ブログをブロックする
ブログを報告する
ピアノが大好き!教えることが大好き!人との関わりを大切にしている私のプロフィールです。ご覧ください。【パンとコーヒーとクラッシック】父がクラシック好きであったことから家にはレコードがたくさんあって、週末には、いつもクラシック音楽が聞こえている我が家でした。私の中の日曜日…それは、焼きたてのトーストと入れたてのコーヒーの香り。そこに、質の良いクラシック音楽の音色が乗っかって。そんな中で目覚める幸せな日曜日の朝。今でもトースト、コーヒー、クラシックの三つが揃うと当時がよみがえってきます。★幼稚園年中より音楽教室でグループレッスンを受ける。(卒園まで)★小学校1年よりピアノ個人レッスンを習いはじめる。【音楽の先生は美しいイメージ】小3の時に運命の出会いが!小学校の音楽のK先生。それはそれは美しく品のある素敵な先生。先生は武蔵野音大卒。初めて音楽の先生ってステキ!!と思った憧れのK先生でした。同じく小3のときから、★武蔵野音大付属音楽教室に入室1週間の中でピアノのレッスンに通ったり、音楽教室に通ったりの子供時代。その頃には大学受験という概念はなかったものの、こんな音楽の先生になりたい、私も武蔵野音大に入りたい!…そんな思いが漠然とあったように思います。【スタインウェイのグランドピアノ】当時通っていたピアノの先生のお宅には艶消のスタインウェイがありまして、子供ながらに素晴らしい楽器を弾かせて頂いていることは感じていました。芸大出身のいかにも男性の芸術家という風貌の先生のいらっしゃるレッスン室で、先生がピアノを弾いて下さるとなんともまーるい温かい音が聞こえてくる。そんなレッスンの場は私にとっては週に1度の特別な空間でした。学校の音楽クラブでのパートはトロンボーンで、音楽教室とあわせて多くの楽器に触れることのできた環境は、私の中の音楽のベースとなっています。【中・高時代】音楽の先生はお二人とも芸大ご出身の先生。声楽科ご出身の先生と作曲科ご出身の先生でした。そのこともあり、音楽の授業は充実していましたし、校内音楽会などはとても力を入れている学校でした。毎年開催される校内音楽会のためのオーディションでは、一喜一憂しながらも充実感いっぱいの学生生活でした。高2で音大受験を決意。ピアノの先生も変わり、とても厳しくはありましたが、私に足りなかったものを引き出してもらえたことは本当にありがたかったです。高校三年生の追い込みの夏頃には7~8時間は練習していた記憶があります。自分の演奏については…・真面目すぎる・表現が苦手などの課題があり、なかなか自分の殻を破れないことには苦しみましたが、大学受験での本番では努力が報われたのでしょう。力を出し切ることができ、晴れて武蔵野音楽大学の学生となりました。【武蔵野音大ピアノ科入学後】目から鱗の出来事!音大生となっとものの、ピアノ演奏においては依然課題があったなか大学3年生の時、同級生や先輩の歌や楽器の伴奏を引き受けている中で、ある先輩の声楽のレッスンで素晴らしい先生に出会いました!その先生はレッスン中、伴奏者である私の横で常に歌われて、ご自分の生徒だけでなく伴奏者の演奏も盛り立ててくださるのでした。そしてこの先生、歌の歌詞の単語一つ一つに色をイメージさせる先生で、当時の私にはそんな風に歌詞を基に色をイメージして演奏の内容を豊かにする方法がとてもわかりやすく、これは歌詞のないピアノ曲でも表現の手段として可能なのではないかと、みるみるイメージが湧いてきたのでした。タイトルがついている楽曲はもちろんのこと、そうでない曲でもメロディーを聴きながらそれに見合った色をイメージしてみるようにしたものでした。また、色だけでなく、曲の作られた背景などを調べることで、曲を物語のようにして演奏することを積極的にしはじめたのもこの頃だったでしょうか。このような経験より、お教室の生徒さんたちには、「イメージすること」を大切にしながら・気持ちをこめた演奏・豊かな表現での演奏・委縮しないおおらかな演奏などなど、お伝えしながら指導させて頂いております。【教育実習での出来事】★大学2年の時にピアノレッスンをスタート。その頃は3~4人をレッスンしていました。そして教職免許をとって、中学校の音楽の先生になりたいと思うように…大学4年生の春。夢に溢れて参加した教育実習。毎日本当に大変ではあったものの日々得ることは多く充実の日々。でも、ある日の休憩時間に若い先生たちと話す中、ある一人の先生が、私の教育担当である音楽の先生のことをとても悪く評価した言葉に若かった私はとてもショックを受けました。それでも実習後に実習生1人1人の実習記録に所見を頂く中の校長先生からの所見欄に「あなたは教師としての基本的資質のある人。また生徒を引きつけることの出来る人。」と評価頂いたことは、その後、私がピアノ講師を続けていく上で糧となっているメッセージです。【一般企業へ就職】そのような嬉しい評価を頂いたものの、その時の私は、とにかく一度一般企業へ就職しようと決意。その後、約6年間の一般企業勤務の間もピアノからは離れず、週末はピアノを教えたり、レストランでの演奏を続けておりました。そして、きちんとピアノ教室を開きたいという意志が強くなり、1998年に退職を決意。その後結婚。【母達との別れと子供たちとの3人生活】2010年の秋 母がある日突然、帰らぬ人になりました。当時、小学校4年生と1年生だった息子たち。子育てにピアノにと、いつも応援していてくれた母の死から立ち直るのは時間がかかりました。家庭環境は激変!2013年 夫が単身赴任に。当時中学1年生、小学4年生と思春期を迎えた息子たちとの三人の生活がスタート。当初は、夫が不在の中、一体この子たちをどうやって育てるべきか、私一人でやっていけるのだろうか、不安がいっぱいでした。そして夫不在となって初めての夏休み。この長いお休みをどうやって過ごすのが息子たちのためになるだろうか、真剣に考えました。色々と考えた中で、3人で一緒に出来ることとして、登山を始めてみることに!陣馬山~高尾山の縦走(長男:中1、次男:小4)疲れて泣きそうになる当時まだ小4の次男を励まし、3人で縦走しきった時の達成感と感動は今でも忘れられません。御嶽山~大岳山(長男:中2、次男:小5)ほかにも日本100名山の山梨の金峰山では…森林限界も超え大きな大きな岩だらけの頂上付近で、当時中3の長男に反対に引っ張ってもらった時には、主人不在の中、かえって息子たちは逞しく育ってくれたのではと思ったのでした。そんな中、2015年の秋、今度は義理の母が帰らぬ人に。実の娘のように私のことを可愛がってくれていた義母の死もまた辛いものではありましたが、子供たちや、生徒さんたちとの日常を過ごすことが何よりも私に力をくれました。【ピアノ教室】学生時代から細々と続けていた実家のレッスンに、ここ世田谷でもレッスンするように。そして、母の死後には実家のブリュートナーのグランドピアノを世田谷の自宅へ移動させて現在のスタイルとなりました。【男の子のレッスンが得意に】偶然でしょうか?私のお教室には男の子がよく習いにきてくださいます。・『さすが、息子さん二人お育てになって!』と、ときどき言われるのですが、そんな時には日頃は大変なことがあっても2人の息子たちに感謝です。やんちゃな坊ちゃんも含め、どんな男の子とのレッスンも楽しくさせて頂いているのは息子たちの子育て経験あってのことかと自負しております。一方、初対面の方によく『お子さんは、娘さんがいるでしょう?』と言われることもしばしばで…(不思議です)こちらは、学生時代からお嬢さん方のレッスンを続けてきたことから、そのように言われるのでしょうか?謎ではありますが、男の子、女の子どちらでも楽しくレッスンさせて頂いております。大学時代にピアノを教えはじめた頃には、ピアノそのものは教えていたとは思いますが、今思うに、小さな子供さんとのコミュニケートもおぼつかなかったかもしれませんし、その子自身を伸ばしてあげれようなどとは考えも及ばなかったと思うのです。でも!!今は、どんな生徒さんがいらしても大丈夫です!!これまでの一人として同じ生徒さんはいない経験、そして2人の息子たちを通しての子育て経験を通し、どのようなお子さんにも、その子その子の個性を大切にしながら今日も楽しく、そして時にはちょっぴり厳しくレッスンをしています♪ピアノを通して、音楽が生涯の友に…という思いと一対一でのレッスンを通してお子様方の成長のお役に立てればという思いをもったお教室です!!また近年《ピアノdeクボタメソッド》の認定教室ともなり、現在ピアノクラスとともに生徒さんがいらして下さっています。どちらのクラスもご興味ありましたら、ホームページやLINE @からお問い合わせ下さいませ。
テーマ: ピアノ教室
テーマ: ブログ
教室・スクール
アメンバーになると、アメンバー記事が読めるようになります