ゆきむし(後藤 聡)

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プロフィール

【2018年6月14日】
この日はきっと一生忘れることのできない1日となりました。これまで勝手気ままに書いて来たこのブログのテーマも完全に変えてしまうほどのものでした。

「後藤さん、ご両親やご家族に癌や腫瘍で亡くなった方はいますか?」

「いえ、全く…」

「では、身体の一部が腫れたり、カフェオレ色に変色してる部分はありませんか?」

「自分の身体を事細かく見たわけでもありませんが、多分そんなものは無いと思います」

「そうですか。単刀直入に言うと後藤さんの脳内に腫瘍が見つかりました。この腫瘍が原因で耳鳴りがするし、聴力が落ちてるのだと思われます。ただ……」

「ただ?…」

「非常に珍しいのですが、左右両方にあるんです。このような方を函館では手術などできないため、良い先生が札幌と東京にいますが後藤さんどちらにしますか?」

「え?はぁ…さすがに東京は遠すぎるので札幌に…」

「では紹介状を書いて、CTやMRIの画像もCDに焼いて持って行けるようにしますね。少々待合室でお待ちください」

「……はい。」

これが始まりでした。


【ご挨拶】
ご挨拶が遅れました。ゆきむし こと後藤 聡と申します。「ゆきむし 」というのは僕がブログを始めた時からブログネームとして使っていたもので、途中から本名を使うようになりましたがブログネームへの愛着もあるため一緒にくっつけて使っています。

名古屋生まれの52歳。
いい歳したおじさんですが、子供ができたのが遅かったので12歳になったばかりの愛娘がおります。ブログ内でも度々親バカ記事も載せてますので、読んでいただけると溺愛ぶりをご理解いただけるかと思います。

5年ほど前にブログを始め、その始めた動機はものすごく不純なもので、ネットでお金を稼いでサラリーマン生活から脱出したい!だったらブログで集客してお金儲けに結びつけなきゃ!なんてことを目論んで書き始めたのが、いつの間にやらブログの楽しさにハマってしまい、当初の目的のネットビジネスは遠い彼方に消え去っていました。

冒頭に書いた病気のことを知るまでは、テーマも絞らず、好き勝手なことをほぼ毎日ブログ記事に書いてましたが、さすがにこんなことがあるとブログの内容も病気中心になってしまいました。

この病気を知った時、個人的な、それもかなり重い病気のことを本名を晒してるネット上で自ら晒すのは如何なものかと悩みました。しかし、ブログって「自分発信の場」だと思ってるし、そのような類の記事もたくさん書いて来ました。

今こそ、自分の思いや感じたこと、そして心の動きなどを素直にあるがまま表現するべきじゃ無いか?と自問自答の末、全てを晒すことを決めました。正直記事を読む人によっては、こんな不快なもの読みたくないと思う人もいるかと思います。しかしそのような人に向けたオブラートに包んだ記事を書いて、自分の本心とは違うことを書いたとしても仕方がないと考え、素直に思った通りに書いています。



【経緯】
今は函館のケーブルテレビ会社で営業として勤めていますが、ここまでの道のりは波乱万丈で、大卒で就職したところでずっと働き続ける人からすれば「何をフラフラしてるんだ!」って思えるような経験をして今に至ります。すでにブログ内にも僕の過去のことはたくさん書いてますし、今後も記事にするかもしれません。

ここでは「病気」に焦点を当て、その経緯をお話しします。

一番最初に異常を感じたのは3年ほど前。左の耳で高音の「耳鳴り」がするのが気になって、耳鼻科に診察に行ったのが始まりでした。

その時聴力検査もしてもらい、耳の鼓膜なども調べてもらいましたが、多少の聴力低下は見られるものの加齢による聴力低下は当たり前だし、耳鳴りそのものも気にしすぎるから気になるものだとの診断をされて、処方箋も治療もなく終わりました。

ちょうどその頃、それまで今の会社で契約社員だった自分が正社員に登用され、それまで個人のことだけを考えれば良かった立場から環境が激変した時でもありました。見た目は図々しく見えますが意外と繊細なのかもしれないな(笑)なんて自己分析して耳鳴りのことは極力考えないようにしようと思い、普段の生活を続けていました。

その次の年から会社で行う健康診断では「聴力低下」のような評価が付くようにはなりましたが、仕方がないのかななどと自分を慰めていました。

営業という仕事上、お客様と話すことはもちろん電話なども多用しますが、若干の聞き辛さはありましたが仕事に支障が出るほどではありませんでした。ただキツかったのは飲み会。うちの会社は飲み会が結構あって、仲間内だけならまだしも取引先や接待なども度々ありました。これがキツい。

前述のように1対1で面と向かって話したり電話するのは分かるのですが、飲み会のみんなが同時にガヤガヤ話をしてる場では目の前にいる人が何を言ってるのか聞き取るのは至難の技。聞き取ることのできた言葉をキーワードとして頭の中でつなぎ合わせて、大体こんな事を言ってるんだろうなと予測をつけて話さないといけません。

これが外れるんです。全く意味が通らない事を言ってしまったり、場の空気を凍らせるようなシラけたことを言ってしまっているようでした。そのうち愛想笑いをして適当にうなづくだけになってしまい、最近では飲み会で話しかけられることも少なくなってきていました。

「あれ?なんか聞こえづらいのが進行してないか?」などとも思いましたが、最初に耳鼻科に言われた「気にしすぎるな!」が頭の中にあり、なるべく気にしないように、そして飲み会は極力不参加に出来るものは避けるようにしていました。

しかし2018年に入り、正月明けた頃から今まで何ともなかった右側の耳の方でも耳鳴りがするようになりました。始めはシャワーの水が入ったのかと綿棒で何回もほじくったりしてましたが、一向に耳鳴りは治りませんでした。

さすがに右も聞こえなくなったらヤバイかもと考え、3年前に行ったところとは別の耳鼻科にかかりました。そこはめまい専門のところ。耳鳴りも…みたいなことがネット上に書いてあったので藁にもすがる思いで(そこまで深刻ではありませんでしたが)行くことにしました。

なんだかよくわからない検査をいくつかして聴力の検査もしたところ、確かに低下が見られるので処方箋を出しておきますと薬をもらいました。2ヶ月くらい通い、薬も飲みましたが症状は良くなるどころか悪化してる感じ。嫁に相談したところ、やっぱり最初の耳鼻科に行って見たら?ということで3年ぶりに以前の耳鼻科へ。

そこでも聴力の検査をし、鼓膜の検査などもしましたが原因はわからず。しかし3年前よりかなり聴力が落ちているのは確か。そこで耳鼻科の先生が念のためで、多分問題ないとは思うけど、稀に脳にデキモノがある可能性もあるので見てもらったら?と紹介状を書いてくれました。

そこで初めて脳神経外科に行き、CT撮影、MRI撮影をしてもらったわけです。そして冒頭の会話のシーンにつながるわけです。



【ブログに書く理由】
文中にも書きましたが、正直ブログにこの事を書くかどうかは悩みました。僕が本名を出してる以上、僕のブログを読む人は自ずと病気のことを知り、見たくなくてもそのような視点で僕を見るようになるのでは無いかと思ったのです。

もちろん、嫁さんや娘の関係の方にも分かってしまうことになるかもしれないし…なんて悩みましたが悩むことをやめました。

それ以上の理由があるからです。

僕の脳腫瘍の病気の病名は「神経線維腫症」というものです。脳内の聴覚神経に腫瘍ができる病気です。さらにこれが片側だけのものをI型、両側のものをII型というのですが、僕の場合II型。

遺伝性の遺伝子異常から発症する病気で指定難病にも登録されています。

そしてこの病気は、前述の通り遺伝するものなので、僕の愛する娘に遺伝されている可能性は50%。僕がこの病気と闘うことを記録し、分かったことを残すことで万が一娘の身に何か起きた時の参考になればと思ったのです。

このことを知った時、自分の体を恨みました。もしかしたら自分の愛する娘に時限爆弾のようなものを送り込んでしまったかもしれない、この体のことを憎みました。娘のことを考えると涙が止まりません。申し訳なくて。

僕が「生きたことの証」というよりは、娘の「生きるための道しるべ」の参考にでもなればと思っています。

そんな極々個人的な理由で書き続けて行こうと思っています。

でも、諦めたわけではありません。「病気なんて気合いで吹っ飛ばしてやる!」それぐらいの気持ちでいます。

僕自身の腫瘍の現状(6/26現在)は左側には3センチほどの、右側には1.7センチほどの腫瘍があり、聴力もかなり低下しており左側で常人の15%ほど、右側で常人の50%ほどの聴力が残されているような状況です。この諸悪の根源の腫瘍を手術をして取ってしまうのが一番手っ取り早くて確実な方法ではありますが、聴力神経は衝撃などに非常に弱く、手術で機能を失ってしまう可能性の高い部分だそうです。

病気の完治もそうですが、自分自身のこれからの人生のためにも、今この場で聴力を奪われるわけにはいきません。なので、僕は放射線治療を選択し、聴力温存を目指す治療をしようかと思っています。

35,000人に1人という非常に珍しい病気ではありますが、同じ悩みを持つ人にも何か伝えられたら。そして何か他の人から得ることが出来たらと思っています。

つらくてボヤくことも
嫌になって愚痴ることも
楽観視してふざけることも
家族を思い泣くことも
自分の運命を呪うことも
きっときっとあることだと思います。そんなありのままの僕の生き様をこのブログに残せたらと思います。

長文を最後までお読みいただきありがとうございました。


ゆきむし(後藤 聡)


〈追伸〉2020年7月4日
6月の末に右側の聴力急激な低下が見られ、聞こえなくなってしまいました。いよいよ来る時が来てしまったかと諦めていましたが、同病の方々から「諦めるのはまだ早い!今すぐ病院にかかるべき!」と背中を押され大学病院に連絡。

主治医も治験中のトラブルだし、急激な低下であればまだ間に合うかもしれないと受診を強く勧められ今現在は入院をしてステロイドホルモン治療をしながら追加を書いてます。


僕がこのブログを書き続ける意味は、実際にどうなってしまうのか?何をどうしたらどうなるのか?を記録することだと思っています。

まさに今がその時。


病気との付き合いって「経過観察」という長い長いスパンでのお付き合いがどうしても必要で、頭の中のことだけにどうなってるのか外からは全く分からず、不安な日々を送っているのが正直なところ。

このような「変化」があった時こそ、正確にそして正直に気持ちを綴るべきだと改めて思っています。


(追伸その2)2022年7月18日
なんとか生きています。
というか
「生きるために生きる」みたいな生きるための命題みたいなものがあるのかと悩みながらも日々の暮らしを守るために日常にしがみついているというのが本当のところかもしれません。

相変わらず病状は急激な変化もなく「経過観察」の日々が続いているけど、自分にしかわからない「徐々に削られて行く感じ」に怯えながら生きてます。たまに「そんなに後ろ向きに考えず前を向いてみたら?」的なありがたいアドバイスをくれる方もいますが、言われれば言われるほど「はぁ?あんたに何が分かるんだ?」って心の奥底で悪いバージョンの自分が沸々と怒っていたりします。

この先どうなって行くかなんて神さましかわからないことなんだけど…やっぱり不安も辛さもたくさんありますね。そのうち開き直って最後まで楽しめるようになるのでしょうか?ちょっとまだ想像できませんね。

まずは生きてみます。
今日も
明日も。

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