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昭和34年4月5日生まれ。北海道出身。昭和50年北海道天塩郡の豊富中学卒業昭和53年函館ラ・サール高校卒業昭和58年日本大学文理学部を卒業昭和58年北海道の中堅塾に時間講師として入社。昭和62年進学会に専任講師として入社平成3年静岡県の富士市に富士本部長として着任。平成6年福島市に福島本部長代理として着任。平成11年仙台の個別指導専門塾に社員講師として入社平成16年進学教室StudyGymを開設(自己紹介)北海道旭川市で生まれ、近郊の町で育ちました。父は病院勤務の薬剤師、母は専業主婦でした。絵本と地図帳と図鑑が大好きな子供でした。小学校入学直前に最北端の町に引っ越し、小・中学校の時期を過ごしました。中学時代は良いライバルにも恵まれ、うまく学力を伸ばすことができ、第一志望校に合格しました。函館の進学高に進み、寮に入りました。寮生活も勉強についてゆくことも、とても大変でした。また、勉強や人間関係で沢山悩みました。その中で、人間関係の重要性を学びました。良い結果を出す人は、周囲との関係性が良い。自分より、他人の幸せを優先に働く人が、幸せになっていく。そんなシーンに何度も遭遇することで、物の見方、考え方に大きな影響を受けたように思います。人の役に立つ仕事がしたい。自分ができることにはどんなことあるかを考え続けた末、大学の途中から教員を目指しました。入学したのは教員養成系の大学ではなく理学部。卒業のための勉強と教員採用試験のための勉強を平行して行わなければならず勉強不足、一度目の採用試験は不合格になりました。教職を目指して浪人し、生活のために塾講師のバイトを始めました。その塾では良い生徒たちに囲まれ、やりがいを持って仕事ができました。塾教師として勉強面から、荒れていた生徒が立ち直ってゆくとか、学力的にギリギリだった生徒が努力して合格し、希望の所に進学してゆく、そんなシーンに何度も立ち会いました。そのうちに学校ではなく、塾の教師としてやってゆく方に気持ちは変わってゆきました。大手塾に転職し、そこで12年間働きました。その間に約1500人の生徒の学習指導、受験指導を行いました。6年目からは管理職に登用され、学習指導のみだけでなく、本部運営全般にも関わるようになりました。この大手塾での経験と実績が、現在の運営や指導方法の基盤となっています。学習塾の管理職の仕事は、講師の採用、育成、および組織を維持して動かして行くための様々な事務作業が多く、どうしても現場に出る時間が減ります。その中で発生する種々の問題に対応するため奔走する日々。『これが自分のやりたかった仕事か?』そんな疑問が大きくなってゆきました。また大手塾が組織を維持してゆくためには、講師の育成は欠かせません。どうしても、何割かは未熟な講師を実践の中に投入しなければなりません。最強メンバーだけでチームを組んで、クラスを運営することは許されないのです。『大手が出せるサービスの質には限界がある。』『小さくてもいいから、ハイクオリティなサービスを提供する塾を作りたい。」そういう思いが強くなっていきました。この二つの想いから、大手塾の退職を決意し、宮城県へ移住しました。そして当地においてStudyGymを開設しました。創業時からの紆余曲折を経て、現在に至ります。
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