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はじめまして数あるブログのの中からこちらにいらして下さってありがとうございますご縁に感謝いたします私自身の事を少しご説明いたしますね小さな頃よりいろいろな事に好奇心旺盛で、3歳~7歳くらいまでは見えないものが視えていたみたいです。真昼間の神社に行くと、白装束のような服を着た人たちが絨毯を敷き詰めるように地べたに寝転んでいて、3、4歳くらいだったと思いますが起こしてはいけないと思ってそっと神社を出て来たり。父親の実家の田んぼの近くで虫取りをしていると、見た事のないような2センチくらいの小さな緑の手がピョンピョンと葉っぱの上を飛んでいるのを見たり。感性豊かな子供だったように思います。小学校に上がると周りはとても優しい友人に恵まれますが、何かいつも自分を繕っていないと生きていけないような息苦しさとなぜこの世に産まれてきたのかを問い始めます。自分の感覚や問いはなかなか理解されないで、どこかに自分を認めて貰えるようなや自分の居場所を探すようになります。自然やアートが好きだったので、緑や水のあるところでは癒され、美しい物、クリエイティブな世界が自分の内側を投影するように絵を描いたり、焼き物、ガラス玉などを作ったり、映画をたくさんみたり、京都もとても好きで日帰りで行っては神社やお寺周りをよくする高校生でした。高校時代にとっても素敵な英語の先生と美術の非常勤の先生に出会い、授業後に美術の個人レッスンをお願いしたり、外国の音楽や英語、海外生活にあこがれを持ち始めます。高校卒業後は英語の専門学校にに通い留学だけを考えていました。 専門学校は自宅から電車で20分程でしたが、都会の皆さんの意識は当時バブル時代で田舎の私にはちんぷんかんぷんでしたが、日雇いのおじさんや炊き出しといったものに関わる機会があり、煌びやかな表社会の裏側で生きている人々やそこに纏わる人々との出会いに何かずっと自分が悶々としていた思いの問いのヒントを頂きます。ちょうどチェルノブイリ原発事故等もあった頃です。1989年、二十歳の時にイギリスの美大に留学する事が大きな転機となります。 そこから本当に今思っても魔法のような世界と深い出会いに導かれていきます。最初の一年はイギリス南部のコーンウォール地方にある Falmouth Art & Design (Falmouth University)の基礎科に入ります。その土地がはじまりでした。アーサー王伝説の場であり、ケルト文化も色濃く残る場で、周りの友人はとてもスピリチュアルで皆ベジタリアンか、ビーガン、マクロビ食で、ヨガや禅、私の周りは特にチベット仏教愛好家が多かったです。とても自然と密接な生活をしていました。私も何の違和感もなくとてもすんなりその生活に慣れ親しんで行きました。1年の基礎科を終えて、私はロンドンに行き2年間美術の学校に通いながらアルバイトに明け暮れます。 ここでもいろいろな面白い体験がありますが、コーンウォールの友人の誘いを受けて私のお師匠さんに巡り合い、「このためにイギリスに来た!」と魂の声を聞いて、物凄い短期間の間にロンドンからコーンウォールに移動します。今思ってもそうですが、決めると早い!し意志が決まると本当に「無理」「出来ない」を超えて行ける世界があるという事をこの頃から幾度と無く体験しその意識を今は意識的にもっと使える世界になっているのだと思います。そのお師匠さんとの出会い、いわゆるエソテリック、ミステリースクールでの体験が今世いままでの魂の流れを把握するための私の土台になっていると思います。それは私の魂の帰還、古から幾度となく受け継がれ、魂の奥深い眠りから私を呼び覚まし、古来からの懐かしい仲間達と共に目覚めていく約束をしてきたことを思い出し、「私たちは光の存在で、その光である事を思い出させるミッションを持って産まれてきている。幾度となく生まれ変わりこの約束を果たすためにこうしてまた集って思い出している。We are the rainbow worriors(虹の戦士)」と。 私はこのためにイギリスへ来たとはっきりと自覚したことを覚えています。家族を越えた魂で繋がっている家族(spiritual family)のような仲間達と再会し、ずっとぼやけていた私の意識がここではっきりと目覚めていきました。今思っても異次元空間を行ったり来たりするような、まるでハリーポッターのような世界だったように思います。 ずっとイギリスに居たかったのですが、ある時から「帰るコール」が胸に大きく響き、「ここでの学びはもう終わった。日本に帰れ。帰って学んだものを現実界の中で使って生きよ!」と聞こえて来ました。日本には帰りたくないけれど、このままでは根無し草になってしまうし、私は日本に帰ってやっていくことがある。当時日本の国に日本人として生まれた誇りを心の底から持てずにいた思いはまだ深く消化されていませんでしたので、そこがずっと気になっていた時、ある日本の方にお茶(お茶事)を介して出会うことになります。それは大海原の心を持つ言葉では表せられない世界を放つ発酵(発光)食、異次元で宇宙的な食べ物をこしらえて日本から持って来られた方でした。その方とお会いした時に、「あ~、このような方が日本におられるなら私は安心して日本に帰れる」と深く安堵した事を覚えています。そこには日本がひな型というもっと壮大な世界が待っていました。宇宙そのものの世界を感じ取り、大きな禊が始まりすべてが未体験という世界が始まりました。それが1998年になります.私は日本に帰国する前に、結婚して、出産し家族を持つ。という事が意識にありましたので、帰国後今の主人と出会い結婚、双子を出産を体験します。日本に帰国した時にイギリスのお師匠さんのところで学んで来た太極拳や気功を通じて自分と繋がっていく事をやり始めましたが、修行的に学んだ事も多く、まっさらにしていくという意味でも出産を機に全て一度手放しました。 そして、時が私に本当に来て必要であるなら、要らないものは削がれ必要な物だけが残りそれでやっていくだろうと思い、育児に専念していました。2012年頃から「そろそろだよ、準備して!」と声が聞こえてきました。「えっ何を?」という感じでしたが、たまたま友人にアロマの会に誘われ、当時主人のお義母さんの半介護と双子の育児に追われていた私は、香りがあると助かる!と思ってとにかくそこでなんでもいいからアロマを買って帰る!と決めて、久しぶりの人が集う場へ出向き、そこで買ったアロマを使って介護の時に床ずれするお義母さんの背中にアロマオイルを塗布するとお義母さんも私もとても癒されて、香りはただ香るだけと思っていたものがもっと幅広く使えるということに、これをもう少し勉強してみよう!と思って、育児の合間にコツコツと時間をかけてアロマやトリートメントの勉強を進め資格を取り、自宅サロンをオープンする事になります。2017年には「来年自分を世に宣言する!」 「2018年に間に合わせてね!」という感じでしたので、こちらのブログもそれに合わせてオープンしました。アロマを媒介として安心して頂きながら、語られないエネルギー、自分の深いところに繋がる時間を少しでも感じ取って頂けたらという思いで始まりました。そこからまた怒涛の如くいろいろな気づきと変化があり2019年1月に並木良和さんの本に出合います。日本に帰国してスピリチュアルはどこか少し胡散臭い感じがしてあまり書籍に目がいかなかったですし、あえて自分からそういうところにはいきませんでした。ただずっと宇宙の食べ物を作る方とコンタクトを取らせて頂き見えない世界の学びはずっと続き理解を深めていきました。その流れで並木さんの本に出合った時は「これだ!」と思いました。これは真実が書かれてある。そこには2018年からの3年の事が書かれてありました。 あぁそうなんだ!と思って、そこから並木さんに実際に会いに行けたのは半年後でしたが、2021年2月末からCIELOというスクールが始まり、そこに入れる事になり統合ワークが基本となりました。 目覚めていくこと この風の時代に全てがまたここでひとつになり私の中ではっきりと確信していくことになりました。目覚めの電波塔として生きる只今は自分の内側に繋がり本来の意識とあり方にフォーカスをおいたセッションを主流としたエネルギーワークやトリートメントを行っておりますご興味のある方はこちらまでご連絡下さい↓↓↓https://profu.link/u/cosmicflow長い説明になりましたが読んで下さりありがとうございましたTai-chi and chi-kung (太極拳気功指導師)Tai-chi chuan Yang style (太極拳yang style)師範NARD アロマアドバイザーNARD アロマセラピスト(トリートメントは英語での対応も可能です)並木良和 CIELO 中級クラス 第一期生 修了並木良和 CIELO 上級クラス 第一期性 修了
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