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生年月日:1976年2月25日出身地:大阪府和泉市現住所:兵庫県西宮市【幼少期】体育教師の父親と体育教師の母親の子供として生まれる。1男2女の長男。幼少の頃より喘息で体が弱かったためか病院によくいってたのでドクターや薬剤師さんと仲良くなることが多く、薬剤師に強い憧れを感じる。(子供にとって病院では先生は怖い存在だった。)【青年期】父親の知人ということもあって軟式テニス部に入部。日々の鍛練により小児喘息があらかた改善。中学生より薬剤師を目指していたため、高校を経て、薬科大学に入学。【成人期】4回生で就職活動も実施したが、就職の道を選ばず、4回生で配属された宮田秀明研究室で研究者の道を目指し、同大学院に進学。当時環境汚染問題が取りただされていた最中であり、完全に2年間ダイオキシンの研究に没頭。ご縁もあり、就職する。【社会人24歳~】同大学院卒業後は、神戸製鋼所グループの(株)神鋼環境ソリューション((旧)神鋼パンテツク(株))に就職し、ダイオキシン分析の専門家として研究所に配属。ダイオキシンだけでなく、環境汚染問題の一つにも挙げられていたPCBの仕事を専門にし、PCBの分析員指導員として名古屋・北海道・広島中心に現場従事者に指導する業務に携わる。【29歳】昔実家でおばあちゃんに飲ましてもらったことはあったが、ただあの時はお酒が美味しいと思わず梅酒を飲まず嫌いになっていた。そんな梅酒になんの興味を持っていなかった社会人5年目の時、梅酒に魅了される日がはじまる。【29歳~31歳】本業の合間に梅酒会(梅酒をより楽しく飲んでいろんな人と懇親を図ろう会)を立上げ、最高月2回までの開催ペースでカフェなどとコラボ(いくつもの飲食店集客活性をサポート)し、梅酒を女性中心に多くの人に知っていただき、累計1000人以上の参加者が集まり梅酒を知っていただく機会を増やす。この頃より酒造メーカーの専務さんや杜氏さんをゲストに招き、梅酒を実際に漬け込んだり、梅酒談義をしていただいたりして梅酒交流を図り、自ら梅酒ソムリエとして梅酒の普及活動に従事する。【33歳】梅酒をより広めていくために、梅酒ソムリエの意匠を取得!‘日本の梅酒文化の向上’と位置づけ約10年間勤めさせていただいた会社を退職して、ブルーダイヤファクトリーを設立。【34歳】設立をしてから約1年間は梅酒でいろんな道を模索時期として、色んな人に会い、自分の魅力を上げることに勤しむ。梅酒を通して活動する業務(梅酒会)や酒造メーカーのコンサルなどだけでは収益は成り立たず、自分には続けていける力がないと判断し、一旦辞める覚悟も踏まえ、岐路に立つ。師の教え・起業の先輩の教えもあって、辞めることは簡単だけど続けることこそ難しい。我慢して続けていることで見えてくるものもあると教えていただき、3年間は何があっても続けていくという強い決意を誓う。梅酒の業務だけで成功してやるなどのちっぽけなプライドを捨てて、一から出直す覚悟で月・火・水の週2.5日の薬剤師業務、それ以外の曜日はほぼ毎日梅に関わる業務に携わる。薬学的な専門性も活かされ、梅を通して行うビジネスの考え方をしっかり根の張ったやり方に変えていこうと思い、今までの培った知識をすべてぶつけて商品化などに力を入れ始める。【35歳】 酒造メーカーさんのご厚意もあって年間を通してコンサル受注をいただく。そこからご厚意にしてくださる会社に徹底的に貢献するために、社員教育だけでなく、商品化に対してサポートさせていただく。 一方、有名な安産祈願寺・大本山中山寺(宝塚市)に関係の深い方からご紹介で、大本山中山寺の梅だけを使った中山寺名物を商品化できるかのご依頼を受ける。伝統ある文化のある寺社さんから初めて依頼を受け、みやすうめ(梅シロップ)・紫雲(梅酒)の商品化に取り掛かる。 またこの年の10月30日に結婚。【36歳】 中山寺の梅シロップ梅酒の商品化において何度も何度も、何度も何度も打ち合わせしながらようやく2012年3月2日に初販売が始まる。(すでに酒類販売免許は取得)。販売日初日は大雨で販売が全く振るわず。やはり売れないものかと落胆するが、商品化に協力してくださった酒造メーカーさんと対策を考えながら年間8日間ほどのテスト販売をやりきる。 初年度から大々的な告知も一切せず、中山寺に来寺された方にだけお譲りするスタイルを貫き、完全な口コミだけの販売に切り替える。 この商品化がきっかけで、愛媛県松野町の梅シロップ商品化、龍神梅シロップ、梅酒の商品化などが次々と商品化の話が進む。【37歳】 中山寺の梅シロップ・梅酒の噂は、瞬く間に広がっていきファンが定着してくる。限定かつ店頭でしか購入できないという商品のため、妊産婦さん・檀家さんなどにたった20日の販売のみで、累計2500本(全量)が完売。 大人気の商品になったが採れる梅の量も限られているため、販売量は増えないため、参拝していただいた方には毎月購入できるように、第一土日中心の販売方法に切り替え、大本山中山寺名物として梅シロップと梅酒を販売。 商品化したものをきちんとしたブランド(名物)にするために、いろんなテスト販売したり、お店と組んで商品を陳列していただいたりして商品の売り上げが伸びていく。そして、梅酒の学校プロジェクトを開始。また梅酒の商品化ではなく、果実酒全般の商品化の専門家としての評価もいただき、柚子酒などの商品化などの話も依頼いただく。【38歳】(一社)日本梅酒協会を立ち上げる。もっと梅酒を多くの人に知っていただき、おいしい梅酒を飲んでもらいたい。自身も梅酒の商品化に精を出し、目標は、アイスワインのような人を虜にするような濃厚な甘みを目指し、梅酒の商品化を試みる。・メーカーさんとタイアップして商品化、・梅に関連する地域の商品化支援【39歳】(一社)梅酒研究会の専務理事として就任する。全国梅酒まつりを実施する梅酒研究会であるが、梅酒まつりを通して多くの方に梅酒を広げ、知っていただく活動を実施する。現在:2月 福岡・太宰府3月 茨城・水戸偕楽園10月 東京・浅草神社【現在】梅シロップ・梅酒の商品化はもとより、梅を通して地域の活性化を行うことで、東京・名古屋・大阪・岡山・愛媛・茨城などを飛び回りながら商品化や地域活性に取り組んでいる。また健全な梅酒をより日本だけでなく世界に広げていこうと社団法人立ち上げを計画中。予定ではあるが、2014年6月15日には大阪から和歌山へ梅酒の学校プロジェクト、2014年6月21日は、東京から水戸へ梅酒の学校プロジェクト実施予定。もちろん梅酒や柚子酒に関しても専門であるが、業務を幅広く拡大するために自分でモノを販売する物販事業に力を注いでいる。梅酒の魅力について【梅酒の魅力1】お酒のあまりつよくない、美味しいもの好きの友達にきくと、梅酒はあまりアルコールを感じさせないし、あまり酔わないという説明。お酒を飲めないというやつらがこぞってなぜか飲めるお酒が梅酒。でもよくよく調べると度数は割りと高め。何か不思議な感覚だった。当時、飲める自分にとっては、梅酒はジュースくらいにしか思っていなかった。【梅酒の魅力2】今は好きなのだが、高校くらいまで梅干しはあまり好きではなかった。ただおにぎりに入っている梅はなぜか大好き。昔から梅がめちゃくちゃ好きだったわけではない。昔から梅干しは、家で作るもの。梅酒も家で作るものだった。薬学出身だった僕にとって、大学の時に梅は中国から伝わってきた漢方であると耳にしたこともあったし、烏梅(ウバイ)という梅を焼き芋みたいに炭化させて薬の一つとして扱うことという認識だけはあった。梅=薬のように思っていて自分が勉強してきたことが活かせるかもしれないという思いはあった。【梅酒の魅力3】梅干しや梅酒は昔からおばあちゃんやお母さん世代の人たちは家で漬け込むようなものであり、各家庭にレシピがあり、各家庭で私の梅酒は、とかおばあちゃんの梅酒は特にうまいなどという意見をよく耳にした。それだけ日本人にとって梅はものすごく染みついているものであった。【補足:梅酒の魅力4】梅の花は、霜雪の中に清い香りを放って咲く梅は、ほかの花にさきがけて花を開くため「百科の長兄と呼ばれています。平安時代の初期までは、花といえば梅を指していた。万葉集では梅を題材としたものが100首以上もあり、萩の花について良く詠まれています。このことからも梅という文化にも改めて焦点を当ててみたくなりました。【現在公にあるもの】・2010年11月 梅酒ソムリエの商標受理 (梅酒ソムリエとロゴの一体化したもの)。・2010年12月 一般社団法人梅魅力推進機構 理事・2014年6月 一般社団法人日本梅酒協会 代表理事 ・2015年2月 一般社団法人梅酒研究会 専務理事【現在事業として行っているもの】・酒造メーカーのコンサルティング(社員教育・プロモーション・イベントのサポート含む)・梅酒・梅ドリンク、梅の新商品開発・柚子酒(梅酒以外の果実酒)などの商品化・薬剤師業務(週2.5時間)・文化センターの講師(東京・名古屋・大阪・神戸)・地域活性化事業サポート(愛媛県・岡山県)・生梅の代理販売・柚子販売の卸
テーマ: ◉ 自己紹介
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