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松井 和之 /美容家02faNdesyoN(ファンデーション)代表幼い頃、いわゆる街の床屋に行っては毎回眠ってしまい気がついたらいつも前髪パッツンのおかっぱヘアに...青年期も毎回ちょっとおませに外国人ミュージシャンの写真をもっていっては散々短くされたあげく結局坊主アタマにされたり人生初の美容室では、当時大流行のジャニーズタレントの写真をもっていけば、くるくるパーマをかけられるーそんなうちひしがれた想いで心斎橋にある大型有名サロンを雑誌でみつけ、同じ写真でオーダー。たった5分で写真通り、望み通りに仕上げた担当美容師の手際の良さとオーラに魅了され、その場所ですぐに働きたいとおもったほど感動...美容の道に進むことを決める。はれて憧れていた会社に無事就職、センスも磨かれ、高い技術を真近でみれたことはキャリアのスタートとしては申し分なく5年を修行にあてる。その後、時代の変化や慣れもあって今思えば当たり前のことなのではあるが、どこかビジネス優先、数字優先な経営スタイルに疑問を持ち始め、友人ら5名で心斎橋アメリカ村にCAREを立ち上げる16坪と小規模ながら徐々に人気店となり50坪~100坪と順調に成長を遂げ、たくさんのお客様の支持が得れたことはすごく有難いことであったが、なぜかそれとは反比例してじぶんを見失い始める。違うコンセプトで始めたお店もいつのまにか辞めたはずの大型サロン形態になりつつあるなかで、直感的にじぶんの置かれたポジションが空虚なものと感じだしてしまい、じぶんが求める美容スタイルとの矛盾を感じ、じぶんの役割、存在、お客様との距離、をもう一度見つめ直すため独立を決意。芸術家にはなれないが、芸術家の作業場のような工房(アトリエ)スタイルに憧れて大阪農林会館に 02faNdesyoN(ファンデーション.....注02は発音しません)を立ち上げる。ひとりで始めてみて改めて一対一で髪を創ることの喜びを思い出すことができたことで ようやくじぶんを取り戻す。やはりじぶんも 担当させて頂いていたお客様にもこのアトリエスタイルの方が居心地がよかったことを実感。「綺麗になった」はもちろん、「とっても丁寧」「期待通り満足」「周りからも好評」「カットのもちがいい」「手入れが楽」「頭のカタチがよくみえる」「髪が柔らかそう」...など嬉しいご意見を多数いただく。どうせやるなら”美容師”を超えたい。そんな想いから、冒頭の肩書きは”美容家”にしてみました...飛行機でおみえになるほど遠方の方や デザインにきびしいアパレル関係の方、クリエーターの方、なにより10年以上通ってくださっている方が多くいらしてくださっていることやSAVVYなど関西誌にもご掲載いただけたことも自信を後押ししてくれています。シンプルで何気ないボブヘアも『ふつうっぽいけど、なんかちがう、なんかイイよね』って職場で好評でした...などまさしく奇をてらったのではないその人に向けたデザインへの評価は本当に嬉しいんです。応接間(サロン)ではなく、工房(アトリエ)に拘ったならではの空気感の中で創り上げる”髪”は、あなたにだけ、あなたにしかフィットしない”髪”としてうまれかわらせます。 イヤなクセ やアタマのカタチにコンプレックスをもっている方たちに、クセ毛でもそのままでキマる髪,(=リアルヘア….RiaruHea)とまるで欧米人のアタマノカタチを手に入れたようなそんな骨格(=ファンデーション…faNdesyoN)をご提供するのがわたしのしごとです。わたしは髪を少しづつ裁断(カット)していきます…。だんだんとコンプレックスが消えていくときのお客様の表情の変化がとてもすきです。”似合わせていく”プロセスがなぜかハマるのです。新しいじぶんにワクワクしてきて おもわず顔が綻んでしまう瞬間をみれることが、 何十年とこのしごとを続けていてもやめられない理由のひとつです。夢はこんなアトリエを必要としているひとにもっと声が届いて”うれしい髪 (RiaruHeas)”をいっぱい創ることニューヨークにありそうな工房をイメージして造ったのに...ほんとは毎年でも行きたいのに...いや久しぶりにでも行ってみたいと思ってるのに...なぜか叶わないのでいつも妄想だけしてる今日このごろです。1964年 大阪生まれ50でゴルフできないと、老後に仲間外にされると脅され数年前に始めるも100切りは未。人生の教訓、コミュニケーション能力、メンタリズムなど仕事における課題との共通点が多く意外にもちょっとハマる(でもさいごのプレイは2年前の9月笑...)いろんな意味で程よくリセットさせてくれるジャズとスタバとランニングとバーがすき。
テーマ: ブログ
アラフィフ
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