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「卓球ド下手だったわたしが、裏面打法を習得して全国大会に出場できたワケ」はじめまして。裏面打法研究家のたくたまです。タイトル通り、わたしはペンホルダーの裏面打法を多用し、試合で勝ち上がり、全国大会出場を決めたことがあります。と、偉そうに言いましたが、全日本選手権連続出場!みたいな、みんなに自慢できるほどの実力を持っているわけではありません。(悲しい。。)それでもその時は、念願の全国大会初出場で、最後の一本を決めたとき、膝から崩れ落ちたのを覚えています(笑)。一生懸命練習してきてよかったな!と心から思えた最高の瞬間でした。あの時の感動を今年も味わおう、来年も味わおうと、社会人になった今でも練習を続けています。「中学校の戦績は県大会1回戦負け」そんなわたしは中学校から卓球を始めて、中学、高校と普通に練習してきました。おそらくみなさんと同じスタートラインです。中学校での戦型は日本式ペンホルダーのドライブ攻撃型。まあ始めたてだから、どの技術もめちゃくちゃでドライブ攻撃型もなにもないのですが。顧問の先生もほとんど卓球を指導できる人ではなかったから、先輩に教わっていました。この頃は、心から強くなりたい!という気持ちよりも、やらされていたような感覚だったので、それほど熱意もなく、中学校三年間で最高の成績は県大会1、2回戦までしか行けませんでした。「高校でも泣かず飛ばず」その後、地元の高校に進みます。選んだ理由も自宅から近かったから。卓球は好きだったけど、強豪高校に行こうとは考えもしませんでした。その高校でも、顧問の先生はあまり卓球ができる人ではありませんでした。しかし、心も体も成長していくにつれて、試合でなかなか勝てない経験をするたびにすごく悔しい思いをたくさんしました。技術はなかなかついていかなかったのですが、卓球が誰よりも好きという思いが芽生えました。結果的には、高校での戦績も県大会ベスト32が限界でした。あまり強い選手とは言えません。全国大会には程遠い戦績でした。「未知の世界、強豪大学へ入学」そして高校卒業後、卓球が強くなりたいという強い思いがあったので、親にお願いし、卓球強豪大学に進学することを決めました。恥ずかしいので大学名は言えませんが、わたしが入学した大学は、学生リーグ1部で今も活躍している大学です。その大学での経験は、卓球ド下手のわたしからしたら異次元の世界でした。全国の県チャンピオンが集まってくるのですから。初めて大学で練習試合をしてくれた相手は、1つ上の先輩で仙台育英高校出身のインターハイベスト16の選手でした。わたしからしたら神のような存在です。3点しか取れなかったのを記憶しています(笑)。同級生や先輩の練習を見ているだけで強くなれました。気のせいではなく、本当に強くなるのです。ちょっとした諸事情があり、残念ながら1年間でこの大学を辞めてしまうことになるのですが、この大学での経験はとてつもなく貴重で今でも感謝しています。「社会人になってから裏面打法を始める」その後、就職し、卓球の練習からしばらく離れることのなりました。もう一度卓球をやり始めたのは25歳くらいからです。始めようと思った理由は、ただただやってみようと思ったから。楽しむために裏面打法を始めました。Wang hao選手が頭角を現してきた時だったと思うので、見よう見まねで打っていました。これがきっかけで全国大会に行けるようになるとは、この当時は思いもしませんでした。練習しているとけっこう楽しかったんです。その時同じクラブには裏面打法を使っている選手はいなかったし、なんとなく優越感がありました。今思うと、振りはめちゃくちゃだったし、球質はとても悪かったです。しかし、独学ではありますが、研究に研究を重ねていくうちに、だんだんと球質が上がっていき、スイングも良くなり、試合で勝てるようになってきたのです。それが、29歳の時です。裏面打法を始めて4年目ですね。そして、30歳の時になって初めて出場した東京選手権予選の30代の部で全国大会出場の切符を手にしたのです。なんだ年代別か、と思うかもしれませんが、わたしにとっては信じられないことだし、最高の瞬間でした。そして、今でも、少しでも強くなろうと悪あがきをしている最中なのです。現在進行形で卓球の上達を目指している、そんな私のブログでよかったらぜひ応援よろしくお願いします。
テーマ: 卓球動画
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