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昭和57年1月27日、大阪市内のとある病院の産婦人科で、4000グラム以上の大きく立派で健康な身体を持つ、色白茶髪のゲラな赤ちゃんが産声をあげた。オギャー!物心ついた頃から、強さに憧れを持つ。小学生当時は、一人で腕立て伏せや腹筋をするなどして、本能的に身体を鍛えていた。学校ではひょうきん者、家では泣き虫な子供だった。思春期は、空手やボクシング、ウェイトトレーニング等をして、身体こそ鍛えはするものの、素行不良、ケンカや悪さを繰り返し、鑑別所や少年院に何度もお世話になる程の、札付きの悪ガキでした。19才の時、ある事があり真面目に生きていこうと決意。同時にトレーニングにも没頭する。ジムだけでなく、山から持って来た岩で身体を鍛えたりもしていた。2003年、ジムの先輩に誘われ大阪クラス別ボディービル選手権を見に行く。初めて見たボディービル大会で、「来年、出たら優勝出来る自信がある」と公言した。その言葉がキッカケとなり翌年のボディービル出場を決意する。2004年、デビュー戦で公言通り見事、大阪ボディビル選手権ライトヘビー級優勝歴代最年少記録(当時は若干22才)二ヶ月後の日米親善セントラルジャパンチャンピオンシップスではヘビー級とオーバーオールで優勝当時、ベンチプレスの大会でも優勝した。JPCが主催するストロングマンコンテスト(怪力大会)で二度、日本チャンピオンの栄冠を手に入れる。フライパンを軽々と折り曲げる怪力芸をTBS系「オールスター感謝祭」で披露したことがある。この時の記録は一分間に15枚のフライパンを丸める。2006年2月大阪プロレス入団テストに合格、翌月の3月に入団。同年11月にヒールユニット、バッドフォースのメンバーとしてプロレスデビュー。翌月の12月にはデビュー1か月に満たないにもかかわらず、デビュー8戦目でGAINAとのタッグで大阪プロレスタッグ王座を獲得した。大阪プロレス9周年興業では曙とシングルで対戦、200kgを超える曙を世界で初めて投げ飛ばした。ハッスル横浜大会で行われたハッスルGP2回戦ではボブ・サップに勝利。試合中、ボブ・サップに滞空式ブレーンバスターをした。2009年7月19日ボクシングプロテストに合格を果たす。仲里・ATSUMIボクシングジムに所属崔領二の兄、総合格闘家のRYOとボクシングルールのエキシビジョンマッチで善戦(ルール上、裁定無し)ボクサーは、姓か名前をリングネームに付けなければならない為、【ZEUS金谷】としてデビュー。デビュー戦で判定負けする。ボクシングを習得し成功するには、かなりの時間と経験が必要であると実感。今から始め、「一年で日本チャンピオンになる」と宣言するとは何とおこがましことかと知った。そしてプロとしてボクシングする事を断念。ボクシングを始めてから、プロレスに愛情がある事を知った。2010.4.29大阪プロレス11周年興行にて再びプロレスのリングに復帰するも、納得がいかず、半年後の完全復活を誓う!2011.11.12ゼウス完全復活興行にて、プロレス復帰した。ゼウス 関本大介組 対 曙 ドン・フジイ組でゼウスがドン・フジイから勝利!試合中は、曙を肩に担ぎバックフリップで投げ飛ばした。現在、プロレスラー ゼウスは大阪プロレスを主戦場として活動しながら、ウェイトトレーニングのパーソナルトレーナーとしても活動している。
テーマ: ブログ
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