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『和泉中央駅』駅近く、イズミヤ和泉中央店より徒歩7分。3歳のお子さんから大人シニアの方まで楽しいレッスンをしています。優しく丁寧にご指導。初めてのピアノでも安心して通っていただけます。豊かな心を育む音楽、脳を鍛えるピアノがモットーです!ブログでは日々のレッスンの様子や気づきなどを綴っていきます。【ピアノコース】・3歳からのプレピアノコース 歌を歌ったりピアノに合わせて体を動かしたりリズム打ちをします。楽しみながら 少しずつ集中力を養いピアノで音を出して鍵盤に慣れて楽譜の読み書きの準備もして行きます。・初級ピアノコース それぞれのお子さんに合わせた教材で片手から両手へ自然に弾けるように進めます。 読譜のための音符カードや音の聞き取り、書き取りなど基礎力もつけて行きます。・中級ピアノコース 指を鍛えながら古典の曲から最近のJ-POP、ボカロなどいろんな曲をどんどん弾いていきます。 ブルグミュラー、ソナチネ、ツェルニー、ハノンの教本を土台に楽しい曲集を弾いていきます。・上級ピアノコース ショパン、シューマン、ベートーヴェンやモーツアルトのソナタなどの上級曲も弾いていきます。 テクニックに磨きをかけ様々な音楽に深く取り組んでいきます。・大人ピアノ個人レッスンコース 憧れの曲、大スクな曲を弾きたい!昔習っていたピアノをもう一度楽しみたい、、、 の思いを叶えます。マンツーマンで丁寧に優しくご指導いたします。 ピアノ初心者の方も安心して習っていただけます。・中高年から始める『らくらくピアノ』(これのみグループ講座) 中高年からピアノを始める特徴を知り尽くしたらくらくピアノ独自の方法で、アレアレ〜 と弾けるようになります。グループ仲間と励ましあったりして無理なく続けられます。〜講師プロフィール〜🔶幼少の頃 父は職場の合唱団で指揮をする音楽好きで母も歌が大好き、いつも音楽が溢れている暖かい家庭だった。私は3歳からピアノを習い、のびのびと弾いていた。よく熱を出す子だったが活発でおてんばだった。父は日曜日になると歌の練習を一緒にした。私も妹も歌が大好きになりドイツ民謡、アメリカ歌、ロシア民謡などを覚え、すぐに3度6度のハーモニーを付けて歌えるようになった。🔶基礎のやり直しで苦しい低学年初めてのピアノは近所の先生に習った。小1 手指の形もメチャクチャでバイエルの終わりを弾いていたが、その教え方に母が疑問を持ち先生を変わった。新しい先生は元ピアニストの厳しい方。徹底的に基礎やり直しで、親子ともに泣きながらの辛い毎日だった。後に母は「最初の基礎だけは本当にきっちりしないとね」と言っていた。小2 先生のご自宅に電車バスを乗り継いで片道1時間半通うようになった。先生はとても厳しかったが、素晴らしい音楽性をお持ちの方だったのでレッスンのある土曜日は楽しみだった。5〜6年生に大きい人達に混じって聴音(音の聴きとり)をするのが嬉しかったし、レッスンの後に食べる中華飯店のチャーシューラーメンも大好きでレッスンを頑張っていたと思う。小3で初めてのコンクール。“スピード自動車(中田喜直作曲)”を弾き特賞をもらった。小5,6と堺市少年少女合唱団に入団。合唱団には美しい声の人ばかり。初めて自分の声が “ カエルの声” 並の悪声だったと知り愕然!劣等感で辛いこともあったが、合唱の迫力満点のハーモニーに魅了され我を忘れて歌うようになる。この頃、詩にメロディを付けて作曲ノートにいっぱい歌を書いていた。通っていた堺市立茶山台小学校は市のモデル校で、熱心で新しい取り組みも多く卒業式に生徒の作った歌を皆で歌うイベントがあった。小5で卒業生を送る歌、小6で卒業の歌と、自分の作った歌が選ばれ嬉しかった。一方、“ひいきされてる” と女子の一部からいじめを受けたり、小6の後半は複雑だった。🔶母がピアノの先生に小学校高学年から母がピアノの先生になり、週一で出稽古に行った。同じ頃、私も徐々に遠距離を一人でレッスンに通うようになる。プチ自立だった。🔶思春期〜迷い悩みながら、やっぱりピアノが好きだ!と気付く中学時代はひたすら暗かった。中1でTV番組‘アタックナンバーワン’のヒロインに憧れて秘そかにバレーボール部に入ったけれど、2週間でピアノの先生にばれてバレーを断念!部活厳禁の先生だった。また、勉強もちゃんとやりたいと通い始めた英数塾はユニークで、学者さんが教える数学はとっても面白く週2回4時間ずつの塾のためにピアノ練習量は激減した。ツェルニー50、バッハ、ベートーベンと練習しながらも、小6で弾いたショパン“幻想即興曲” 以来、なかなか上達せず曲も仕上げに時間が掛かり、悶々と焦っていた。高校受験はトップ校を目指したが、ピアノの先生の「一番近い高校に行きなさい」で決まった。一気に勉強モチベーションを失い成績ガタ落ち。でも、『やっぱり音楽が好き。ピアノを弾いていきたい!』と改めて気が付いた。大阪府立泉北高校は自転車で10分、地域で上から3番目の学校だった。中学時代の塾で高1の学習を完了していたので、高1はほとんど勉強せず仲間と原っぱで歌を歌ったりお喋りしたり~この頃初めてポップス音楽を知り、特にユーミンは全て口移し的に友達から覚えた。自分が超“世間知らず”だと気付き、ラーメン屋でバイトしたり、ボーリングやカラオケに行ったり。楽しい日々だった。そんな私にピアノの先生は「これではピアノ専門はダメだ」と思われ、音大の先生に変わることとなった。高2 レッスンがあまり面白くなく感じて練習も熱心でなく、加えて勉強の‘貯金’切れで、数Ⅱbも物理もワカラナイことだらけでキャーッって感じに。そうしている間に一気に音大受験モードに巻き込まれていった。🔶音大時代〜目の廻る忙しさ大阪音楽大学4年制ピアノ科入学 入学後初めての友人は、教育大付属高校出身で勉強もピカイチの才女。ピアノも勉強も両立させている姿は私にはにショックだった。彼女にはドイツ語の授業で沢山お世話になった。2年生で2台のピアノ・アンサンブルのオーディンに受かってしまい、ソロのレッスンに加えて5人の教授陣に教わることになる。これは面白い経験だった。一方、週1のソロのレッスンの練習だけでも大変だったのが週2になり、毎日練習練習に追われていくことになる。「練習だけで4年間終わってしまったらどうしよう、、、」と思い、同時に〈世界の民族音楽〉を知りたいと思うようになる。・インドネシアのガムラン音楽(阪大ガムラン部、時に東京芸大で修業)、・インドのシタール(K・タゴール先生の授業で多くのコンサートに参加)・雅楽のフィールドワーク&演奏発表 などなど民族音楽に触れて世界には多様な音楽体系があると知る。また、音楽学の友人に誘われ文楽や歌舞伎を数多く見た事で、日本文化にも目を開かれた。ピアノの練習はままならなかったが、素晴らしい経験ばかりだった。3年生で古楽器ヴィオラ・ダ・ガンバに出逢い夢中になる。弓奏弦楽器の魅力は格別で、またルネッサンスやバロック音楽が大好きになった。クラシック音楽のルーツを実体験で学べたことはとても大きかったし、弓奏楽器は極弱の音も出せるので耳が鍛えられ鋭くなった。それまでバッハは苦手で良さが分からずにいたが、初めてバッハの凄さに開眼。ガンバに取り組む事で多くを得て、ピアノの演奏も成長したと思う。4年生は必死でピアノ練習に戻り卒業試験曲スクリャービンのファンタジーに取り組んだ。何とか卒業演奏会に選ばれて演奏し両親に喜んでもらえてホッとしたことを覚えている。🔶二足の草じ 20歳から自宅で少しずつピアノを教え始め,卒業と同時に大阪府立和泉高校で週3日非常勤講師の仕事をするようになった。同じ“ 音楽” とはいえ、高校授業は別物で毎日必死だった。この時初めて、自分が本当にしたい仕事は、《ピアノを通して人と関わること》だと強く思った。高校講師を一年で終わり、ピアノ教師を本格的に始める。🔶二代目襲名その後、母の教えていたピアノ生徒を引き継ぎ45〜50人の教室を受け持つ。大学時代に始めたヴィオラ・ダ・ガンバは、どうしても続けたくて母から借金して楽器を購入。少しずつ演奏会に呼んでもらい演奏するようになっていった。月1で東京にガンバのレッスンに通い、本当によく勉強した。また、時間さえあればピアノを教えるための講習会に行き、あれやこれやと新しいメソッドを生徒さんと取り組んだ。ご飯を食べる時間がないくらい動き回っていたので、よく移動中の電車の中でおにぎりをかじっていた🍙今考えると恥ずかしい。《ピアノとガンバ》 この2足の草鞋は私には無くてはならない物となった。🔶結婚 (29歳)音大時代の教授の紹介で某大学経済学教授に出会い意気投合して一年後に29歳で結婚した。便利の良い市内の下町に住み実家レッスンを続けながらの結婚だった。夫の職場の都合で引っ越しして、生徒さんが自宅と実家で60名近くなり、行ったり来たりの生活が身籠るまで続いた。🔶34歳で長男を出産。フラフラになる。出産後一か月にガンバの本番を入れていて(産んだら弾けると短慮!)加えて夜泣きの激しい子で朝も晩も泣かれてフラフラになってしまう。夫は仕事で毎晩遅くまで帰宅せず、母は「自分たちで頑張りなさい」と言い、私はあっという間に痩せてゲッソリしてしまった。それで、子どもを一歳半から保育園に預けることになった。🔶イギリスへ。生徒さんと泣く泣くお別れやっと〈赤ちゃんと仕事〉の両立生活に慣れてきた時、夫の仕事の都合でイギリスに行くことになった。子どもは2歳。“せっかく保育所に入れたのにー” と思ったが、ヨーロッパで暮らす良いチャンス!と思い同行を決めた。旅行で行くのと、住むのは雲泥の差があると後で気づくが。「帰国したら又習いたい」と何人もの生徒さんが言ってくださったが、滞英が長くなるかもという事情があり他の先生に引継いで頂いた。生徒さんたちと泣く泣く別れる事になった。🔶ワンオペ育児とイギリス時代〜楽しかったこと、辛かったこと、驚き満載の2年間〜約2年ほどイギリス北部スコットランドのグラスゴーに住んだ。イギリスでも夫は朝から晩まで仕事。おまけに全く日本人の居ない地域で、始めは必死のワンオペ(一人)子育てだった。余りの環境激変に子どもは不安定になってオムツもおねしょも元のもくあみになってしまう。天気の変化が激しい国で、突然雨に降られて買い物途中にずぶ濡れになったり、洗濯物を1日10回も20回も出したり入れたり。今から思えば笑えるけれど、当時は泣けてきた事もいっぱいあった。スーパーではハムやチーズの試食では、半端なくたくさん試食させてくれるのでそれだけでお腹いっぱいに(笑)。ハム、チーズ、ワイン、肉など美味しくて美味しくて、数々の苦労と反比例するように体重はグングン増えていった。始めの頃、英語が〈聞こえない、喋れない、分からない〉で落ち込んだが、少しずつ慣れてきて、子どもも半日幼稚園に通うようになりママ友も出来た。不思議な事に、暫くすると英単語が一語ずつバラバラに聞こえてくる様になる。“喋る” より先に“ 聞こえる” ようになった。〜当たり前だけれど面白かった。週に1〜2回通った英語カレッジはたった半年でたった¥6000。内容が濃く生徒はみんな熱心な外国人だったのでそこでも色々な文化に接した。オウペアという働きながら学べる制度でポーランドから来ている若い女性、エゴ丸出しのハンガリーからの10代の子たち。フランス、中国、韓国、、、日本人も数名短期で来ていた。昼ご飯は色んな国の人達と英語でお喋りしながらのカルチャータイムだった。英語カレッジでは〈子ども連れハイキング〉や〈家族ダンスパーティー〉にも参加。異国で子育てするママさん達のたくましさに励まされた。幼稚園や学校のシステムや考え方も様々な場面で日本とは違っていた。幼稚園では、3時間の間に全員でやる事はたった2つ。“ Twinkle Twinkle little star” を歌う事とオヤツ。あとは大きな部屋に、お絵描き、粘土遊び、おままごと、ブロック、工作、、、といろんなコーナーがあり、好きな事を好きなだけ出来る。息子は入ってしばらくはずっと粘土を触っていた。少しだけ通った教会幼稚園では保護者はいつでも自由に参加できたほど自由だった。私がサポートに入ったお絵描きコーナーでは、3時間ずっと絵を描いている4歳の子もいた。徹底して本人の意志に任せるやり方はスゴイと思った。息子が通っていた公立幼稚園はセキュリティが強く、門と学校扉の二重ロックで運動場も建物も高い塀で囲まれていた。ブルドーザーでも入れないほどだった。送り迎えも必ず保護者がして、子どもだけで下校させる事は絶対無かった。子供を取り巻く公共施設はどこでもロック、ロックで厳重だったので、日本に戻って私立幼稚園に入った時、門がいつでも空いていることに不安を感じたほど。子どもが12歳までは子どもの単独行動は御法度。自宅に子ども一人で留守番させて親が逮捕された話は、私には衝撃だった。それほど児童誘拐などが深刻だった。ある日、30分歩いて幼稚園に息子を迎えに行ったが早く着いてしまい、チョット休憩したくて、芝生に座って新聞を読んでいるイギリス人のお父さんに、「芝生に座っていいですか?」 と尋ねたところ、その人は「イヤイヤどうもうっかり、でね。イヤイヤ、、、」と慌てて立ち去った。私は「???」何だったのかな?その人は、芝生に座ってはいけない、と責められたと思ったらしかった。そんな婉曲な表現が、私に使えるわけもないのだが。『察する文化のイギリス』を実感した出来事だった。子どもが小さかったので、「日本人の大変そうなママがいる」といろんな人が自宅に招いてくれた。イギリス人のホスピタリティは嬉しかった。招かれたお宅のリビングには必ず暖炉があり(電気の暖炉などもあった)、大抵全部の部屋を見せてくれた。ベッドルームも見たが、寝室はみなベッドと電灯がシンメトリーになっていた。どこもかしこもシンメトリーの印象だった。シンメトリイ好きは音楽のも反映している!と思う。部屋中に高価な陶器が何十個も飾られているお宅では陶器を壊さないかと心配で何を食べたか思い出せない。お爺さんの、ひいお婆さんの、などアンティークの立派な椅子や家具を修理して使っている友人宅では、家族の歴史を聞かせてもらったりで感動的だった。自分たちで壁紙を替えるDIY夫婦もいて、壁が緑になったり赤になったりで笑っちゃうことも。いろんなおうちが見られてとても楽しかった。息子の幼稚園のママ友とは日々の遊び、ハイキング、橇滑りやミュージアム遠足など、たくさんの“ 楽しみ” と“ 驚き” があった。休日は大きな公園や森で毎週のようにハイキング。とにかく歩くのが好きな国民性で、よく歩き、よく喋り、で一日過ごした。息子の一番仲良しのクレイグは小麦粉アレルギーで一切のスイーツが食べられなかった。ある日4〜5家族一緒に出掛けてカフェで休憩した時、クレイグのママがオヤツを忘れてクレイグが何も食べられなかったが、他の親子は気にする事もなくフツーにスイーツを食べる。思いやりは大切にしながらも、『人は人、自分は自分』だった。自分のヴィオラ・ダ・ガンバを持参して行ったが、毎日が必死過ぎて存在すら忘れそうだった。ある日、英会話学校をサボって一人で市中のアンティークショップに行った折、偶然知り合ったチェリストがガンバも弾く人だった。それからというもの毎週水曜、チェリストが迎えに来て夜の4時間、アマチュアやプロが混ざってアンサンブルをした。ここは正に本場。愉しい音楽の時間だった。チェリストのロバート御宅にはチェンバロが、グラスゴー大学人文学教授トーマスの御宅にはビッグサイズのオルガンがあり、ルネサンスからバロック音楽まで巾広くアンサンブルした。練習の合間のティータイムでは、例外なく男の人がお茶やお菓子の用意をして、女性たちはゆっくり寛いでいる〜そんな光景もびっくりだった。滞在2年目の夏、仲間のプロ奏者たちとエディンバラ音楽祭に出演し、ガンバ2台とチェンバロのコンサートをしたのは良い思い出となった。🔶9.11テロを海外で経験(息子は4歳に)2000年9.11のテロの混乱はイギリス片田舎にいる私たちにも恐ろしいことだった。翌朝、全ての駅のゴミ箱が封鎖され、全ての駅ホームに警官が2名ずつ配備されていた。どこもかしこも異様な緊張感が漂っていた。息子が就学するまでイギリス滞在延長したいと思っていた私だったが、幼い子ども連れでは危ないと思い帰国を決心。10月に帰国して息子は地元の幼稚園に通い始め、私も4か月後から生徒さん一人から再び新たにレッスンをスタートした。🔶帰国、育児ノイローゼ再び生活の激変で子どもも私も大変。私は頑張り過ぎてストレスで突発性難聴になり2週間入院。息子が就学する直前だった。耳が聞こえず心底怖かった。この時、『無理はアカン』と身に染みる。住んでいる地域では小学校お受験は少なく息子も家の裏の公立小学校へ。小2から時々イジメに合った。私もPTA委員をやったりネットワーク作りを頑張ったが、落ち着かない日々だった。🔶ピアノ教室再開PTAや地域の繋がりで生徒さんも少しずつ増えてきた。土日は仕事無しにして、自然が大好きな息子と野山を駆け回ったり魚釣りしたり。週末はいつも泥々になって遊んだ。息子にもピアノを、と自分で教えたのは失敗だった;;友人たちから「自分の子どもは教えない方がいい」とさんざ聞いていたのだが。。。小1からピアノを始めた息子は小6でベートーベン・ソナタ1番を弾いた後「イヤだ」と辞めてしまった。私の教え方が冷静でなくて、息子にはダメダメ先生だった。それでも息子はお気に入りのミュージカルなどは全幕覚えて歌も上手く、音感もバッチリ。中3の学校合唱コンクールでは伴奏を弾いて先生方から誉められていた。本人もピアノやってて良かったと実感した様子で、私も少しホッとした。🔶子育て奮闘記40代は息子が小学~中学生で、気持ちとしてはいつも子ども中心だった。息子は明るい子だったが物事をじっくりと考えるデリケートなところがあり、思春期は苦戦した。私も学校のカウンセリングの先生にはたくさんアドバイスや気づきを頂いた。それは今、レッスンの生徒さんたちに役立っていると思う。ヴィオラ・ダ・ガンバ演奏は、地域でもコンサートが増え、続けていたグループでの定期的なコンサートもあり継続的に演奏活動をしている。ピアノ演奏は、時々歌手の伴奏者を頼まれて小さなコンサートやコンクールで演奏するようなペースで活動。🔶大怪我そんな50歳の時、慌ただしい年の瀬に道で転倒し肩に大怪我。その後2年間、痛みと不自由な手に苦しんだ。腕が上がらない状態だったが、レッスンやコンサートは〈工夫と忍耐〉で何とか乗り越えられた。肩も回復し、又ずっと認知症の父のお世話があったが、それも終わり、昨年から再びガッツリ《教える仕事》に時間を使える幸せな時期が来た。🔶現在自分は、興味のある事に夢中に集中する性格、余りくよくよしない大らかな所もあり、臆せずいろんな体験をしてきた。今までの様々な経験が、今、私の中で熟していっているように思う。ピアノ講師、ピアノ演奏、ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者の活動も休むことなく続けられて幸運だったし、素晴らしい先生方から学んだことは、〈心の〉、〈演奏の〉、そして〈教える仕事の〉大切な《栄養》となっている。子育てに一段落した現在、今までの経験を全て生かして、生徒さんのお役に立ちたいと思うようになった。ピアノとヴィオラ・ダ・ガンバの二足のわらじできた私だから音楽をより深く生徒さんに伝えることが出来ると思った。イギリスでは、ピアノはとても“ ハイソ” な習い事だった。英語にハンディがあった私だが、ピアノが弾ける事で一目置かれ、友人知人の輪を広げることが出来た。音楽は〈心の栄養〉、〈癒し〉、〈コミニケーション〉の大事な手段であると何度思ったかしれない。だからこそ、もっと多くの人が気軽に習えたらいいのに。イギリスに比べ、日本のピアノ教育は子供たちが習いやすい環境にある。私は日本のピアノ教師としてもっともっとピアノを広めていきたいと思っている。講師歴25年以上●大阪音楽大学学部ピアノ科専攻卒業●全日本ピアノ指導者協会(ピティナ)指導者会員●一般社団法人 全日本らくらくピアノ®️協会認定講師●和泉市人材データバンク登録講師●ヤマハ指導者グレード取得●中学音楽科教諭1級免許、高校音楽科教諭2級免許所持●【ピアノこころのほけんしつ】認定教室● 【育脳ピアノレッスンの教科書】認定講師◆2021年6月千葉テレビ『仕事のコンパス』に出演。取材の講座内容は自己肯定感でピアノ教室に役立てている。☘️通っておられる生徒さんの学校和泉市立いぶきの小学校、はつが野小学校和泉市立北池田中学校私立手塚山中学校大阪府立泉陽高校、和泉高校、天王寺高校、久米田高校、泉北高校私立帝塚山高校 教育大学 他🌈生徒さん、保護者様の声◆皆様の言葉やアンケートから・教え方がうまい(年長女児のお母様)・うえの先生だからここまで続けられた(高1生徒さんの保護者様)・娘が先生に全幅の信頼がある(小1のお母様)・先生がいてくれるから初めての発表会の不安も大丈夫 ~不安で泣いていたけれど(小1女子のお母様)・Y(小2)も私も先生が大好きなので頼りにしています(小2女子のお母様)・知人からの評判を聞いて習わせたいと思った(小4の保護者様)・素敵な先生に出会えたので引っ越してもオンラインで続けたい(小2の保護者様)・コンサートで演奏している先生の姿がステキで、 もっと練習したいと思ったみたいです(小3女子の保護者様)・発表会のあと、3歳の弟に 「ピアノってめちゃ楽しいんや〜Sちゃんもやる?」と話していて、胸が熱くなりました。 (小1女子のお母様)・小5女子のお母様から。学校合唱コンクールの伴奏者を5人で競ったあと、「手小さいし、うまい子いっぱいだからもう無理って思ってたけど、見事選ばれました! 先生のスペシャル・アレンジのおかげです!!」(小5の保護者様)・「ハロウィン、ピアノに行くのがもっと面白い」と小1女子Tちゃん。「ピアノだけでなく、いろいろな行事を通じて楽しく学ばせていただき、感謝しております!」(お母様)【ピアノを習ってよかったこと】・音楽が大好きになった!(小4男子の保護者様)・目標を持って練習できる(小6女子の保護者様)・出来ないことが出来るようになる喜びを感じられるようになった(複数の保護者様より)・練習してあきらめない気持ちが育ってきている(小3女子お母様より)・最初は弾けない曲も練習したら弾けるようになるという実感が持てる・音楽に触れる機会が増えた(小学生の多くの保護者様)・音符が読めるようになった(始めて6ヶ月の小学生の保護者様より)・ピアノで気分転換ができ集中力が増した(中学生女子の保護者様)・学校で伴奏者にチャレンジして達成感が得られた(小6女子の保護者様)・音感がよくなった(複数の保護者様)・上野先生がいつも励ましてくださり丁寧にご指導いただいたおかげで、くじけそうな時も練習しました(小5、小6の子どもさんの保護者様)・ピアノを通じて音楽を好きになってくれたことが嬉しい(小3女子のお母様)・少しずつ物事に取り組む根気強さが付いてきたよう(小2女子の保護者様)・どんな時も子どものペースやこだわりをうまく吸い取って下さり、保護者のフォローまでして下さり本当に感謝しています。【うえのピアノ・音楽教室を選んだ理由】・個人一人一人に向き合ったピアノ教室を探していました。体験レッスンの時、 型通りでない先生の自由な方針とスタイルに「ここだ!」と感じお世話になる事にしました。 あの時先生とお会いできたこと、本当に感謝しています。(小2女子の保護者様)・体験レッスンの時の先生の指導方法が子供によく合っていると思ったので(年長女児の保護者様)・実際の体験レッスンが良かった(小1女子の保護者様)・教え方が上手いという評判を聞いて(小4生徒さんのお母様)・先生の人柄が素敵だなあと思いまして(高校生、小学生の子どもさんの保護者様)・家から近くて通いやすいのと、先生のお人柄がよかったので(小学生女子のお母様)・知人からの評判を聞いて(年長さん女児のお母様)・子供の興味を引き出して音楽に繋げてくれる・ちゃんと基礎を教えてくれる・発表会やコンクールなど発表の機会が多いこと◉教室の所在地和泉市立いぶき野小学校からすぐ 和泉市立北池田中学校からすぐ 泉北高速鉄道『和泉中央駅』から徒歩7分 和泉ららぽーとのある和泉市 和泉中央線道路沿いマンション◉近隣幼稚園・保育園北松尾幼稚園、北松尾保育園、和泉カトリック幼稚園、芦部保育園、ニコニコ保育園和泉中央園、認定こども園いぶきのPreSchool、幼保連携型こども園たつのおか保育園、伯方幼稚園、認定こども園横山きのみ保育園、北池田保育園、北池田幼稚園、くすのき保育園、光明台幼稚園、国府第二保育園、双百合幼稚園、鶴山台国際幼稚園、国府第一保育園、北府幼稚園、みなまつ保育園、ひばり幼稚園、幼保連携型子ども園はつがの国際子ども園、和泉チャイルド幼稚園、新光明池幼稚園、和泉緑ヶ丘幼稚園、上代幼稚園、新ひのお台幼稚園、認定こども園たけしろ幼稚園、美木多幼稚園、いずみがおか幼稚園、宮山台幼稚園、城山台子ども園保育園、成晃ひかり幼稚園、◉近隣小学校和泉市立いぶき野小学校、和泉市立北池田小学校、和泉市立池上小学校、和泉市立芦部小学校、和泉市立北松尾小学校、和泉市立黒鳥小学校、和泉市立国府小学校、和泉市立伯他小学校、和泉市立南池田小学校、和泉市立青葉はつがの小学校、和泉市立南横山小学校、和泉市立信太小学校、和泉市立光明台南小学校、和泉市立和気小学校、和泉市立光明台北小学校、和泉市立鶴山台南小学校◉近隣中学校和泉市立北池田中学校、和泉市立光明台中学校、和泉市立南松尾中学校、和泉市立郷荘中学校、和泉市立信太中学校、和泉市立槇尾中学校、和泉市立富秋中学校、和泉市立石尾中学校、和泉市立和気中学校◉近隣高校大阪府立鳳高校、大阪府立泉北高校、大阪府立泉陽高校、大阪府立登美丘高校、大阪府立金岡高校、大阪府立堺上高校、大阪府立堺西高校、大阪府立堺東高校、大阪府立三国高校、大阪府立堺工科高校、大阪府立農芸高校、大阪府立東百舌鳥高校、大阪府立成美高校、大阪府立和泉高校、大阪府立信太高校、大阪府立伯太高校、大阪府立泉大津高校、大阪府立岸和田高校、大阪府立天王寺高校、四天王寺高校、清風南海高校、清教学園高校、関西大倉高校、桃山学院高校、近畿大学附属高校、清風高校、明星高校、大阪桐蔭高校、関西大学第一高校、大阪女学院高校、上宮高校、上宮太子高校、追手門学院大手前高校、追手門学院高校、大阪星光学院高校、大阪学芸高校、大阪暁光高校、大阪商業大学高校、大阪商業大学堺高校、信愛学院高校、手塚山学院泉が丘高校、手塚山学院高校、大阪夕陽丘高校、大谷高校、開明高校、関西創価高校、関西大学高等部、関西大学北陽高校、関西学院千里国際高等部、近畿大学泉州高校、金蘭会高校、賢明学院高校、四條畷学園高校、樟蔭高校、城南学園高校、城星学園高校、精華高校、清風高校、清明学院高校、相愛高校、天王寺学園高校、羽衣学園高校、初芝富田林高校、初芝立命館高校、東大谷高校、PL学園高校、プール学院高校、明浄学院高校、明星高校、八洲学園高校、◉近隣大学近畿大学、桃山学院大学、
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