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5歳の時、宮崎少年ラグビースクールでラグビーを開始。宮崎大学教育学部附属小学校、宮崎大学教育学部附属中学校、宮崎大宮高校、宮崎産業経営大学法学部。19歳で宮崎県協会C級、21歳で九州協会B級、クイーンズランド州公認審判員資格も取得。在学中の1996年から3シーズン、オーストラリアのクイーンズランドでラグビ選手として活動。クイーンズランド・プレミアシップのGPSクラブでプレーし、ベン・チューン、ダニエル・ハーバート、マット・コーベインらオーストラリア代表選手とともに7人制クイーンズランド州選抜メンバーにも選ばれ国際大会にも出場。オーストラリア(ダーウィン)国際セブンズ大会 優勝オーストラリア国内セブンズ大会 優勝シンガポール国際セブンズ大会 ベスト8タイ国際セブンズ大会 準優勝1999年に帰国し、関東協会に移籍。2003年に日本IBM(当時、トップリーグ)とプロ契約をしテクニカルコーチ・プロレフリーとして活動を開始。2005年には当時最年少の28歳で日本協会公認A1級審判員となる。同年に株式会社フォーシーズと所属契約し、日本初のフルタイムレフリー宣言を行う。2006年よりA級に当時最年少で昇格。2007年には北半球最高峰のシックスネイションズでティア2協会初のタッチジャッジを務める。2007年、レフリーとして史上初めて日本ラグビーフットボール協会と契約を結ぶ。2009年に伝統の対抗戦ブレディスローカップでアジア人初のアシスタントレフリーを務める。アジア人として史上最高位となるワールドラグビー(旧IRB)エリートBパネル入りを果たす。2006年よりワールドラグビーセブンズエリートパネルレフリーとして活動し、ワールドセブンズシリーズでは2度カップ決勝のレフリーを担当し、ワールドカップではティア2協会のレフリーでは史上初めて開幕戦をレフリー担当した。ワールドセブンズシリーズでのレフリー担当試合数は123試合。また、オリンピック委員会管轄の大会であるパンアメリカン大会では決勝をレフリー担当した。その他、200試合以上のアジアセブンズシリーズ、ワールドゲームズ大会、アジア大会、クラブ国際大会等のレフリーを担当した。テストマッチでのレフリー担当は21試合。NEWSWEEK誌にて「世界が尊敬する日本人100人」に選出。陸上自衛隊より外部講師としての活動が認められ感謝状を受ける。宮崎県スポーツランドみやざき推進アンバサダー。ワールドラグビーエデュケーター ライセンス番号185。
テーマ: ブログ
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