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【後藤 仁(JIN GOTO、后藤 仁、고토 진)概要】 師系は、山本丘人(文化勲章受章者)、小茂田青樹(武蔵野美術大学教授)、田中青坪(東京藝術大学名誉教授)、後藤純男(日本芸術院賞・恩賜賞受賞者)。 アジアや日本各地に取材した「アジアの美人画/日本の美人画」を中心画題として、人物画、風景画、花鳥画などを日本画で描く。また、日本画の技術を応用して、手製高級壁紙の金唐革紙(きんからかわし/国選定保存技術)や、大垣祭り(ユネスコ無形文化遺産)の天井画、絵本の原画などの制作を行う。 国立大学法人 東京藝術大学 デザイン科 非常勤(ゲスト)講師(2017~21年度)。学校法人桑沢学園 東京造形大学 絵本講師(2017~18年度)。日本美術家連盟 会員、日本中国文化交流協会 会員、絵本学会 会員。 ★ 1968年6月18日、兵庫県赤穂市生まれ。小学校1年生の夏に大阪府堺市に引っ越す。父方の祖父は指物大工、伯父の後藤大秀は宮大工・からくり人形師という職人家系に生まれ、生来絵画等の創作を好む資質を持っていた。物心がついた時分から小学生の頃には、水彩絵具による「空想画」や、「創作漫画」を時間さえあれば描いている少年であった。この頃、宮崎 駿氏のアニメ作品「未来少年コナン」「母をたずねて三千里」「フランダースの犬」「アルプスの少女ハイジ」等の影響を強く受ける。また、佐藤さとる氏のファンタジー童話等を耽読する。 中学生の頃にはアクリル絵具による「空想画」を多く描き、絵画公募展での入選・受賞を繰り返し、中学2年生の時に将来は画家になる事を決意する。この頃は、岩崎賀都彰氏の宇宙画やアーサー・ラッカム、いわさきちひろ、村上 勉氏等の絵本挿絵・童画・イラストに興味を持つ。15歳の高校入学直前に読んだ宮崎 駿氏の絵物語「シュナの旅」(徳間文庫)を、今に至る生涯の座右の書とする。当時は、美術とともに運動神経が良い事でも知られており、中学校の校内マラソン大会で2年連続第1位を記録する。 1984年4月、15歳の時、大阪市立工芸高等学校 美術科に入学して、油彩画・彫塑・デザイン・製図・デッサン・着彩等とともに「日本画」を学び、高校2年生で「日本画」を専攻する。この頃、円山応挙、伊藤若冲、長谷川等伯、雪舟、狩野探幽、鏑木清方、青木 繁、ミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ等に私淑する。文学では遠野物語、雨月物語等の民話・物語をよく読み、音楽ではクラシック、シンセサイザーの喜多郎や姫神、さだまさし氏のフォークミュージック等を好む。 当時、学校での成績が突出して良すぎた事で他の生徒の反感をかい、約1年半もクラスの全員から完全無視されるという苦痛を味わう。それでも、誰よりも早く学校に行きデッサン・着彩をし、誰よりも遅くまでデッサン・着彩をしてから帰宅する毎日であり、3年生の最後2ヶ月間位に新聞配達の住み込みを始めるまでは、無遅刻無欠席を通した。 大阪市立工芸高等学校 美術科を、美術実技・学科・体育ともに首席にて卒業する。同校の卒業生には日本画家の稗田一穂先生〔文化功労者、恩賜賞受賞者〕、彫刻家の淀井敏夫先生〔文化勲章受章者〕、デザイナーの早川良雄氏らがいる。 〈この小中高校の子供時代に、岡本太郎氏が審査委員長をつとめる絵画コンクールで佳作受賞する他、大阪府知事賞の受賞等、各種絵画公募展での入選・受賞は14回に及ぶ。〉 高校卒業後は東京に単身上京し、美術予備校の立川美術学院 日本画科で村上 隆氏〔現在、現代アートの第一人者〕、菅原健彦氏〔現在、京都造形芸術大学教授〕らに、デッサン・着彩を2年間学ぶ。一浪の時には、朝日新聞奨学生の制度を受け、新聞専売所の2階に住み込み朝刊・夕刊配達と集金をしながら予備校に通う苦学生であった。(その後も、他の仕事をしながら絵を描くという苦学の時代が長く続く。) 21歳で東京藝術大学 美術学部絵画科日本画専攻に入学。競争率は20倍以上という狭き門であった。当時の学長は平山郁夫先生〔文化勲章受章者〕で、大学では教授の加山又造先生〔文化勲章受章者〕、後藤純男先生〔恩賜賞受賞者〕、福井爽人先生らに「日本画」を学ぶ。 大学でも、1~2年生中頃までは誰よりも早く学校に行き誰よりも多く絵を描く毎日であったが、大学2年生の中頃に出世の兆候が見えた事への周囲の反発を受け、また、私自身が藝大に憧れるあまり実際は想像したよりも優れた仲間に恵まれなかった強い失望感(絵を学ぶのではなく、将来上手くやる事ばかりを考えている等)により、学校に行く事を完全に止め、約2年間、独自に絵画研究・写真研究・詩作・取材旅行等をしていた。その後、3年生の後藤純男先生の担当クラスに編入され、後藤先生の絵画への真摯な情熱を感じ、再び「日本画」を続けようと決意する。 大学3年生より「金唐革紙(きんからかわし。手製高級壁紙のこと、現在は「金唐紙(きんからかみ)」という場合もある。国選定保存技術)」の復元製作を始め、以後約12年間に「入船山記念館(呉市)」、「移情閣・孫文記念館(神戸市)」、「旧岩崎邸(台東区)」等の国重要文化財建造物の復元事業に携わり、この製作技術も日本画制作に取り入れる。(現在、金唐革紙製作の最も高度な知識・技術を保持しているのは私、後藤 仁となっており、2006年より実質的な国選定保存技術保持者として金唐革紙の保存に尽力している。) 大学3年生の時に、初めての海外取材旅行でインドネシアのジャワ島・バリ島を訪れ、エキゾチックな文化に魅了される。その後、中華人民共和国の北京・西安写生旅行を行う。大学の卒業直前に、私の絵の一番の理解者であった父を不慮の事故で亡くす。(警察によると自死であるという。)この時の心の傷は約8年後のインド写生旅行まで癒える事はなく、今までで最も辛い時期であった。「東京藝術大学美術学部 卒業・修了作品展(東京都美術館)」では日本画専攻の幹事を務め、展覧会企画と卒業・修了作品集の編集を取り仕切る。東京藝術大学の卒業制作は、インドネシアのボロブドゥール遺跡(世界遺産、世界三大仏跡の一つ)に取材した「昇殿」(F150号)。 大学卒業後は後藤純男先生〔日本美術院同人理事、東京藝術大学名誉教授、中国の西安美術学院(大学)名誉教授、日本芸術院賞・恩賜賞受賞者〕に師事して、日本画家として本格的に活動をする。(つまり、後藤 仁は後藤純男先生の弟子なので、後藤純男先生の師である山本丘人〔文化勲章受章者〕、田中青坪〔日本美術院同人〕の孫弟子にあたるという事になる。卒業に前後し、後藤純男先生に同行して、沖縄本島、北海道(富良野、知床の流氷)、東北(会津若松、田沢湖、角館)等への写生旅行をする。 日本画制作の初期は、国内・海外の取材を元にして、プランバナン遺跡(インドネシア)等の古代遺跡や阿蘇山・斜里岳等の自然をテーマとした雄大な「風景画」を中心に描く他、野に咲く花々の小品も多く手掛ける。1998年頃以降、「アジアの美人画/日本の美人画」をテーマに、アジアや日本の伝統文化・舞踊等に取材した人物画を中心に描いている。(1996年頃からインドネシアの女性・少女をモデルに「人物画」を手掛け始める。1998年からの一連の神秘的なアジア女性画を「天国の扉シリーズ」と名付け、その後、「アジア風美人画」と銘打った時期を経て、2006年頃以降は「アジアの美人画」と称するようになる。2018年頃から絵の主題が日本の人物・美人画に回帰する傾向を受け、それらのシリーズを「アジアの美人画」に対しての「日本の美人画」と名付けている。) * 後藤 仁の日本画作品の特長として、美術評論家や新聞記者からは、作家独自の鋭く繊細な鉄線描(てっせんびょう。法隆寺金堂壁画等に見られる描法)、幻想的・物語的な空間表現、アジアの民族衣装等の華麗な色彩表現、人物の清楚な美しさと人物の心を表出した目の描写の印象強さ、等が挙げられている。 また、現地取材を最も重要視し、世界各国(現在までに、中華人民共和国〈北京、陝西省-西安、上海、貴州省、広西チワン族自治区、チベット自治区、青海省-西寧、四川省、浙江省、山東省、江蘇省-南京・揚州、甘粛省-敦煌莫高窟〉、台湾、インド、ネパール、タイ王国、インドネシア、ベトナム、カンボジア、ラオス、ミャンマー、スリランカ、イタリア、バチカン市国の13か国・地域を取材)や日本全国(全47都道府県を踏破)での、時として困難を伴う場合もある単独取材旅行を多数敢行している。 現在までに、「赤穂市立美術工芸館 田淵記念館」、「飛騨絵本美術館ポレポレハウス」、「JR藤並駅ちいさな駅美術館」、「ちばぎんアートギャラリー日本橋」、「銀座教文館ナルニア国」、「丸善丸の内本店」等の多くの美術館・画廊・大型書店で日本画・絵本原画の個展を開催する他、後藤純男先生門下による「翔の会日本画展(銀座松坂屋)」(15年間-16回開催、後半の8年間は翔の会幹事を務める)、「日中藝術展(雲間美術館、中国・上海)」等のグループ展を日本全国・世界各国の美術館・画廊・百貨店で100回以上開催している。 絵画公募展での入選・受賞は、「三渓日本画賞展2000(横浜三渓園)」入選(審査委員 中島千波先生、平松礼二先生、草薙奈津子先生 他)、「新生展(新生堂南青山)」入選(審査委員 千住 博先生、中島千波先生、大矢英雄先生、藪内佐斗司先生 他)、「北の大地展(北海道)」佳作、「F展(大阪市立美術館)」大阪市立美術館館長奨励賞、他20回余り。 金唐革紙展では、「紙の博物館(東京都王子)」、「旧岩崎邸庭園(台東区)」、「呉市立美術館(広島県呉市)」、「大英博物館(イギリス)」等の全ての展示製品を製作して展覧している。 * 現在、千葉県松戸市にアトリエを構え、「アジアの美人画/日本の美人画」を中心画題として描く他、風景画や花鳥画等の小品も描いている。近年は、日本・中国・アジア各国の民話を元にした「絵本の原画制作」に力を入れており、「日本画」を軸とした様々な絵画表現を探求し、次の世代へ良き伝統文化や心の豊かさを伝えていく事に専心している。また、中国(中華人民共和国)等の海外での展覧会開催・絵本出版事業を展開中である。中国のネットメディア各種で、「東京藝術大学を卒業した国内外の第一線で活躍する芸術家(活跃在国内外第一线的艺术家)」として、坂本龍一、村上 隆、小田部羊一と共に度々紹介されている〈中国名 : 后藤 仁(ホータン・レン)〉。 作画絵本『犬になった王子 チベットの民話』(岩波書店)が、Internationale Jugendbibliothek München/International Youth Library Munich ミュンヘン国際児童図書館の「The White Ravens 2014/ザ・ホワイト・レイブンス 国際推薦児童図書目録2014」に、作画絵本『青蛙緑馬(チベット民話)』(浙江少年児童出版社・小活字)が、中国で「2022年度 桂冠童书 “百强名单”/2022年度 クラウンキッズブック トップ100リスト:絵本30冊」「第八届 爱丽丝绘本奖 终评短名单/第8回 アリス絵本賞 最終候補リスト」に選定される等、国内外で作品が高評価されている。また、『犬になった王子』は、宮崎 駿 氏の絵物語「シュナの旅」の原話になった事でも知られている。The original story of “Shuna's Journey(Hayao Miyazaki)” 2023年には、大垣祭り〔ユネスコ無形文化遺産・国重要無形民俗文化財〕 中町 布袋軕(岐阜県大垣市)の天井画『黒龍と四つ姫の図』を制作奉納した。〔2024年3月末で日本画画歴40周年、2023年2月で絵本出版10周年となる。〕 「NHK文化センター(NHKカルチャー)」、「読売・日本テレビ文化センター(よみうりカルチャー)」、「コープみらいカルチャー」、「河合塾美術研究所(東京校)」等で、多くの一般美術愛好者・美術予備校生に日本画・水彩画・デッサンを指導し、美術世界のすそ野を広げる事にも貢献してきた。2016年には東京造形大学「後藤 仁 絵本特別講義」を開催し、2017年度から2年間は東京造形大学・絵本講師に就任し、2017年11月から5年間は東京藝術大学・デザイン科講師として「後藤 仁 金唐革紙・絵本特別講義」も開催され、後進への美術・絵画の教育・伝承に尽力している。こうして現在までに、合計500人以上の美術大学生・美術予備校生・一般美術愛好者等への、美術・絵画の教育・伝承に尽力してきた。 自由闊達で独創的な創作を理想として、権威化・類型化・没個性化の進む美術団体には所属せずに、日本画無所属(後藤純男先生門下)として活動している。国選定保存技術 金唐革紙 製作技術保持者。一般社団法人 日本美術家連盟 会員〔入会ご推薦者:中島千波先生〕(安井曾太郎、伊東深水、山本丘人、前田青邨らが創立会員)。一般財団法人 日本中国文化交流協会 会員(井上 靖らが創立会員)。絵本学会 会員(太田大八らが創立会員)。一般社団法人 日本児童出版美術家連盟 会員(2014年~2019年)、理事・展覧会実行委員会委員長・日本著作者団体協議会 担当(2017年~2019年)〈現在退会〉。★現在、日本国内向けと、中国向けの「絵本」を制作中です~❣
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