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本名:宇賀田英明(フェイスブックもやってます。天然害獣忌避剤のネットショップもやってます。そちらもよろしくです)1964年、昭和39年 東京生まれ。平成元年、コピーライターとしてスタート。エプソンプリンタの「カラリオ」のネーミングを手がける等、食品、流通、金融等々、ありとあらゆる業種のコピーライティングを経験しました。意を決し平成24年、長年勤めた広告制作会社を退社し、起業。そして2ヶ月後、くも膜下出血を発症してしまいました。生死の確率は50%、9時間に及ぶ開頭手術。結果、幸い命は、取りとめたものの、左半身に麻痺が残り。そのままICU(集中治療)にて監視されること2週間。何とか、生命の危機は脱し、一般病棟へ。そこからリハビリ。まず、立ち上がることから。わずか半月、寝たきりになっていただけで、人間というのは自力では立ち上がれなくなってしまうという事実。車椅子から立ち上がり、その場で足踏み。一歩ずつ前へ、1メートル歩いては戻り、少しずつその距離を伸ばしていくという訓練の繰り返し。しんどかったです。 それから一ヶ月。左半身のしびれ、痛み、左耳の難聴は残るものの、“奇跡”と呼ばれるほどの回復。一度はあきらめていた社会復帰への光明が再び見えてきたのです。その時思ったこと、それは二つ目の命をいただいたことへの感謝でした。「社会復帰をしたら、人に社会に、役立つことをしよう!」 3ヶ月経ち、退院、自宅療養へ。そして、発症から約10ヶ月後、ほぼ完全社会復帰。ところが、仕事がない。2013年、当時の日本経済は、どん底。とくに広告業界は、完全に冷却状態。しかも、独立直後から約1年のブランク。おまけに風評被害も。「くも膜下出血になった人間に、仕事を発注するのは怖い」と。人に、社会に役立つことをしたい。そんな思いは一瞬のうちに吹き飛び、まずは自分の家族を養うために、しゃかりきになって働きました。 これまでお付き合いのあった方たちを周り、元気であることをアピールする毎日。そして、新しい出会い。 おかげさまで、仕事がぼちぼちと。チラシ、ポスターといった紙媒体の広告制作から、プロモーションビデオ、ホームページ制作。ネーミングの依頼・・・ 新しい出会いの中の一つが、養鶏関係の飼料を販売している方でした。話を聞くと、卵は物価の優等生と言われていますが、その価格を維持するために養鶏場の大規模化が進んでいます。一方、小さな養鶏場では、販売価格を維持できず廃業に追い込まれると。 「宇賀田さん、何とか小さな養鶏場を助けてくれないか」と。それからしばらくして、小さな養鶏場さんをご紹介いただきました。話をお聞きすれば、実に丁寧に一生懸命、いい卵を作ろうと努力されているではないですか。感動しました。そんな方たちをサポートすべく、卵の美味しさ、栄養面、食材としての素晴らしさ等々を皆さんに伝える人になろうと、ここに「たまごコーディネーター」宣言をいたします。
テーマ: MYG=目玉焼きごはん
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