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中学三年生で腰の激痛を経験!それ以来、腰痛との長い付き合いが始まります。 学生時代、実家の近くの評判の整形外科に通い腰・首のけん引、温熱療法、飲み薬を飲むなどしましたが一向に良くなりませんでした。 痛いと言えばレントゲンを撮り「骨には問題ない・腰椎椎間板ヘルニアだからしょうがない」と言われ続け医療に対して不信感を募らせながらも5年間通院。その間にもう一つ胸椎ヘルニア(シュモール結節)を発見されながら、よくもまあ通ったモノだとしみじみ思います(笑) サラリーマン時代は、上司と合わず自主退職という名のリストラ。通勤が心底嫌で毎日辞めたいと思いつつも自分からは言い出せなかったので、「やめることが出来て、退職金まで出てラッキー!」としか思えませんでした。辞めさせてくれた上司に今でも感謝しています! 時間が出来たので念願の東海自然歩道踏破をしようと決意し、いざ高尾山へ。 因みに東海自然歩道とは高尾山から大阪箕面市まで伸びる山々を縫う歩道で全長1697キロもあります! 高尾山を越え、丹沢へ到着。すると大人しくしていた腰+左膝の激痛が復活!急遽ドクターストップで泣く泣く下山。 困っていたある日ふと立ち寄った本屋さんの階段でポスターを見かけました。 良く見ると背骨の写真。自分の体の事もあり、人体の不思議展に行くなど興味があったのです。 ポスターをまじまじ見ていると、かれこれ30年近く前の小学6年生の頃の記憶を思い出しました。 小学校1年生が初めて歯科検診を受ける時、リラックスしてもらうために開口時に6年生が後ろから後頭部を支えてあげるという手伝いがありました。今もあるのでしょうか? 当時保健委員だった僕は緊張する1年生の後頭部をそっと支えてあげたのですが、引率の先生が僕を見て「黄田君の手はやさしい」とほめてくれたのです。確か木下先生だった記憶が… 木下先生は何気なく言っただけだったのですが、僕にはすごく印象的で、忘れていましたが心の原風景には残っていたのでしょう。 ポスターにはchiroとは手practicとは為すことと書いてあり、つまりカイロプラクティックとは手で為す(成す)こと 思い出と文字が繋がった時、身体にイナズマが走るような感覚が沸き上がりました。 同時に今まで腰痛に悩まされ経験、嫌な経験、楽しかった経験・・・・・全てはクライアントさんの心が分かるための、カイロプラクターになるための準備だったのだと理解できました。 そう、ぼくにとってカイロプラクティックは天職だったのです。 その翌年、日本カイロプラクティックドクター専門学院横浜校の門を叩き、カイロプラクティックだけでなく、基礎解剖学、生理学、内科学を学びました。今まで、様々な考え方や技術との出会いがありましたが、この3つがあったからこそです。 2010年9月に西武池袋線中村橋駅に縁があり、「イエローカイロプラクティック」を開業して、延べ2万人以上のクライアント様のお役に立てさせていただきました。信頼して通ってもらっているクライアントさんに感謝は尽きません。 開業から丸7年経った、2017年12月衝撃的な出来事があり、自分の今までのカイロプラクティックが信じられなくなり、精神的にどん底に陥りました。どん底は長く続き、ようやく自信を取り戻せたのは2019年2月に入ってからです。 2018年にはカイロプラクティックの看板を外し、屋号を中村橋整体院に変えました。カイロプラクティックの恩師や仲間には大変申し訳ない気持ちでしたが、もう一度再起を計るためには必要でした。 2019年9月で丸10年を迎えることになります。今まで支えてくれたクライアント様や仲間・家族には感謝してもしきれません。特に妻はよくぞ付いてきてくれたと感謝感謝で、本当におかげ様です。 整体に変わりましたが、お役に立とうという気持ちは変わっておりません。これからも心・技・体を磨き続け、「中村橋整体院に来て良かった!」と本当にお役に立てる療術家を目指します!長くなりましたが、宜しくお願い致します。中村橋整体院黄田浩祥
テーマ: ブログ
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