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はじめまして。 アキトです。 僕は以前 英語恐怖症 偏差値40だったのに・・・日本に住みながら ある方法で英語を 話せるようになりました。周りからは羨ましがられ 英語がペラペラとかバイリンガルとか よく言われます。 英語が話せるようになってから 仕事面やプライベートでも 大きく変わりました。 日本で生活している世界と比べて 今までの視野が極端に広くなり いろいろなチャンスに恵まれ 世界中に人脈ができました。 給料も若くして同年代の人達の 倍以上の金額を稼ぐことができ かっこいい外車を乗り回したり 大好きな彼女を海外に連れていって 好きな服やアクセサリーを買ってあげたり・・・ ここでは説明しきれないほどの 貴重な体験をすることが 出来るようになりました。 英語を話せることで 自分の人生を 大きく変えることが できました。 現在は海外ベンチャー企業の 日本支店を立ち上げ 営業・マーケティング・技術指導などを やらせていただいているビジネスマンです。 もちろん外資系という事もあって 社内の公用語は全て英語。 日本に住みながらも 毎日世界を相手に 英語を話しまくっています。 今となっては洋画も字幕なしで 見られるようになり ビジネス上では全く問題なく アクセントを聞くだけで どこの国の出身の人か 大体わかるようになりました。 コミュニケーションには困らなく 海外に行っても日本と 同じ感覚でいることが出来ます。 普通は英語を覚えるために 海外留学したり ワーキングホリデーに行ったりしますから 外人から 「どこで英語を覚えたの?」 と聞かれても 「どこの国にも留学していないよ。日本で覚えた」 と答えるとだれもがビックリします。 うちの会社の外人によると 帰国子女やTOEIC900点以上の 猛者たちがいる 日本人スタッフの中で 僕の英語が一番うまいらしいです。 嬉しい限りです。 ここまで僕の自慢話に お付き合いいただき ありがとうございます。 決して嫌なやつではありません。僕が英語を話せるようになったのは 「あんたが人よりもすごい」 とか 「ひょっとして一流大学を出たエリート?」 とかあなたは思われましたか? 全く違います。僕は間違ってでも エリートではありません。大学までは一応卒業しました。 一浪してやっと受かった地元の3流大学を・・・ 普通は4年間大学に通うところ 僕の場合は2週間しか行っていません。 幽霊学生でした・・・そんなので卒業できるの? とか時々言われるのですが 卒業論文を書く必要のないゼミを選んだからです。 僕のいた大学は卒業論文を 書く必要のないゼミを選んだ人は 単位さえ取ってしまえば卒業できました。 学生時代は毎日バイトばかりして 稼いだお金で悪友たちと朝まで遊びまくる日々。 親からは何回も勘当されそうになりました。 (お父さん、お母さん、あの時はごめんなさい!) 以前は英語とは 全く縁がない世界で生きていました。今でも忘れることのできない 僕の初海外は 大学2年生の時でした。 専攻したゼミでロンドンにある ウエストミンスター大学という イギリス最古の名門大学に行くことになったのです。 (3流大学でしたが教授がこの大学と交流があったらしいです。) しかも寮での2週間の自炊生活・・・ この2週間を加えると僕の大学生活は合計4週間になりますね。 遊びたい盛りの青年が ワクワクしながら 行った初めての海外でしたが フタを開けると全くの逆 2週間の監禁生活でした・・・ 朝から晩まで大学で そこの学生と一緒に英語での経済の講義・・・ 僕達日本から来た数人以外は 全てガイジンです。 「何を言っているのか さっぱりわからん!」地獄です・・・夕方、講義が終わると いよいよ食事の時間です。 近所のレストランなんて 英語がわからないから 選択肢には全くなく 寮で自炊して 晩御飯を作らないといけませんでした。 近くのスーパーに買い出しに行くのですが そこでも英語が読めず話せません。 結局お菓子や果物しか買えない始末・・・ レジでは店員が何ドルとか言うのですが 早くて全く聞き取れずに 苦笑いしながら手元にある全財産を レジの前でジャラーッと出す。 最初の頃は札束を出して コインでお釣りをもらうので楽ですが 日が重なるにつれて 財布の中は小銭ばかり・・・ 店員さんは 不愛想に 会計分の金額を取って 本日の買い物終了・・・ イギリス本場のスコーンとか アフタヌーンティーも楽しむこともできなく その2週間は スニッカーズと果物ばかり 食べていたのを覚えています。 当時の自分の英語のスキルは 偏差値40の大学を受かるレベルですから なにもわからず 本当につまらなくて 早く日本に帰りたくて帰りたくて・・・ 帰国後は 「こんな大変なら 二度と海外には行くもんか!」とすっかり 英語恐怖症 外人恐怖症になってしまったのです。 それからは 街中で外人を見ると 拒否反応をおこし テレビで英語が流れると そこでも拒否反応をおこし チャンネルを変える。 英語を聞くとなんだか体が痒くなり・・・ 英語アレルギーっていうんでしょうか? 本当に英語が大嫌いでした。いつの間にか英語から 距離を置くようになっていました。このままではダメだとは 自分でもわかっていました。 その反面、 英語恐怖症なのに テレビとかでペラペラと話す日本人を見ると 「いいなぁ・・・ おれもいつか英語話せたらなぁ・・・」という強い憧れもありました。 そんなある日、 自分の英語恐怖症を克服するチャンスが訪れたのです。 大学4年の時に地元の駅前で 超きれいな「北川景子」似のお姉さんに 駅前留学の体験コースに勧誘されたのです。 そうか! 英語が話せると 女の子にきっとモテるんだろう!! こんなきれいな人とも付き合えるのかも!!そんな不純な動機で入学を決意したのです。 (結局そのお姉さんとは それっきりでただの客引きでした) そしてその体験授業で知り合った 年齢が一回り上のお姉さんが 外資系の貿易会社で働いている バリバリのキャリアウーマンでした。 その会社では 現在アルバイトを募集していて 「頑張れば来年の4月から正社員になれるから 働いてみない?」 と誘われたのです。 毎日遊び呆けて まともに就職活動なんか していなかったので 「まぁ、とりあえずやってみるか」 的なノリで アルバイトから入社することになりました。 しかし実際に仕事をやってみると 自分の甘さ・力のなさに 改めて気づかされます。 周りは外人だらけ・・・2年前のロンドンの悪夢がよみがえり 英語が話せない・聞けない・・・ 話そうとしても口がモゴモゴして 英語が出てこずに周りの会話がどんどんと進み 置いてきぼりにされてしまうのです・・・そして・・・ 「君は使えない・・・」「useless・・・」 結局大学卒業を迎えると同時に その会社から解雇されてしまったのです。しかも 「明日から来なくてもいい」と 突然の不当解雇でした。 そう、リストラです。 社会人になって初めて経験したことが リストラでした。 周りの遊び仲間たちは みんな就職が決まったのに 自分だけ卒業と同時にプータロー・・・ もう悔しくて悔しくて・・・「絶対おれは英語を話せるようになって クビにしたあいつらを見返してやる!!」と自分の中の何かに火がついたのです。 それ以来、 僕は英語恐怖症から打ち勝つために 必死に勉強し始めました。 ・駅前留学もしました。 ・聞き流すだけのスピ○○ラーニングもやりました。 ・本屋に行っては英語の教材を山ほど買って 日常会話やビジネス英語の勉強もしました。 ・英検などの資格にも挑戦しました。 しかし、困ったことに いつまでたっても 英語が話せないのです。 聞けないのです。 使いこなせないのです。そんなジレンマを抱えながら ある週末の夜、久しぶりのコンパが終わり 2次会で少し大人な感じのバーに行った時のことです。 たまたま偶然目の前に 前のクビになった会社の取引先の スリランカ人のアセラさんが飲んでいたのです。 日本に住んで3年目で日本語はベラベラ 彼はとてもいい人でいつも僕のことを 優しく気にかけてくれる人でした。 その時も僕の仕事のことを心配してくれたりして いつの間にか友人とは別行動。 彼と話し込んでしまいました。 日本に住んで3年目で 日本語はすでにベラベラ。 いろいろ聞いていると日本語はもちろん 英語も母国語のタミル語、シンハラ語に加えて アラビア語、サンスクリット語、フランス語など・・・ 7~8か国語を使いこなすのです。自分は英語を話せるようになりたくて こんなにも必死こいているのに・・・漢字とかあるし たぶん英語よりも難しいだろう 日本語をたった3年も たたないうちに使いこなしている。 そんな彼でも 日本に来た時は日本語が 全く話せなかったというのです。 この人天才なんじゃないか??日本人とはどこか頭の構造が 違うんだろうと思いながらも もう訳がわからなくなり どうやってそんなに多くの言葉を 話せるようになったのかを聞いてみたのです。 すると彼から 今までの自分の中では 想像もしなかった答えが返ってきたのです。 語学習得には何よりも 「バイリンガル脳」 を手に入れることが大切だと。 「バイリンガル脳」?? なんだそれ??いろいろ彼から聞くと この「バイリンガル脳」は 今まで机に向かって勉強したものとは 真逆の考え方でした。遊びのような感覚で 身につけられるものだったのです。彼らは日本人よりも 頭がいいという訳でなく この「バイリンガル脳」の 大切さを基本としているので 短い時間で最小の頑張りで 何か国語も操れるようになったのです。非常に興味深く 彼からその「バイリンガル脳」の 身につけ方を詳しく教えてもらいました。 そして日々実践してみたところ・・・ 驚くことに 今まで勉強して苦労が まるで嘘のように 日に日に英語が パズルみたいに一つにつながっていき 英語がわかるようになっていったのです。 あれは忘れもしない ある日曜日の朝、 昼前に起きて来てぼーっとしながら テレビをつけたBSの海外の英語のニュースが すーっと頭の中に入ってきて なんとなく何を言っているのかわかったのです! 英語がわかる!!「悟り」が開けた 瞬間でした。この感覚は今までの人生の中で 味わったことのない不思議で 素晴らしい瞬間でした。「バイリンガル脳」を手に入れてからは 今までのような机に向かって 苦痛ともいえる勉強はやる必要がなくなりました。そんなことをしなくても 最小限の努力で 話せるのです! 聞けるのです! そして・・・どんどん英語を使えるように なっていったのです!! そこで悟ったことは 英語は ただ猛勉強するだけでは 身に付かないということです。 世間では いろいろな英語の教材や勉強方法がありますが 実は もっと楽な方法で英語を 話せる方法があったのです。英語を習得する上で 「バイリンガル脳」 を手に入れることは 一番大切な柱だったのです。そんなすごい 「バイリンガル脳」を あなたも手に入れて みたくないですか?あなたが「バイリンガル脳」を 手に入れた途端今までとは信じられないスピードで 英語を自然にペラペラと話しだします。英検やTOEICなどの資格なども 普通の人の10倍の速さで 高得点を叩き出します!!海外旅行に行くと 日本人ツアーだけで終わることなく 現地の方たちと交流することができ 普通ではありえない貴重な情報や 体験を手にすることができます。あなたが仕事で英語を必要とするなら 日本人を超えた国際人としての 感覚を手にすることができ 普通の日本人ではできない 多くのチャンスを掴むことができます。日本人を超越した 国際人になることが できます! 実は英語を話せるようになることは 難しくありません。 もしあなたが 今はたとえアルファベットしか書けなくても全く問題ありません!!僕も以前は同じでした。決してしてエリートでない 元英語恐怖症・偏差値40の僕でも 日本に住みながら 英語がペラペラになることができました。 だから僕がやったことを あなたも同じようにやるだけで あなたを効率的に短い時間で楽して 英語をペラペラにさせる自信があります。 そしてご希望なら 僕と同じように バイリンガルに なることだって可能です。マジかよ??って思ったあなた、 今すぐ僕のブログを読んでください。 現在の仕事上、 僕の仕事は英語を話す必要がどうしてもあります。 でも入社してくる新人さんによっては あまり英語が得意でない方も正直います。 そんな彼らには 僕の体験をもとに この「バイリンガル脳」の大切さを教え 実際に実践してもらったところ・・・ なんと3か月もたたないうちに 英語をペラペラと 自然と話すようになり いつの間にか 使いこなすようになっているのです。 今までは国際電話やメールも すこしでも大変だと 「アキトさんお願いできませんか?」 と毎回お願いしてきたのに・・・ みんなどんどんと 英語が話せるようになり 今ではとても感謝されています。あなたも英語を話せるようになりたいのなら 僕を信じてくれれば 必ず英語ペラペラにする 自信があります。僕はそんな頑張るあなたの サポーターです。ではブログの中でお会いしましょう! 長文読んで頂きありがとうございました
テーマ: ブログ
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