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「フランスに住んでみたい」いつの日からか、そんな思いを抱きながら仕事をするようになりました。かつての私の職業は、パティシエ。専門学校を卒業後 地元の洋菓子店に就職しました。多くの常連のお客様に支えられ、美味しいと評判の小さなお店でした。元気いっぱいで仕事に通い、体力仕事で大変な面はあったものの、それなりに充実した日々を送っていました。パティシエとして働き始めてしばらく経ったある日、ちょっとした紹介をきっかけに、数年ぶりに書道を再開することになりました。私と書道との出会いは、3歳の頃にさかのぼります。進学就職等の節目に当たって教室から足が遠のいた時期がありながらも、書道歴は20年になります。パイ生地が焼ける香りもたまりませんが、墨の香りもまた格別です。一瞬にして畳と障子の世界へと連れて行ってくれる、、、。それが、何とも豊かな気分にしてくれるものでした。大人書道は学生の頃とはまた違った楽しさがあり、週に一回のお稽古はとても良い気分転換になりました。華やかさが際立ちがちなパティシエという職業ですが、やはりそれなりの厳しさも伴います。繁忙期となるクリスマスなどイベントの続く時期は、今が一体何時なのがわからなくなるくらい、長時間勤務をしたものでした。そんな環境で、社会の厳しさを痛感したりしながら、自分を失いかることもたびたびでした。それでもメンタルバランスを保って楽しく仕事を続けられたのは、ひとえに書道のお陰だったと。。。こうして振り返りながら、しみじみ思います。書道に支えられながら、仕事にまい進する日々―。そんな日常にもすっかり慣れたころでした。ふと、いつか抱いたフランスへの思いが湧き上がってきたのです。その思いは日に日に増し、レシピの中のフランス語を目にするだけで、胸が高鳴るようになり、いつしか、「旅行ではなく長期的にフランスに行きたい」と願うようになりました。初めは「願う」だけだったのが、次第に行動に移すようになり、気が付くとフランスへ行く為の手段を探す日々がスタートしていました。詳しい人に相談したり、インターネットで調べるなどを繰り返し、数か月後にはヴィザを取得。着々とフランス行きが現実のものとなっていきました。その勢いでパリ行きの片道チケットも購入し、まさに順風満帆。部屋の隅に用意されたピカピカのスーツケースを横目に、パリの地図を眺めるのが私の日課でした。一日の終わりに手帳の日付に線を引きながら、夢への階段を一歩一歩昇っている感覚を噛みしめていました。そんなある日、悲劇は突然やってきました。くたくたに疲れて帰った私が家のドアをあけると、夕飯の準備をしていた母が、玄関まで駆け寄って来ました。「おかえりなさい、とんでもないことになったわね…」事情がつかめない私は、母の言葉の意味が、しばらく飲み込めませんでした。出発まであと少しというところで、神様が私に与えた試練、それは「留学斡旋会社の倒産」でした。微かに聞こえるテレビの音。リビングへ行くと丁度定番の夜のニュースが流れていました。いつもと変わらぬ表情で淡々と留学斡旋会社の倒産を使える男性アナウンサー。こんな時、空腹というのはどこへ行ってしまうのでしょうか。お腹がぺこぺこで帰ってきたはずなのに、テーブルの上に用意された食事には目もくれず、テレビに張り付いて、一語一句聞き逃すまいと食い入るようにテレビを見ていました。いつも「大変だねぇ」なんて他人事のようにニュースを見ていたのに、まさか自分の身に起こるなんて…信じられない思いでいっぱいでした。無心でニュースを見る私の頭の中には、パリの風景が映し出されていました。語学学校でフランス語を学び、色々な国籍の友達ができて視野が広がっていく姿。ホームステイ先のマダムとお茶を飲みながら、楽しくおしゃべりに花を咲かせている様子。そんなリアルな映像が突然白黒に変わり、その景色がガラガラと崩れ落ちていきました。私のパリ行きは絶たれた…数日前、その会社へ仲介料金を支払ったばかりでした。それなのに、全てが台無しになってしまいました。もう頼るものもありません。「この世の終わり」生まれて初めて、そんな気持ちを味わった出来事でした。それ以前にパリに行ったのは一度だけ。海外経験の殆ど無い私は、自力で学校や家を探すことなど、考えもしませんでした。そんな方法があるなんて知らなかった…といった方が正しいかもしれません。留学斡旋会社に全て丸投げして、自分の留学は成功した!かのような錯覚に陥っていました。今思うとあまりにも無知だったと思います。しかしその経験は、自分のあり方を見つめなおすための「授業料」として、その後の人生に生かされました。こうして、出発予定日の数週前、文字通り「絶望的」な状況に置かれた私でしたが、私の気持ちはもう既にパリにありました。選択肢など存在せず、「行くためにはどうするか」気持ちはすでに、そこに向かい、再び方法を考え始めていました。毎月のお給料から少しずつ、コツコツと貯めてきたお金。あとのことはなんとかなるだろう、行かないと絶対に後悔する!その強い気持ちが私の背中を押し、ついに最後の貯金をはたいて、予定通り飛び発つ決意を固めました。そしていよいよ出発の当日。親元を離れ、海外で初めて一人暮らしをすることの寂しさ、慣れていない飛行機の搭乗と乗り継ぎの不安、、、それが一気に押し寄せてきて、心が潰れそうになりました。「これからは自分しか頼れる人はいない強くならなくちゃ」心配をかけてはいけないと 何てことのない素振りを見せ、ゲートの前で見送りに来てくれた両親に笑顔で高く手を振りました。溢れる涙をこらえ、どんどん小さくなる姿に向かって「あ・り・が・と・う」大きく口を動かし、精一杯の感謝を伝えました。「きっと大丈夫。」そう自分に言い聞かせ、飛行機へと乗り込みました。出発前に予想もしなかった形で洗礼を受けた私でしたが、パリに着いてからの生活はそれなりに順調でした。最初の半年間は語学学校に通いながら、少しずつ、フランス生活に慣れ親しんで行きました。銀行口座の開設、携帯電話や定期券の購入、放課後は毎日一人暮らしの為の家探し…どれを思い返してもスムーズに行ったことは殆どありませんでしたが、かえってそのことがパリで生活していることを実感させてくれました。一度は絶望的な危機にさらされたパリ留学。ここに来られただけでも感謝しなければいけない、そう思いながら一日一日を大切に過ごしました。語学の勉強期間を終え、少しずつ周りが見え始めたことをきっかけに、仕事を探しはじめ、結果、レストランで働かせてもらえることになりました。悲劇を乗り越えて掴んだ夢への第一歩。「必死に頑張ろう」そう心に誓ったのを覚えています。「パリでお菓子の勉強がしたい!」その気持ちに任せて、脇目も振らず一本の道を突き進んだ4年を過ごしました。しかし、全力投球で仕事に取り組む一方で、心の中で自問自答を繰り返していました。「そもそもこの仕事は向いていないのではないか」そんな思いが、湧いては消え、を繰り返します。その度に、「それは逃げや甘えである」と自分に言い聞かせ、掘り始めた穴を再び掘り続けることを選んできました。しかし、迷いが消えることはなく。。。20代を仕事に捧げ、同世代女性の白い手とお手入れされたピカピカの爪を目にする度に、自分の老婆のような手と深い爪を何度も恥ずかしいと感じました。「このままずっと仕事を続けられるのだろうか」「イタイ思いをしてまでフランス行きを決意したのに、何もならずにここで辞めてしまうのか」「そもそも私は何になりたいのだろう」そんな感情の繰り返しが、頭の中の大部分を占めるようになりました。その結果、悩みに悩んだ末、自分が本来望む道を歩むために仕事を辞めることを決意しました。こうして立ち止まる時、常に心の支えとなっていたのが、書道でした。落ち着いた気持ちでゆっくり自分と向き合いたい…あの頃のように部屋の中が紙まみれになるほど書きまくりたい!そんな妄想を始めると心が落ち着き、自分を取り戻すのでした。ちょうど同じ頃、結婚を機に一度日本へ帰ることになりました。自由に使える時間が確保できたことをきっかけに、留学直前までお世話になっていた書道の先生に連絡をしました。書道を再開したいと伝えると、くしゃっとした笑顔を見せ、喜んで迎え入れてくれました。新たな気持ちでスタートを切り、ふっと肩の力が抜けるのを感じました。小さいころ母の手に引かれ書道教室に行った時の様子が思い浮かび、節目 節目で書道に助けられ、共に歩んできたこと…今までの人生を振り返ると目頭が熱くなりました。すっかり自信を喪失した闇だらけの私の心に一筋の光が差し込んできた瞬間でした。息を切らし走り続けながらも孤独を感じていた毎日。その光の向こうへ行きたくて、私は迷わず手を伸ばしました。文字を書くことは私の心に元気を与えてくれる。これが私のやるべきことなんだ!改めて、そう確信しました。その後縁あって、再びパリに戻れることになりました。このタイミングで、以前からやってみたいと思っていた、カリグラフィーを始めることに決めました。すぐに本屋さんへ足を運び、気に入ったカリグラフィーの本を購入しました。偶然手にした本でしたが、著者の作品がとても気に入りました。ページをめくる手が止まりません。「これは間違いなく私の好きな世界だ!」興奮冷めやらぬまま調べを進めていくと、パリにアトリエがあると分かりました。物理的に会えるチャンスがある。これは行動を起こさなければ勿体無い。ピン!ときた感覚に任せて、手に汗握りながら、勇気を振り絞って連絡したところ、なんと、アトリエにお伺いさせてもらえることになりました。憧れの空間、絵を描くようなタッチでペンを動かす姿はまさにアーティスト。カリグラフィーの可能性と、奥深さを目の当たりにしました。見学の間は終始緊張していましたが、夢のような時間を過ごしました。これを逃したらあとがない!その気持ちで帰り際、カリグラフィーを教えて欲しいとお願いをしたところ、今はやっていないとのお返事。ああ、また道が閉ざされた…口から心臓が飛び出そうなくらい緊張して言葉を発したのに、駄目だったのです。恥ずかしさと居心地の悪さでこの場から消えてなくなってしまいたい…そんな気持ちでいたところ、親切にも別の先生を紹介してくださいました。こうして、晴れてカリグラフィー教室を見つけることができ、今もお世話になっているその先生のもとで、カリグラフィーを学ぶ日々が始まりました。書道とカリグラフィー、「書く」ことへの飽くなき探究、そんな私の新しいステージの始まりです。書道の再スタートにおいても、ゼロからではなく、以前までに取得していた段位が継続できたのは幸いでした。これまでに半年に一度の昇段試験を受け、去年ようやく準師範を取得。資格が全てではないですが、自分のレベルを知るために、また技術向上の為、「挑戦し続けること」を大事にしています。カリグラフィーも毎日のように練習し、自信がついてきたことで、昨年末、念願の「ワークショップ開催」を果たしました。学ぶことが好き、そして誰かに書くことの楽しさを伝えるのはもっと好き!カリグラフィーを教え始めたことをきっかけに、その思いがより一層強くなっていきました。志半ばでお菓子を作ることを辞めてしまった後悔を、引きずっていた時期がありました。けれど、好きだと思えること、得意なことをコツコツとやることで、そんな後悔も薄れ、段々と解消されてきたように思います。一見まわり道をしてきたかのように感じる私の歩みですが、「今までやってきたことは決して無駄にはならない」そう確信しています。きっといつか全てが繋がる日が来る。その先にどんな世界が待っているのだろう…その過程を想像するとワクワクが止まらず、いてもたってもいられません。ブログに想いを込めて…私の旅はまだ始まったばかりです。
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