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あなたのエネルギーを整えて、お姫様のようにすべてを手に入れるお手伝いをするyoginiアロマセラピストのレイです^^常識とか親で縛られ、思うように動けなかったり、「こういうのが幸せなんだよね?」って思っているのに、引き寄せも夢も叶わない。そんなあなたに潜在意識とアロマを利用して、あなた自身の幸せが何かを知り、あなたの魅力をずるいくらいに開花させちゃいます♪資格●潜在意識アロマ(R)セラピスト●日本能力開発推進協会認定メディカルハーブセラピスト●日本アロマ環境協会認定アロマテラピー1級●全米ヨガアライアンス200時間修了(認定ヨガ指導者)●Yoga Ed修了(キッズ・ヨガインストラクター)●NPO法人日本成人病予防協会認定健康管理士一般指導員 詳しいプロフィールはここから_______________新潟市にて長女として誕生。父、母、妹、私の4人家族です。好奇心が人一倍強く、運動もバリバリ楽しみましたが、いろんな辞典、百科辞典が愛読書でした(笑)。ただそれ以上に両親の期待は強く、ずっと「いい子でいなければ」「自慢の子でいなければ」と思って過ごしていました。というのも、建築の自営業者として懸命に働く父は、時に自分の思うようにならないと、それを反対する母に対して手を上げていました。今でも忘れられないのは、忘年会の会費で喧嘩をし、渋々母が出した2万円を車内で父がその2枚のお札を怒って、ビリビリに破いたことでした。母も、妹も、私も車内で泣き喚いたことしか、もう記憶にありません。いい子でいれば、父は自慢し、逆では両親の喧嘩の種になってしまう。本当は、そんなことないのに、そんな風に考えるようになっていました。そのためか、小学3年から高校3年までは2~3か月に1度の神経性胃痙攣に襲われ、半入院する生活を繰り返していました。なんでこんな、動くことさえままならないような辛い思いをしなければいけないのだろう、ずっとそう思ってきました。転機は大学受験に失敗したこと。そしてその時の胃炎騒ぎでした。授業をしっかり聞くことで、たいていは理解し、新潟県では2番目の進学校に合格。とはいえ、高校では授業以外にも勉強をしないと、点数を取ることが難しくなりました。行きたい大学だけを受験して、結果は惨敗。浪人を決めた春に、また胃炎。入院騒ぎになる前の軽い症状のうちに病院に自転車で行くと、「盲腸破裂寸前です」といきなりの手術を告げられました。ビックリすると同時に、ホッとしました。私が2,3か月に1度襲われる急性胃炎は、盲腸破裂寸前よりももっと辛く、痛かったのです。本当にいつも大変な思いをしていたんだな、と。あれは、やっぱり異常なことだったのだ、と腑に落ち、ホッとしたのです。盲腸破裂寸前より、いつもの胃痙攣が辛い。そんなつらい現実は、もう、脱ぎ捨ててしまおう!そうして、私は浪人時代に、「いい子でいること」をやめ、「わがまま」で「言うことを聞かない子」になりました(笑)父や母のご機嫌を取るように生活するのではなく、わがままにやっちゃおう~!と浪人なのに遊び惚けましたwそんなわけでもちろん、希望する学校にも合格できず。今まで優等生で望むように進学していた私にとって、プライドをズタズタにされた出来事でもありました。傷ついたプライドは、大学入学後、他の価値観を見つけようと懸命になりました。そして、「誰よりも高い時給のバイトに 面接合格し、 高い時給で働く」という新たなプライドの矛先 を見つけたのでした(苦笑)。割烹居酒屋でのアルバイトを見つけ(時給1,300円)、夢中になりました。そこには、「学生」という「学業をプライオリティの第一とする人」以外の人がいました。いろんな価値観で、生活を楽しんでいる人たちがいました。そんな彼女、彼らの「とことん、お客様を喜ばせる料理を出す」「映画を楽しみまくる」という、いろんな価値観に接し、輝く彼らと話すことがとても楽しかったのです。塾講師や家庭教師というさらに時給の良い人に張り合うように、労働時間を割き、月のアルバイト代を張り合うようなちっぽけで方向性の誤ったプライドでした。実家からは十分すぎるほどの仕送りをもらいながら、学生の本分では人に勝てないからと、学業を疎かにしてアルバイトに興じる日々。結果、大学半年留年、就職も決まらず。対して勉強もせずに順風満帆だった思春期から、20代前半で、一気に大学受験失敗就職活動失敗という「大きな失敗」を二度重ねたのでした。「本当にやりたいこと」「将来やりたいこと」が漠然と見えているのに、漠然としたままで、日々に興じ、結局、大事なものを得ることができませんでした。その当時は、「私なんて、浪人して、三流大学だし、 私なんて、結局こんなものだよね」と諦めと納得する言い訳を探していました。今は、「やりたいことを漠然としたまま」で単なる「わがまま」をしたためだと思います。そして、なにより、「ダメだった時の言い訳を考えていた」から、その通りの現実が迎えていた、ということ。社会人としてのデビューは大学に週に1度通いながら働ける、完全成果主義の営業会社からスタートしました。元気だけが取り柄の、新人らしい新人として頑張っていると、お世話になった最初のチーム長が独立して、新しく芸能制作会社を作ったから、ぜひ手伝ってほしいと声をかけられ、喜んでそちらのお手伝いをすることにしました。そこでは社長秘書として、こまごまとしたことまで対応していました。しかし2年もすると業績が悪化。この先の進路を悩んでいると、ある医療機器メーカーでの営業職を紹介され、お世話になることにしました。その営業は、休憩無しで就業時間の概念もなく、でも楽しそうにキラキラと働く先輩たちに溢れていました。体力的に正直キツい仕事でしたが、20代後半のガムシャラさでなんとか頑張り、営業職なりのお給料はいただけました。とはいえ、周りの人たちは年収1000万円~2000万円以上そのレベルに全然手が届かない自分に嫌気がさしてきた頃、パソコンの技術があった私は、勧めもあり営業部から内勤職に部署異動しました。自分勝手ながらも、営業経験からの現場の発言をしっかりと受け止めてくれ、行き過ぎる発言に対しては、片目どころか、両目をつぶって私自身を尊重してくれるという部署、所属長の元に配属され、本当に人には恵まれ、 ゆっくりと育てていただきました。そんなころ、新潟に住む母が脳梗塞を患い、一時的に新潟に帰らなければいけないことになりました。母は1度目の脳梗塞だから、今回は復活できるはず!ただ、2度目、3度目もあるだろう。私も覚悟しなければいけないんだな、 と思いました。当時の収入の半分になるだろう新潟での生活は、わがまま放題に過ごした私にとって、大きな不安要素でした。そこで私は収入面の安定を考え、副業という選択を鑑み、当時ハマりだしていたヨガの資格を取ろうと勉強を始めました。また、ヨガだけでなく、医療機器メーカーで学んだ知識から、健康管理士一般指導員や、メディカルハーブの資格など、追々のことを考えて勉強を始めたのが、母の脳梗塞の当時32歳からでした。時は過ぎ、医療機器メーカーも10年ほどで辞め、ヨガティーチャーとしてデビューできたのは、お世話になった医療機器メーカーの社長が新たなチャレンジとして作った断食道場からでした。とても貴重な経験をさせてもらったのですが、1年ほどで地元新潟に戻ることになりました。新潟に戻ってからの私は、東京との様々な違いに戸惑い、慣れず、様々な葛藤に苦しみました。親元は経済的に安心ではありながら、自由がなくなり、苦痛でしかありませんでした。正直にお話すると、何度か、東京に逃げよう!帰りたい!と思ったこともありました。もちろん、そんな状態ですから、仕事も長くは続かず。。。以下みたいなことばかり考えて過ごしてきました。・生涯の仕事にしたいと思ったヨガも それだけで生計を立てるのは難しいものなんだ。・所詮、 好きなことで食べていくなんてのは夢。 出来るのは、ほんの一握りの人だけなんだ。・好きなことがダメなら、前みたいにOLしよう。・今まで社長秘書やってきたけれど、 私は社長ではなく、単に今までの ご縁と信頼関係があってこそのお仕事だったんだ。 私に能力があったわけではなかったんだなあ。・やっぱり普通の仕事は無理があるなあ。 ヨガだけでは食べていけないし、 ヨガと何を仕事にしようかなあ。・ヨガとマッサージで何とか暮らしていけるのかなあ。 貯金は全然できないし、どうしよう!・ヨガもマッサージも身体不調になったら 何にも収入がなくなるんだなあ。どうしよう。こんなふうに1つがだめなら、別の方向に、と。いろんなことから逃げて、逃げて。そんなですから、経済的には、東京時代の半分どころではなく、なんと、収入は1/4に!大好きなお友だちとの逢瀬、飲み会もヒーヒーでカツカツの日々。そんなどん底の時に、出会ったのが、潜在意識アロマ(R)でした。頼みの綱!と必死で勉強し、東京に行くお金や受講料などを親に借りたりして(涙)。潜在意識アロマ(R)のセッションの練習で、仲間たちとカウンセリングのようなことをしたときにも、私のあまりの自己肯定感の低さに、言葉を失うような人たちもいました。あまりの自己肯定感の低さに、ドン引きされてしまいました(笑)。それでも潜在意識アロマ(R)でゆっくりと自分自身を自分のペースで 見つめてきた結果、・なぜか収入がアップしてきました・私は私自身を信じられるようになりました・心から人を信頼できるようになりました・人のせいにばかりしていたのが嘘のように、 自分の人生を楽しめるようになってきました・起こったことから、 何を学ぶためにそのことが起きたのか を問う考えるスタンスになり、 他の人やものを 責める気持ちがなくなりました。・生きるのがとても楽になりました・でもたまに他人軸になって、ブレもします(笑)・生き残るため、食べるための仕事ではなく、 仕事からいろんなものを学ぼう というスタンスになりました・好きなことをして、 それを仕事にして生きていこうと 覚悟が定まりました・自分に必要なもの、不要なものがはっきりして、 必要なものがドンドン集まってきましたそして、何より、今までにご縁あった方から私がいただいてきた、温か~い気持ちを今度は、私がドンドンお返しする!ほかの誰かにお渡しする番なのだ!と思うになりました。ダメダメだった私が、こんなに人生を謳歌できるようになりました。人生を自分で切り開こう! 思えるようになりました。潜在意識アロマ(R)を使って、皆さんの悩みを解決するお手伝いを、その方をその方以上に信頼して応援する番なのだと、確信しています。自己肯定感がめちゃめちゃ低くて、ドン引きされたような私も、今は自分自身をしっかり信じ、安心の波動に包まれた毎日を過ごしています。過去と他人は変えられませんが、自分自身を変えることは、ほんの一歩を踏み出す勇気があれば、あなたのペースで、あなたのなりたいように、出来るんです。一歩を踏み出したあなたは、 過去のあなたとも違います。だから、これからのあなたを明るい未来に向かって、あなた以上に信じて、 しっかりサポートさせてもらえればと思います!
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