳しいプロフィールはここから**************************私は埼玉県に生まれました。7つ上の兄と3つ上の兄がいる末っ子。実家は電気屋です。父は電気屋のほかにも、地域の子供会活動、商店会等で顔が広く、ちょっとした有名人。民謡をやっていた父は歌が上手で、カラオケ教室をやったりイベントで歌ったりすることもありました。父の影響か、私も幼稚園のお遊戯会ではセンターで踊ったり、中学では、友達の前で歌を歌うこともよくあり、当時の夢は歌手になること。しかし、家族に相談しても『そんな夢のようなこと、無理、無理』と軽くあしらわれ、私もそれ以上に夢を追うことはしませんでした。電気屋の娘だったので私は知らない人でも相手は私の事を知っているというとことがよくあり母からも、外では失礼のないようにと言われていました。忙しい母に迷惑をかけたくなかったので、あまり派手なことはしないように、いつも笑顔で聞き分けの良い真面目な子でいるようになりました。高校も無難に県立高校に入りごく普通にまじめに過ごした三年間。母の勧めで短大へ進学。そこではみんな輝いて見えて自分がなんだかみじめに感じ自分から声をかけたりすることも気が引けて。なかなか気の合う友達もできずに行くのがおっくになり、地元でバイトばかりしていました。短大卒業後は金融関係の会社に勤めました。他支店から異動してきた今の主人に出合い付き合い始めたのがこのころです。2年目の冬に異動があり本社勤務になりました。ここでの人間関係になじめず退職を考え医療事務を学ぶことに決めて退職をしました。医療事務資格取得後は講座を受講した会社に登録しそこから病院へ派遣という形で仕事をするようになりました。25歳で結婚しましたが子供ができるまではと、仕事は続けていました。その後、介護施設での事務として働き始めたころ流産を経験。しばらく放心状態が続きました。血液検査で甲状腺の病気が流産の原因と分かり、治療をへて30歳の時長女を出産することができました。うれしかったのと同時に安心したのを覚えています。一年後、下の娘の妊娠中に父親の癌がわかり、娘を出産した翌月に父は亡くなりました。癌とわかってからの進行が早く亡くなるまで半年とあっという間でした。振り返ると、自分のやりたいことや楽しいことをして周りの人も楽しませていたとっても自由人だった父。私に出来ることはそんな父を支える母に迷惑をかけないようにすることだと思っていました。何かを決める時も母の意見を聞き反対されることはあきらめていました。あきらめる癖がついてしまい無理そうなことは希望しなくなっていました。二人目を出産後も保育園に預けながら仕事は続けていました。平日は家と保育園、会社の往復で一日が終わり、休日も買い物しに外出するくらい。あわただしい毎日を送っていました。介護施設の事務から支店へ異動。そのころから、手指や足の痛みが出始めました。また違う病気の診断を受ける覚悟がなく受診をためらっていましたが痛みはどんどんひどくなる一方でした。40歳の時に覚悟を決めて受診しリウマチとの診断を受けました。なんで私がリウマチにならなくちゃいけないの?と誰にもぶつけられない怒りを自分に向けていました。今までの病気と違い薬を飲み続けなければいけないということに抵抗を感じ暗い闇の中に入ってしまったような気持ちで過ごす毎日。それでも処方された薬を飲み整体に通うことでずいぶん痛みは緩和されていきました。2015年頃、会社内での一部の人の言動や立ち振る舞いに影響を受けてしまい、自分に向けられたことではないのに気持ち的にとってもしんどくなり、会社に行くのが嫌になっていました。なんとか気持ちを立て直したいと思いいろいろな本を読みアドラー心理学の本に出合います。本を読む中で人を変えることはとても労力がいること、ならば自分を変えた方が楽なんだということに気づきました。自分を癒すためのものを探しているうちにアロマテラピーに興味を持ちNARDアロマテラピー協会の認定校に通いました。アロマの勉強が楽しくて香りに癒されているうちに、どうしたら自分が楽に過ごせるかを具体的に考えるようになりました。上司に素直に自分の思いを伝え相談できたことで会社でのストレスも軽減することができました。アロマの学びから人付き合いも変わっていきます。同じ学びをする方やそこからつながるたくさんの人との出会いで、まだまだ知らないことがたくさんあって、好きなことを仕事にしている人がたくさんいることにびっくりしました。狭い世界で影響を受けて悩んでいたことが、とっても小さいことのように思えたのです。私もアロマを伝える仕事がしたいと思うようになってきました。そんな時ある講習会で出会った方から堀向勇希さんの事を知ります。教えてもらったブログでピンクのジャケットに金髪姿で微笑んでいる堀向さんを見たときこの人に絶対に会いたいと強く感じました。堀向さんの開運未来流の講座に参加し、常に笑顔でいる堀向さんの人を惹きつける魅力とそこに集まる人たちのエネルギーを強く感じ自分が心地よいと感じる人に会ってワクワク楽しい気持ちになれることが私にとって必要であり自分へのご褒美でした。講座のひとつ、開運未来流姓名判断では名前の画数からわかる自分の使命が素晴らしいということを知りました。自分に少しだけ自信が持てるようになり私にできることは何だろう?と自分の存在意義を考えるようになります。開運未来流の姓名判断、手相、人相ほかにも数秘などその人が持つ使命を知ることと心理学や潜在意識をうまくとりいれることで自分の気持ちが楽になり豊かになることを感じ始めていました。この感じをほかの人にも伝えたいと思いました。その後、潜在意識アロマ®を知り説明会でセッションをしてもらった時に「会社を辞めてアロマを伝えることをしたい」というビジョンがみえ始め、2017年2月、上司に退職の意向を伝えましたが後任がなかなか見つからない状況が続きました。現状と気持ちのギャップのせいか、このころリウマチの症状が悪化していました。痛みやストレスを軽減できればとアロマをいろいろ試しましたがあまり症状は良くならずアロマの恩師に状況を伝えた時、「しばらくアロマを抜いてみては?」という恩師の言葉にハッとしました。アロマだって量が過ぎれば毒になり解毒するために臓器が働いていること。自分の体を信じて一度リセットすることも大事だということ。アロマを過信していた自分に気づき、目の前の霧が晴れたような気持ちでした。せっかく勉強したアロマを無駄にはしたくない。今のこの経験も生かせるのではないかと感じました。私がアロマを伝えることとして選んだのが、勉強したNARDの認定校になることでした。後任者との引継ぎが始まりそのころから不思議と体調も戻り始めココロと体はつながっているのだなと実感しました。そして20年務めた会社を退職、2018年2月1日にアロマルーム癒香をオープンし、認定校としての登録もすることができました。一年前に見たビジョンが現実となったのです。これはアロマに出会う前の私には想像もつかないことです。私はずっと、人を怒らせたり悲しませたりすることにすごく罪悪感がありだからこそ自分が我慢したりあきらめたりすることもありました。自分に自信がないせいで人に合わせることが多く、そのストレスが体の不調という形で表れていた気がします。以前の私は、体からのサインを見逃していてなんとなく重だるく過ごしていました。悪くなることを恐れながらも現状維持で満足し、良くなることや望みをあきらめていました。ココロと体はつながっています。今は、生活のなかにアロマがありどうしたら自分を癒せるのかもわかったことで、とてもココロが豊かになりました。自分が豊かな気持ちでいれば自然と笑顔になり、周りの人も同じエネルギーでどんどん豊かになります。今では自分のやりたい事、夢、会いたい人に素直な気持ちで向かっていくことができています。小さいころに感じていた「私が何かをすることで人が喜んでくれることがうれしい」これこそが私の本当の望みなのです。今の自分で本当に満足していますか?変化するとか行動することを恐れて、望みをあきらめて何もせず今のままでいるのは楽かもしれません。でもこれから先もずっとこのままで幸せ、と心から思えないのであればあきらめないでほしいのです。きっと抑えてきた、あきらめてきた思いがココロのどこかにあるはずです。自分の使命を知ることでココロ豊かになり、アロマと心理学でココロをふんわり楽にして、自分のなかに持っているビジョンに気づきそれを創造するお手伝いが出来たらうれしいです。
テーマ: 日々のこと
テーマ: アロマルーム癒香
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