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【遺言】どもり・吃音克服で逆転人生@ほりひろ
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【遺言】どもり・吃音克服で逆転人生@ほりひろ
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貴重なお時間、訪問して頂き、
本当にありがとうございます!
【遺言】どもり・吃音克服で逆転人生@ほりひろと申します。
「どもり・吃音」で人と会うのも電話を取るのも憂鬱だったのに
2つのステップで克服し人生を逆転させた方法のすべて
というブログをやっています。
そもそも、なぜこのようなテーマで
ブログを書いているのか?
そのことを紹介させてください。
長文なうえに、面白くもなく、
ためになる話でもないので
興味のない方は冷やかしでもいいので
ブログだけでも見ていってください^^→ 「ブログはこちら」
「どもりの達人」
私は今でこそ、そんなにどもらなくなりましたが
昔は本当に酷いものでした。
小中高の学生時代にも「どもり」自体は
あったのにはあったのですが...
それ以上に他の生活での悩みが大き過ぎて
そこまで深刻には悩んでいませんでした。
他の生活での大き過ぎる悩みは→「こちら」
「どもる」ということを深刻に悩むようになり
次々と悪い結果になっていく
「負」のスパイラルに陥った、
その一番最初のキッカケとなった頃のお話しをします。
私は高校を卒業してから
「MS(エムエス)」という病院まわりの
薬の営業の仕事に就きました。
おもに
クリニックや診療所などの開業医に
自社で扱ってる薬を処方してもらえるように紹介し、
注文があった薬を持って行く仕事でした。
入社した最初の頃は、
知識がないなりにも
「前向き」に紹介したり
会話をしたりしていました。
しかし、
私が訪問すると
露骨に機嫌が悪くなる先生も
少なくありませんでした。
私の担当の得意先の大半が、
課長から引き継ぎされたところでしたので、
「課長から高卒の若造に変えた。」
「お前の会社はワシを舐めてる。」
ストレートに言ってくる時、
遠回しに言われる時など...様々でした。
こうなってくると、今までは気にしていなかった
低学歴ということが凄く負い目に感じるようになり
偏差値40もない工業高校のしかも「機械科」の
自分が医者に何を話せばいいんだ。
と、得意先に行くのが辛くなってきました。
得意先に着いても
なかなか車から降りることが出来なくなり、
「ヨシ!行くぞ!」と
決心し中に入り、
いつものように
「おはようございます!」
と挨拶しようと思ってるのに
(思うとかじゃなく普通に挨拶しようとしたらですね。)
「おはようございます!」
の最初の「お」が出ない・・・。
自分でも
どうなってるのか理解できないくらい焦り、
どうしていいか分からなくなり、
気が付けば外に出ていました。
・どんな顔をしてたのか?
・出るとき...というか入ってから何か声を出したのか?
まったく憶えていませんでした。
しかし、
この経験が強く鮮明に記憶に残り、
得意先の前に着くと「この記憶」が蘇り、
得意先のドアを開けるのも、
車から降りるのも怖くてたまらなくなりました。
得意先に着いても1時間以上待機した後、
結局訪問しないで近くの公衆電話から
「今日は訪問出来ないので何か注文ございますか?」
という「営業」をするようになり、
『実質サボってるのと何ら変わらない。』という
負い目が大きくなり、次第に電話を掛けるのも怖くなって
小銭を入れて電話を掛けてもつながる前に切る。
そんな毎日になっていきました。
当時は
携帯もありませんでしたし、
営業車にはAMラジオしかなかったので、
少しでもモチベーションの上がる話はやってないかと
浜村淳や立原啓裕の番組を聴いてました。
そして...
そんな苦痛だらけの日々が軽くなったキッカケが
このAMラジオでありました。
立原啓裕さんの昼の電話リクエスト、
通称「たちひるでん」に
私の友人が私の好きな歌をリクエストしてくれて、
その時のメッセージで
「まだ若いねんから深く悩むなよ!」
と、紹介されました。
その時も
得意先の前で待機してる状態だったので、
これを聞いたとき泣けてきて...
自分は本当に幸せものだと思いました。
「嫌ならやめればいい。」
「選択肢はいくらでもあるんだ。」
と思えるようになり本当に軽くなりました。
その後、
「どもり」以外にも家庭の経済的な事情もあり
数カ月で退職し、建築関係の現場仕事に付きました。
お金も必要でしたし、営業をするのは辛い状態だったので、
きつくても肉体労働のほうがいいと心底思っていました。
友人と友人の父親が勤める職場だったのですが、
この友人がほとんど仕事に来ない状態で、
毎朝この友人が来るのを30分程みんなで待ち
「やっぱりけえへんな」
と、納得してから出発するという
特殊なスタイルでした。
いつ来るかわからない友人のせいで
この友人の父親は
親方や他の職人さんに嫌味を言われるので、
その後に私に
「お前は毎日出てきてそんなに金が欲しいんか?」
「金にがめついヤツやな!なんぼ貯めてるんじゃ!?」
と、私に絡んできてました。
さらに
現場に着いても他の職人さんに
「コイツは貯金が趣味で帰ったら
毎日ひとりで通帳見るのが楽しみやねん!」
「それに比べわしの息子は毎日ツレと遊んでるからな!」
みたいなことをどこに行っても言う始末でした。
私の母親が離婚、再婚、離婚と繰り返し
親戚に借金をしていて、
親戚がその催促を
長男である私にしてくる状態だったので
お金がどうしても必要だから
営業時代も会社とは別にバイトを3つ掛け持ちでやったり
高校時代も毎日深夜2時~4時まで働く毎日だったので
本当に悔しくて悔しくてたまりませんでした。
しかも一番の誤算は
現場仕事に就いたのに、こっちのほうが挨拶や
大きな声で叫ぶ機会が頻繁にあったということです。
「叫ばなければいけない。」
と思うと、
第一声目が全然出てこなくて
足場の上のほうの職人さんを呼ぶときは
足場を工具でカンカン叩いて、
足場の上から下にいる職人さんを呼ぶ時は
紙テープを当たらない程度の距離に
落として気付かせるようなことを
していたので、印象は最悪でした。
「仕事もロクに出来んのに礼儀までない。」
と何度も言われました。
普段、
日常的な会話をするときは
調子のいい時もあったのですが
「仕事で全然話せないのに、なんやねんコイツ!」
って思われるんじゃないかと
自分から話しかけることも出来なくなりました。
しゃべれない時も
誠意は見せているつもりでしたが、
そんなものは全く伝わらなかったみたいです。
あやふやな気持ちではなく決意をして転職したのに、
ここも「苦痛」だらけの日々でした。
それでも給料は良かったので、
「こんなことくらいで辞めるわけにはいかない。」
「サラリーマンしながらバイトを掛け持つ生活よりマシだろ?」
と自分に言い聞かせ頑張ってきました。
「石の上にも3年」
と言いますが、
本当で、3年もすると「ネチネチ」と
嫌味を言われることはなくなりました。
「3年」
と軽く言いましたが、
それはそれは本当に長いものでした。
その後
12年間職人として勤めてきたのですが
第1子の誕生を機に
会社員に戻り4年過ぎになります。
会社員としての責任や誇りも持ちながら、
書籍を出版したり、
コンサルタントを行っています。
今までの自分の経験で
あの頃の自分のように困っている人を救ってあげたい!
と思いこのブログを立ち上げました。
こういう言い方をすると偽善者みたいですが、
「息子に誇れる父親でありたい!」
という...
理念というかエゴもしっかりあります^^
数々の逆境やコンプレックスを乗り越えてきた
私独自の打開策は
立派な方の成功哲学よりも
再現性と即効性両面に置いて優れていると自負しています。
それらをすべて伝えることで、
新しい出会い、
息子に誇れる自信
を見付ければと思っています。
もし、あなたが...
今、どんなに苦しい状態であっても、
絶対に乗り越えることが出来ます!
ひとりで悩んだり諦めたりしないでください。
私でよければいくらでも力になりますし、
相談にも乗るし愚痴も聞きます(笑)
これからの人生お互いもっともっと
豊かなものにしていきましょう。
長文読んでくださり本当にありがとうございました!
今後とも末永く、
よろしくお願いいたします!
ほりひろ
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