歌人 梶間和歌

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古典和歌の世界へようこそ

玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする
新古今和歌集恋一、1034
https://ameblo.jp/waka-kajima/entry-11578807675.html

恋ひ恋ひてそなたになびく煙あらばいひし契りの果てとながめよ
新後撰和歌集恋四、1113
https://ameblo.jp/waka-kajima/entry-11579227843.html

ながめつる今日はむかしになりぬとも軒ばの梅は我をわするな
新古今和歌集春上52
https://ameblo.jp/waka-kajima/entry-11592288597.html

山ふかみ春とも知らぬ松の戸にたえだえかかる雪の玉水
新古今和歌集春上3
https://ameblo.jp/waka-kajima/entry-12480096587.html


平安末期から鎌倉初期にかけて生きた
式子内親王という女性の歌に触れたのが、
私と古典和歌との出合いでした。


その時の衝撃は、
私のプロフィール小説をお読みいただいたほうが
よく伝わるかもしれません。


*:..。o○ ○o。..:*


……

何だ……これは。
古典文法はきちんと勉強したのに、意味がわからない。
この本の著者は、式子内親王のこの歌が良いだの、
この歌には風情がないだの、
この歌は歌境が浅いだの言っているけれど。
私には意味を追うので精いっぱい。
歌の風情の違いなど皆目わからない。


でも




美しい。


  

半年間必死で収めた知識がまったく通用しないものを前に、
私は愕然として。

そして、悟った。
 

「私には、この歌がわからない。
 ただ、この歌がわからないのは
 この歌がつまらないからではない。

 私が馬鹿だからだ」
 

これまでの半年間の勉強の仕方も短歌の詠み方も
完全に間違っていた。

牧水も晶子も白秋も、古典の言葉のネイティブではない。
その当時の言葉で発想したものを、古典の言葉に置き換えて、
短歌にしたわけだ。それを真似た私も、
現代の言葉で発想したものを古典の言葉に置き換え、
短歌にしていた。
 
それは、いうなれば翻訳だ。
日本語で発想して英語に訳した言葉が
ネイティブとの会話で不自然響くことは経験済み。
英語ネイティブと自然な会話がしたければ、
英語で発想して英語で発話しなければいけない。

同じ事を、私は、和歌としなければ。


現代に、古典の言葉のネイティブはいない。
ただ、ネイティブだった人たちの残したたくさんの歌がある。
これらの歌と対話しよう。
これらの歌の発想の源泉を学び、同じ意識で歌を詠もう。

“私が詠みたいと思うもの”など歌にしている場合か。
彼らと同じ意識で歌に向かい、彼らの発想で歌を発想し、
翻訳ではないネイティブの言葉で私の短歌を詠まなければ。
 

すぐに古本の『式子内親王全歌集』と『新古今和歌集』を購入。
収入は相変わらずなので、その他は図書館頼み。
借りる本の数も一気に増えた。
『源氏物語』や『新古今和歌集』関連の図書ばかりだ。

体当たりで和歌と対話する生活がこうして始まった。
26歳の夏だった。

……


梶間和歌プロフィール小説第3章より。
全文はこちらから。
https://note.com/wakakajima/n/nb596809ac632


*:..。o○ ○o。..:*


その後、プロフィール小説第4章において書きましたように、

“この世ならざるもの”をこの世に降ろす代理出産をするのが
芸術家の仕事である、と確信。


*:..。o○ ○o。..:*


……

プラトンの言葉を借りるならば、イデアの世界。
イデアの世界、概念の世界には、
すでに完成した作品の概念がある。
その概念が「この人に降ろしてもらいたい」と芸術家を選ぶ。

芸術家のすべき事は、
その作品の声が聞こえるよう自分の心をクリアにしておくこと。
そしていざ「降ろしてほしい」という声に気づいた時に
技術不足であるという事態を避けるため、
常日ごろから技術を磨いておくこと。このふたつだけなのだ。

……


梶間和歌プロフィール小説第4章より。
全文はこちらから。
https://note.com/wakakajima/n/n33932f495cf5


*:..。o○ ○o。..:*


もしもあなたが学校の文法教育などで
古典や古典和歌に苦手意識を持っていたとしたら。

古典和歌に接する機会を持たず
どこか遠いものと感じているとしたら。


日本人として生まれた人間でなければ味わえない
人生の充実の100のうちの

50以上

を逸している


と私には思われます。
もったいない。もったいなすぎる。


私の古典和歌の口語訳により
少しでもその世界に触れていただけたら、

「こんな世界があったのか」
「こんなに美しい言語芸術が日本にはあったのか」
「先人たちの試行錯誤の結実の迫力……!! 」
と目を開いていただけたら、

それが私の喜びです。


「こんなに美しいものを知らずに生きて、
 そのまま死んで、いいのか!? 」

「知ったうえで「合わない」というならわかる!
 尊重するけれど!
 本当に美しいものを知る機会もないまま
 生きて死ぬしかないなんて!
 そんな日本を私は変えたい! 」

というのが、26歳のあの出合い以降変わらぬ私のおもい。

知ったうえで「違うな」と判断するのは幸いです。
知る機会もないまま「なんか、難しいもの。遠いもの」と
思い込んで死んでゆくなんて。もったいなすぎる。


*:..。o○ ○o。..:*


芸術の捉え方は様々あり、短歌の捉え方も様々あります。
伝統詩としての短歌、定型詩としての短歌、
機会詩としての短歌……。

現代短歌では、
五七五七七の定型さえ守っていれば
そのなかに何を詠み込んでも構わない
という、定型詩としての捉え方が強いでしょう。

東日本大震災の折に詠まれた多くの短歌からは
機会詩としての捉え方も感じられます。


短歌が定型詩であるということは大前提、
短歌と言いながら韻律を無視し
定型をないがしろにするような詠み方は、言語道断。

そんな前提は言うまでもないのに
言わねばならない現状が大変残念な現代短歌業界です。


では、私は短歌を何と捉えるか。
先に書いた言葉を用いるならば、

“この世ならざるもの”の代理出産(芸術)のうち、
日本語、三十一文字の定型になるべく忠実に表したもの(短歌)

と考えます。


代理出産である以上
“私のおもい”“私の経験”など邪魔でしかありません。

詠むべきものを詠むための道具として使うことこそあれ、

“私のおもい”を表現する手段として短歌を用いるならば
それは手段の目的化、本末転倒でしょう。


定型詩であり伝統詩である短歌。
各時代にその伝統を乗り越えようとする試みはなされましたが、
それらの試みは、まず伝統をかっちり踏まえたうえでのこと。

“和歌史のなかで橘がどう詠まれてきたか、
 桜がどう詠まれてきたか、を踏まえたうえで
 あえてわずかにずらした詠み方や現代的な詠み方をする行為”


“それらの知識を持たず知ろうともしないまま
 好き勝手心のままに歌を詠む行為”
があるとしたら。

このふたつの行為の意味はまったく異なります。
その歌の醸し出す重厚感、軽薄感もごまかせません。


鎌倉時代初期の藤原定家など、新古今時代の歌人たちは、
それまでの歌の詠み方の常識を破ろうと試行錯誤しました。
前衛的と表現してよいでしょう。

ですが、その前提には古典の重視があり、
彼らには当然の教養が備わっていました。

また百年ほど時代が下ったころ。永福門院をはじめとした、
当時異端的と言われた京極派歌人には、
伝統的な和歌を詠む技量もじゅうぶんありました。

伝統的、古典的な和歌が詠めないのと
詠めるけれど明確な考えを持って詠まないのとでは
意味が異なりますよね。
永福門院たちの歌を読めばわかります。


現代短歌において言われる前衛性、新しさ、現代性。
定家や永福門院たちの試みと比べた時、いかがでしょうか。

「現代短歌では本歌取りは難しい」と言われます。
それは、かつて教養として共有されてきた
先人たちの作品や知識、感覚が
現代歌人に欠けているから、です。

本歌取りという技巧が古くなったのではなく、
現代歌人の基礎教養が薄くなり
その技巧が成り立たなくなっただけです。

自分たちの衰えや勉強不足のために成り立たなくなった技術を
時代遅れと評するなど、
怠慢もはなはだしいではありませんか。


そのような現代短歌業界に一石を投じる存在となりたく
歌人として歌を詠むのがひとつ。

また、
短歌業界とは無縁の、大勢の、和歌と縁遠い日本人に
目を開いていただくことがひとつ。
日本語を母語として育った喜び、
日本人の感性を持ち育った喜びを知るための
心の目を開いていただく、そのために
こうして和歌の口語訳をおこなっています。

その営みの延長線上に、
古典和歌を土台とした現代的な短歌を詠む私の作品の
読者、理解者が増えるとしたら、これもまたうれしいですね。


*:..。o○ ○o。..:*


このブログで紹介する古典和歌の詠まれた時代は
勅撰和歌集の編まれた範囲になります。

『新古今和歌集』『玉葉和歌集』『風雅和歌集』が特に好きですが、
その前後の歌も取り上げます。
『万葉集』は嫌いですし、
好んで紹介する方がほかに大勢おられますので、
私は取り上げません。

歌の選択は私の独断です。
好みと資料の関係から
ブログ開設当初は式子内親王の歌が多かったですし、
その後永福門院にも親しみました。
手元に資料があるということもあり、
やはり『新古今和歌集』『玉葉和歌集』『風雅和歌集』の歌が
多いですね。


訳は逐語訳ではなく意訳となります。

詠まれた背景や言語化されていない当時の常識を考え
暗に込められているであろう意味合いを入れた訳、
私が想像して言葉を加えた訳もあります。

専門家のあいだでも解釈の分かれている歌もあります。

歴史研究などで定説が覆されるなどした場合には
それ以前に訳したりコメントしたりした私の記事が
間違いとなる可能性もあります。

私の知識と感性の届くかぎり精いっぱい訳しておりますので、
そういった点は優しくご指摘いただけましたら幸いです。


さあ、これより古典和歌の世界をお楽しみください。
あなたの世界に、想像を超えた彩りが添えられますよう。

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