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心理カウンセラーであり心屋入門認定講師エデンの森「いっぺん死んでみるWS」認定講師そして不安症とともに生きるボランティア団体「不安なハリネズミたち」代表も務めています。2度の離婚経験者。再々婚。現在、旦那さんと二人暮らしです。両親と兄二人の5人家族の中で育ちました。父親の酒癖の悪さ、女癖の悪さから毎晩、壮絶な大喧嘩が繰り広げられる機能不全家族でした。兄二人ともに障害があり、それゆえ、母親からは「由美だけが私の生きる支え」という扱いの中母親との強固な共依存関係を構築していきます。母親の幸せが私の幸せ。母親をいつも慰め、励まし、勇気づける。それが私の役割でした。私が生きる意味はそれだけでした。なので、幼少の頃より、何よりも母親の死が私にとっての恐怖で母親が死んでしまったら迷わずに後追い自殺をしよう、とつい最近まで、心に決めていました。今、思えば離婚結婚を繰り返したりすぐに人との関係を断とうとしたり人の感情ばかりを優先させ役に立たなければ私の存在価値なし、と思う心の癖は母親との(あるいは父親との)関係から由来する愛着障害が深く影響していたと考えています。それも、かなり重症でした。私は私の感情がわからなかったのです。母親が嬉しかったら、私も嬉しい。母親が好きだったら、私も大好き。母親が喜んだら、それが私のやりたいこと。食べ物も、服装も、友達も、進学も、彼氏も、結婚相手も、生き方全てが、母親の気持ちで決定されるのです。そして、その結果進学も就職も結婚も何もかもが順風満帆。誰もが羨む生活をする私。それを誰よりも喜びいつも世間に対して娘自慢をする母親。そんな私を欠乏感、虚無感、無価値感が襲います。そして私は30歳の時に全てを捨てて駆け落ちをします。きっと、それは遅すぎた反抗期。だけども、その反抗期も、捨てたものの大きさに絶望し、今度は、私自身がどんどん壊れていくのです。共依存というアンバランスな上でバランスを取るのが上手になっていた私がそのアンバランスを抜け出ようとすることは(共依存を抜けようとすることは)また、今度は大きな揺り戻しの中、バランスを失っていくことでした。この時に何度も死のうとします。だけど、今思えば、そのバランスを失うことこそが(アンバランス、共依存を抜けようとすることが)今の私へと生まれ変わらせてくれた、そんなきっかけとなりました。「死と再生」人が苦しみ、もがき、絶望するときそれは再生への通り道だと考えます。苦しみが大きければ大きいほど絶望が深ければ深いほどその先の希望に繋がる可能性いわゆる「再生」「生まれ変わり」があると私は信じています。私がお伝えしたいのは「自分と繋がることは、人と繋がることである」私は私自身と全く、繋がっていませんでした。後追い自殺を決めていたり何かあるとすぐに死のうとしたりいつも「死」を私のそばに置こうとしていたのも私が私をいつも置き去りにし私が私をいつも孤独にしていたから、なのです。私は一体誰なのか私は何がしたいのか果たして、私は本当に生きているのか幼少の頃から無意識レベルで、そんなことを感じていてだから、存在している実感も持てずに死の影に支配されてたように思うのです。「自分と繋がる」これを実践し始めてから私は人が怖くなくなりました。生きるのが怖くなくなりました。ようやく、人と繋がり始めました。ようやく、生きている実感を持ち始めたのです。今は、どこにいても、誰といても、どんな場面でも「私は私のままでいい」そんな感覚を確かに感じながら日々、安心の中で、眠りにつけるようになりました。
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メンタルヘルスカウンセラー
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