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幕末にペリーが上陸した街、海軍軍港と米軍基地の街、横須賀市に住むhideこと小幡秀樹です。この街に住んで16年目になります。私は36歳の時に特定疾患である球脊髄性筋萎縮症の難病になって、現在は中途身体障がい者1級です、車椅子と杖をついていますが苦しみながらも普通の生活を楽しんでいます。(不自由を楽しむ、自分ではそう思って生きています・・笑)発祥してから全国の大学病院を駆け巡り、2001年に難病の正式病名が発覚そして難病認定。中学・高校時代はサッカーと武道(空手)に熱中し、社会人では関東社会人ラグビー2部のチ―ムに所属し10年間在籍。その他には趣味での二輪での全国各地ツ―リングや山登りそして国内外の旅行や移籍巡りをこよなく愛していました。最初は自分に起こった難病(筋委縮疾患)の障がいが受け入れられなくて、また人生でもいろいろな事が続き、そんな時に仕事の案件もあり、三浦半島横須賀市に移り住む事になる。横須賀に移り住んでからもいろいろな事がありましたが、横須賀三浦三崎の海やそして三浦半島の様々な自然あふれる景色風景や美味しい食べ物が私を癒してくれました。生まれは父方の私の祖父の倉の心の故郷あたる栃木県那須那珂町(旧馬頭町)で生まれて、1歳の時に両親離婚の事情により、一歳過ぎから祖母(父方の母)のばあちゃんに育てられてそして静岡県伊東市の宇佐美漁港のみかん山の麓で幼少期を過ごす。小学生からは栃木県の壬生町で16歳まで過ごす。16歳で今度は実父が蒸発し、実母と2年間栃木県小山市で過ごすことになる。高校卒業後に神奈川県厚木市で社会人のスタートを切るが、今まで自分をとりまく環境や自分自身自由人であったので、その後も海外を含めて13回もの移動・転勤・転職をしてきました。途中に治療方法が確立してない筋委縮疾患の難病を発症し自分の今後に自暴自棄にもなっていた。。。。でも、けっして恵まれた街ではない、いや厳しい街でもある横須賀三浦の街なのに、何故か離れられない。横須賀と三崎三浦半島の愛すべき人達また自分にとって何が幸せなのか?何をしてゆきたいのか?自分に何ができるのか?考えて行動してゆきたいです。皆さんとお話ししてゆきたいです
テーマ: ブログ
アラフィフ
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