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2010年9月 首のあたりに腫れを発見。2010年10月 結婚を決める。結婚式の準備に取りかかる。2010年12月 病院で検査をする。原因不明。2011年1月 首を切っての生検を勧められるが拒否。2011年3月11日 都内の病院のPET検査の機械の中で、東北地方太平洋沖地震にあう。「この検査はとてもよく揺れる機械ね・・・。」と思う。もちろん機械は途中で止まりました。。。発症から半年。徐々に数珠状にしこりが増え、疲れやすくなる。毎日38℃の熱があがったり下がったりするようになる。当時の欠かせない持ち物は、アイスノン。2011年5月 周囲に説き伏せられ、とうとう生検。歩くことも出来なくなってきたので、結婚式を延期にする。2011年6月17日 悪性リンパ腫ホジキン腫結節硬化型告知 10万人に一人の病気。とにかく大当たり!?再PETで進行状況はⅣ期と最悪なことがわかる。頸部、横隔膜の他、骨髄、脾臓に浸潤。最悪2012年は迎えられないだろうと言われる。余命半年の花嫁?映画のような人生ってあるんだなぁ。「死ぬことは受け入れる、ただ最後に皆に幸せな私を見てもらえたら」と結婚式を予定通り挙げることにする。父と彼が味方になってくれた。2011年7月4日 ABVD療法開始。ショック状態起こす。結果的にはホジキンという型も、また進行の早い高悪性度だったことも、よい結果を生んだ。(ホジキンにおいては進行が早いほど、抗がん剤の反応がよいと言われる)2011年7月21日 結婚式の2日前に一時退院2011年7月23日 入籍。結婚式。ティーパーティー。30キロ台まで体重は落ち、前日までほとんど歩けず車いすだったのに、当日は12センチヒールで堂々と歩くことができたのが、自分でも不思議。この日を境に命がまた始まったような気がする。。。2011年9月4日 最愛の父急死。世界が崩れたような気がした。2011年10月 治療予定8クールを、自分の意思で半分の4クールで中止する。父の死もあり、身体と精神がもう持たない、治療を頑張る力が一切なくなってしまった。2012年1月 PET検査で寛解の診断。その後、18ミリと13ミリの腫瘍は依然として胸にあるものの、活動しておらず、経過観察中。2012年4月 職場復帰。諦めていた大好きな保育のお仕事に戻ることができました。2012年12月 寛解後1年経過となるため、妊活許可がおりる。2013年9月 タイミングにて妊娠→化学流産2014年3月 タイミングにて妊娠→化学流産2015年3月 体外受精にて妊娠→化学流産
テーマ: 2012~経過観察
テーマ: プレママな日々
結婚準備レポ・プレ花嫁
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