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魂の幸せサポート力集中開花ナビゲーター坂口千絵です。仕事・お金・人間関係……ありとあらゆる悩みを力に変えていきたいあなたへすべての「活力源」である自分の魂とつながり、喜びあふれるサポート力へと導くナビゲーターをしています。・看護新人教育歴17年以上・150名以上の個人相談(セッション)経験・リピーター含めセッション回数400回以上「とにかく話しやすい」「具体的でわかりやすい」と多くのクライアントさんから好評。教育分野に関し、実際に指導を受けたスタッフから「坂口さんから指導を受けたことを誇りに思っています」と評され、過去のメルマガ配信では「坂口さんのような人から指導されたかった」との反響が多数あり。・共感力と影響力の高さを評される ・看護師・教育・指導サポート歴25年以上・大手看護転職サイト(マイナビ看護師、日総研、メディカ出版)など 全9社から依頼を受け、述べ1500記事以上の執筆経験あり、7年以上、 看護師さん向けに役立つ記事を提供しています。*義父の自殺、最愛の夫の病死を通じ、独学で死生観についてひたすら学んだ経験をもとに「誰かをサポートしている人のサポートに集中する」ことを決断。2019年、25年間の看護師人生に幕を下ろす。現在は、「悩み続ける日常の一歩、先へ」をモットーに自分の魂の望みを叶えたい人に向け、「魂の情熱本領発揮プログラム」をオンライン講座+個別セッションにて提供中。・最初に願ったことが半年以内に1つ残らずすべて叶ったという受講生をはじめ、・サポートする側される側の陰陽の気持ちを理解されてる坂口さん、優しくて面白い坂口さんの講座受けていてよかったと思っています!・知識ばかりを追っていた段階から行動のステップがちゃんと用意されていたのか?!と思うと、この先ワクワクしかない。くらいの気分です。など、好評を博す。直観力を駆使したセッションが大好評にて、続々と全国から受講生が集まっている。【看護師を志望した動機とは】18歳に私が思い描いていた未来。そこには「看護師」の言葉はひとつもありませんでした。看護師に対する興味や憧れなどはまったくありませんでした。それどころか、「私は看護師に向いていない」「看護師になりたいなんて思ったこともない」とさえ、思っていました。 そんな私がなぜ、看護師を目指したのか。きっかけは、「これからの時代は、手に職を持ったほうが絶対にいい」という看護師の伯母の一言でした。毎日ひたすら勉強し、受験した看護学校4校すべて合格!我ながら幸先の良いスタートを切ることができました。【進級もヤバかった!看護学校時代】良くも悪くも存在感が強く、何かにつけ目立つ私は、教務や実習指導者からも目をつけられました。「どうして私だけが怒られるの?」と思うこともしばしば。要領も悪く、看護技術の演習は何度も不合格。進級も危ぶまれましたがそれでも、なんとかクリアでき、ひと安心。その後、就職先を考えていたとき、たまたまテレビで、とある病院のドキュメンタリーを観ました。映っていたのは、一人の患者さんに何ができるのかを懸命に考え、患者さんの可能性を信じ、看護をする看護師の姿。「目の前にいる人の人生を。その人の可能性を最大限に引き出せる看護ができる病院って、なんて素晴らしいんだろう!」感動した私は、「絶対に、この病院で働く!!!」と、熱い思いを胸に念願の病院に就職しました。【看護師としてのプライドと苦悩】もともと、とても要領が悪い私は、同期のなかでも落ちこぼれでした。仲間は、いろいろな仕事を任せてもらえるのに、私だけが任せてもらえない。でも、3年目からは本格的にリーダー業務もするようになり、仕事も覚え、とても楽しかったです。当時、19歳で交通事故に遭遇し、片麻痺、意識障害となった男の子の看護を担当しました。「目の前にいるこの子の人生を、私が変える。絶対に社会復帰させる!」そんな熱い思いから、「私が立てた看護計画は、とても労力を要するものだけど、必ず毎日、実施してほしい」とスタッフに懇願。先輩からは、「たくさんの患者さんがいるのに、一人の患者さんだけ特別扱いはできない」と、苦言を呈されましたが、「19歳の未来ある彼のために、できるかぎりを尽くしたい」と言い切り、協力してもらいました。その後、彼は、見事社会復帰し、結婚。お子さんも生まれ、幸せな生活を送るに至るまで回復したことは、とても嬉しく、誇りに思っています。月日は流れ、看護師6年目。看護新人教育のリーダーに任命されました。当時は看護師の教育方法もリーダーシップのとり方もまるでわからない状態でしたが、責任感の強い私は、毎日毎日、必死で4人の新人を同時進行で教育しました。夜遅くまで残り、指導と振り返りの日々……。スタッフには、「そんなに詰め込まなくてもいいのでは」「遅くまで残される新人さんたちがかわいそう」と批判されました。何が正しいのかわからない。だけど、一度、漕ぎ出した船から途中で降りるわけにはいかない……。プライベートな時間も削り、新人看護師たちを前に振り返りと反省を繰り返し、毎日残業の日々……。とにかく、つらい、苦しい……の連続でした。【夢や希望に胸を膨らませて就職したのに、看護師現実は……】「目の前にいる人の人生を。その人の可能性を最大限に引き出せる看護ができる病院って、なんて素晴らしいんだろう!」そう思って夢や希望を抱いて就職したのに、平均在院日数はどんどん短縮され。せっかく良くなる兆しが見られた患者さんも、すぐに転院し、状態が悪化してしまうかその後の状況がわからない。「患者さんに十分な看護ができない」そんなジレンマに苦しみながらの毎日。いつしか私は、「患者さん一人ひとりに十分な看護ができないなら、看護師やってる意味なんてない」と思うようになりました。あまりにも多忙な仕事を流れ作業的にこなすだけの日々。鳴り止まないナースコール。転倒・転落する患者さんも後を絶たない。オムツ交換、食事介助、口腔ケア……。点滴管理、急変対応、経管栄養の施行……。時間内に看護記録も書けない。看護師として働く気力も失せ、どんどん疲弊しているのに、多重業務は増えるいっぽうで心の余裕もない。当時、ひたすら頭をよぎった言葉は、「もう辞めたい……」でした。「患者さんに優しくできない」看護師としての自分を信じられなくなった私は、逃げるように7年半勤めた職場を退職したのです。それは、私にとって初めての看護師としての挫折でした。【はじめての転職、そして人生の転機】29歳にして初めて「転職」した私は、相変わらず要領が悪く、なかなか仕事を覚えられずに先輩たちから白い目で見られていました。前の職場ではバリバリ、夜勤もしてたし、リーダー業務もしていたのに、「あの人、夜勤に入って大丈夫なの…?」とも言われました。先輩たちに悪口を言われていることを別の先輩が私に教えてくれたり。(余計なお世話です(爆))そんなこんなで、まあ、本当にイヤな思いをたくさんしました。それでも、この職場を辞めなかった理由はただひとつ。「マンションのローンを払い終わるまで、辞めるわけにいかないんじゃー! ボケー!!」…ものすごい怒りを原動力にし、ひたすら耐えしのびました。3年ほど過ぎ、再び看護教育のリーダーになりました。そのころから私は、とある後輩に対し、異常なまでの精神的苦痛を抱くようになります。生意気、命令口調、上から目線、作話、非を認めない、自分が評価されることが一番大事、攻撃性が高く「自分が一番」。なんでも人のせいにする……。そんな彼女をどうしても受け入れることができなかった私。そして、そんな自分を許すことができずに、私はどんどん自分を追い込んでいきました。心が苦しくてどうしようもないという体験をこれでもかというほど、味わいました。そんな矢先に、たまたまネットでものすごく惹かれるサイトを見つけ、無我夢中で一日かけて読みました。「ところで、この人の職業は何だろう?」とプロフィールをみたとき、「コーチングのコーチ」であることがわかり。「札幌でコーチングの資格を取れる学校はないのか?」と検索し、とあるコーチングスクールの体験会に参加しました。「私が求めていたものは、これだ! 」その場で入学を申し込み、50万円以上のお金を迷いなく払いました。これまで、社会人として付き合いがあったのはほぼ看護師仲間だけの私にとって、いろいろな職種の人とともに学べるのは刺激的で貴重でした。哲学、心理学、物事の本質、生きる智慧、コミュニケーション方法……。本当にたくさんのことを学びました。そして、コーチングのコーチの資格をとったあとは、カウンセラーの資格もとりました。その後、結婚退職で現職の看護師を離れ。1年弱で夜勤専従看護師として仕事を再開しました。【人生で一番の絶望を経験】2016年6月27日。この日は私の人生において、もっとも残酷な日でした。20年以上、ともに人生を歩んできた夫が、膵臓がんの発症により、5ヶ月間の闘病生活でこの世を去りました。私たちは本当に仲良し夫婦でした。かけがえのない一瞬一瞬を、カメラにおさめるかのように味わい、日常の何気ない幸せを噛み締めていた日々。でも。「ねぇ。俺たちって、本当にいつも一緒だよね」と嬉しそうに話し、「これからも、ずっとそばにいるからね^^」と微笑んでくれていた夫はもう、私のとなりにはいません。二度と手をつなぐことも、笑顔で抱きしめ合うこともできなくなりました。夫がいない世界で、私が生きていく意味なんてない。 完全に生きる気力を失った私は、夫の後を追いたくて仕方がない絶望の日々を過ごしていました。*そんな中、私が死を思いとどまった理由はただひとつ。私の家族、そして何よりも夫と一緒に大切に育ててきた愛犬にだけは、愛する人がいなくなった世界を味わわせたくない。私は29歳の時に大切な義父を自殺で失っています。残された母や妹が悲しみを耐え忍んでいる姿を見て「死ぬのだけはダメ。絶対に死んじゃダメ」と、何度も何度も自分に言い聞かせ続けましたが、死を思いとどまることだけで精一杯で生きる気力が湧くことはありませんでした。「これからのママさんの人生が、どうか幸せでありますように」夫が、病床でポツリと私につぶやいた言葉を何度も思い返しましたが、逢いたい気持ちだけが募り、「どうして、私を追いていったの? ! 」「どうして、返事してくれないの? ! 」「ずっとそばにいるって言ったじゃない! ! ! 」と泣き叫びながら、眠りにつき、目が覚めても隣に夫がいない現実を受け入れられずに、ただただ茫然とし続ける毎日を送っていました。自分の人生なんて消化試合だと本気で思っていました。でも、2年半が経過したある日、私の人生は急激に予想だにしない方向へ展開しました。*「まだ一日しか経っていない……」「お願いだから早く迎えに来て」と毎日のように嘆いていた私だったのに。今は、時間がいくらあっても足りないくらいやりたいことがいっぱいで、自分の未来の可能性にこみ上げる喜びの感覚がずっとずっと続いています。私の「一貫した信念」とは。「目の前にいる人の人生に深くかかわり、可能性を見出し、それを引き出すこと」。そして、「あなたは悩みと格闘している暇なんてない。あなたの魂はそんなこと、望んでない」そのことをお伝えするために、日々、思いを綴っています! 魂の情熱本領発揮プログラム5日間無料メール講座https://peraichi.com/landing_pages/view/yokubara717
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