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自己紹介ベストラインはお客様の効率化を目的にアウトソーシングを行い、物流業者様(協力会社様)と共に成長をめざす会社です。突然ですが、この世の中には(衣食住)「物」「物」「物」がたくさんあります。この全ての「物」を消費者様にお届けするのが、我々物流業者の仕事になります。このたくさんある「物」の中から当社は2つの「物」を自信をもって運んでおります。❶建材(システムキッチン・ユニットバス・床材等)をお客様様のところまで直送または搬入(全メーカー対応可)❷近畿2府4県の個配送又は共同配送。(荷物が少ない時、とてもトラックをチャーター出来ない時、近畿2府4県ならぜひ当社のネットワークを使用して下さい。)この2つの「物」の扱い、配送は誰にも負けません。絶対の自信!!★またお客様に提案型営業を積極的に取り組み、「安いトラックの使い方」より「お得なトラックの使い方」を提案させて頂き好評を頂いている次第で御座います。〜代表取締役辰己千里のProfile〜■1972年12月11日に次男として奈良県五條市に誕生する。■ 4才〜5才頃幼い頃は兄や近所のおに〜ちゃんによく遊んでもらっていた。ただ年上の人ばかりでよく泣かされていた記憶がある。■5才〜12才頃幼稚園から兄に連れられて少年野球に行く。そこでもよく泣いていた記憶がある。小学6年まで野球にあけくれる。お陰で5年でキャプテン、キャッチャー、4番となった。この野球を通して沢山の友達ができた。現在ももちろん友人である。■13才〜15才頃遊びざかりの6年間野球にあけくれていたせいか中学生時代は仲間達と青春時代を過ごす。(漫画・Be-Bop Highschoolに憧れて)■16才〜18才頃青春時代が止まらずこの3年間も仲間達とおもっきり遊んだ。(漫画・ホットロードに憧れて)この時期は僕の父がトラックでよく大阪へ配達に行っていたのでよく助手で行っていた。その当時父の口癖は「何の仕事をしてもいい。誇りある仕事をせい!ただ運転手だけはするな!」と言っていた記憶がある。■18才〜24才頃車の免許証を取得しトラック乗りの血が流れているのか、父の言ったことも聞かず18才半には運送会社に務めていた。始めて1人で乗ったトラックの大きさ、ハンドルの大きさは今でも鮮明に憶えている。今までも色んなアルバイトもしたが、トラックの仕事は自分にとって最高だと思った。やがて23才頃にトラックを自分自身で所有し独立をしてみたいと考えだした。■24才頃〜考えたらすぐ実行主義は今も昔も変わらず24才には社会の右も左もわからないクソガキがトラックを購入し白ナンバーで「タツミ商事」として独立をした。■31才頃〜僕の人生にとって決して忘れてはならない恩師との出会いがあり、そして色んな人達の協力のもとで2004年に「一般貨物自動車運送事業」営業ナンバーをとる。この日はじめて妻と2人で車の中で泣いた記憶がある。嬉しくてたまらなかった。緑のナンバーはそれほど僕たちにとって手の届かないものだった。社名は妻と2人で考え「有限会社ベストライン」とした。お金も無い2人が司法書士にも言えず2人で会社の定款を作り、法人化にし営業ナンバーを運輸支局に提出をしたのもはっきりと憶えている。これがある意味はじめての共同作業となった。そして現在のベストラインに至る。■僕の「夢」①お世話になった五條市に何か恩返しをしたい。内容はまだ未確定。■僕の「目標」①10年後、20年後も今と変わらず家族へも社員へも笑顔のもてる家庭、職場の環境の維持。■僕の「孝行」①やはり父に連れて行ってもらった大阪があったからこそ今の自分がある。何か父に親孝行をしたかったが平成22年に他界。改めて父親のでかさに気づく。今は家族を幸せに社員を幸せにすることが、僕が父に対する親孝行だと思っている。最後に「夢」「目標」「孝行」は僕の人生一生続くものだと思うが、今日を大事に明日をもっと大事に頑張ります。。。 以上
テーマ: ブログ
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