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ご覧いただきありがとうございます。このページは、36歳からのキャリアに関するお悩み、40歳までに整えておきたい自分らしい働き方、在り方、ライフスタイル、(キャリアチェンジ・キャリアシフト・キャリアアップ・セカンドキャリア)を考えている方に向けてキャリアの応援や支援を行うブログです。▼36歳から役職を捨て、起業の道を選び、その中で独自の経験を基に開発した「恩贈り考動学」「応援学」にてキャリアチェンジをし今もなお実践者でもある、向井のプロフィールです。「お金もない、学歴もない、旦那もいない、でも応援団だけがいる」ミシンの経験もないハンドメイド作家だった私が、何をして、どうやって起業たった3ヶ月で会社員の給与を超え、月30万円〜50万円以上を稼ぎ、年商1000万円を超え続け、起業4年で法人化。最高月商580万円(会社員の年収を1ヶ月の売上で超える)経験を得て現在、延べ2,000名以上の支援をおこなってきた。私がそうだったように、勇気を持って外の世界に出てみたら、自分では気づいていない「らしさ」を活かし、多くの人に必要とされ、ありがとうや喜びの声をたくさんもらえる!本来の「働く」意味を体感・体験できあなただけの天職になる。ハタをラクにする!ことを実感し、その対価をいただく。あなたにしかできないシゴトで、周囲に喜ばれ選ばれ、シゴトと遊べるようになる働き方を見つけ出そう。ハタラクを応援し、キャリア自律を支援します。そんな私は、再婚し理想のパートナーとの出会い、高齢出産など幸福度がアップし、豊かな人生になれたのか?と今でも振り返ることが多いんですが、「大切な人を大切にできなかった経験」「応援される喜びと、応援する感動体験」「家族や仲間への感謝」・・・離婚・借金などなど波乱万丈の人生物語、なすこと全て失敗したからこそ今の私がいる。うまくなくていい諦めずに進んできたから今があるだけ。すごい能力じゃない、続けてきた自分を褒めたい。そんな、経験があなたを勇気づけることができれば幸いです。私も先輩や恩師、仲間に背中を押して、先の見えないトンネルからひっぱり出してもらったように・・・今度は、私があなたの行動するきっかけを作りたい。そう思って、書いています。自己紹介、少しの間お付き合いください。私は5歳の時に父を突然亡くし、母が女1つで父の会社を引き継ぎ、突然の死で次の日から残された従業員と私たち兄妹のため社長になった母の背中をみて育ってきました。親戚や近所の人を含め、泣き言を言わず父の分も働き文句言わず、我慢もしながらも自分を生きるという頑張り屋の母を見て、多くの方が応援してくれました。周囲の方々の支えにより、何不自由なく奨学金制度を使いバイトを3個掛け持ちしながら、大学まで通うことができました。朝から晩まで働く母、50歳の頃に猛勉強をし調理師免許を取得。新たな事に挑戦し続け、働くと楽しいよ!と笑いながら過ごす母。何に対しても妥協しない姿。かっこよくとても尊敬できました。だから、働く事が好きになったのだと思うんです。忙しくっても仲間や家族の事が好き!夜ご飯が22時を超えるなんて当たり前だったし、小学校の頃からご飯が作れるようになったのもそのおかげ。お父さんが居なくても家族3人で、そして周りの方の協力を得ながら生きてきたおかげで、コミュニケーション能力やちょっと図々しいところもありながら、人とのご縁を大事に、愛を持って育むことを多くの大人から教わりました。そして、大学をし就職した「営業」という仕事を通じ、父の友達と3人出会ったのです。営業マンとして地域のお店や企業にまわっている中で、名刺を渡すと・・・「向井 文雄(ふみお)の娘か?」と突然聞かれたんです。なぜ父を知っているの?ただ、涙が溢れました。出会わせてもらった3人とも、私の知らない父の姿。高校生のやんちゃな父。お祭りで団長をしていた父。働く場で想いを語っていた父。母も聞いたことのない、知らない父の顔や話。を聞くことができたのです。とても嬉しく今でも忘れられません。そして、3人が共通していたのが、「お前の、お父さんには世話になったんや!」とたくさんの紹介をくれたのです。なんと、何十年も経っても父のことを覚えてくれてそれを娘の私に父がしたことをお礼したいと言ってくださいました。心にずっと残るものそれが、誰かを思って一生懸命やること目の前の人に感動してもらうことそう気付かされた出会いでした。この時に、父の偉大さと父が残してくれた大切な資産。お金よりも、何よりも仲間との信頼関係。そして、友情や心の中にいまも住み続ける「感動」を残すこと私は、こんな風な大人になりたい。こんな風に、忘れられない存在になりたい。誰かの心で生き続けられるような影響を与えられる人になりたい。そう思ういました。そして、恩を忘れずに、やったことよりもやってもらったことに敬意を払って、その人に返せなくとも、その人が大切にしている人へと恩を贈っていく「恩贈り」を初めて経験したんです。こんな風な大人になりたいと親になりたい。と・・・そう思いながら、29歳で16年付き合ってきた彼と結婚。そして、半年後別居。1年たたずして離婚。大切な人、1人も救えない・・離婚と同時に、私は大きな借金を肩代わりすることになり懸命に働くことになります。自分の心が歪み、疲弊して枯渇しそう来る日も来る日も、お金に追われるような生活で朝から晩まで仕事があったおかげでなんとか乗り越えることができました。仕事は、広告会社で販売促進・企画営業をしていて全て、会社の社長さまと直接商談できとても多くの考え方や哲学に触れさせていただきました。だから、頑張れたんです。正しく、人と環境に救われてきました。働きながら、コミュニケーションを通じ体験と経験をさせていただいてきた「営業」という究極のコミュニケーションが必要とされる仕事をさせてもらっていたおかげで、人生で必要な人間力を学ばせてもらえたんです。働けること、働かせてもらえること、お金をいただきながら、成長させてもらえる日々。なりふり構わずに借金を返すこと、自分のことは後回し、そんな生活を30−35歳までしていました。女性そして最年少で課長へと昇進。頑張ってきたな・・・私。そんな風に思えるのは今だから。その時は、目の前のことに全力だった・・・自分の悲しみなど、空虚感で苛まれることが怖かったんだと思う。そんな中、他界した父から・・_天からのプレゼントのような出会いをもらったのだと、あの父の大切な人たちとの出会いと「恩贈り」の体験は、私にとって大きなターニングポイントになった。いつも心に留め感謝を忘れずに、自分を諦めずに、お金の奴隷にはならず生きていきたいこんなはずではない、、、、好転するはず!根拠のない自信だけが私の支えだった。そう思いつづけて、全ての借金(元夫の借金プラス奨学金2つ 約600万円)全ての返済が36歳で完済したんです。大きな自信になり、安堵と共に一気に力が抜け落ち、燃え尽き症候群に。身体にも異変が起こり血便が止まらない状況に。知らない間に、ストレスが蓄積していたんだそれさえも見て見ぬ振りしてきたんだ・・・自分を後回しにし過ぎたやっと冷静になりどうせ、貯金もゼロ、彼氏もいない、失うものはないんだから、全てをゼロにして出直してみよう!そう思って、退職を決意。何をしたいわけでもなく、決めてもなかったし、決める気力さえもなかった。この時、今思えば鬱だったかもしれないな・・・あてもない、そして手に職もなければ、資格もない。あるのは、父のくれた「恩贈り」の体験感じたた熱い想いそして、私は、こんなもんじゃないと言う自分を諦めない、根拠なき自信この2つだけは無くならなかったゼロ尽しの私に、何ができるのだろう?会社の看板もない、実績も何もない・・・・来る日も来る日も悩み、苦しみ、悶えていましたその時に、「あやか、家から出よう。」連れ出してくれた友達に「魚の死んだ目してるやん。」と言われ、今思えば本当に、鬱状態だったのかもしれませんね。心も体も全て疲れて自分の自覚症状さえもわからなくなっていたんでしょうねそこから、本を読み漁り、自分のできることお金もない。生み出せる資産は「自分と経験」しかなかった。と言った方が間違いじゃない気がします。自分の経験や強みを洗い出し、今の自分じゃなく未来を考えることに夢中になってドリームボードで、自分の未来年表を書いたんです。それを見ると希望が湧いてきて自分に応援をしました。毎日・・・逃避していたようではありますが、本やYouTubeで7つの習慣や成功法則を聞いてみて独学で学び、会社で働くのではなく、誰にも私のハンドルは握らせない!!自分で手に職をつけたら、自分で全てを選択できる。そんな意志を持ち、ハンドメイドをスタートさせました。もちろん、ハンドメイドはしたこともないしミシンさえ持っていませんでした。そこからのスタートです。笑母が作ってくれた鞄で感動したことが忘れられず、デニムのリメイクを母と共に始めましたこれが私の起業スタートです。あっという間に、3ヶ月待ち、半年待ちというほど「想い」に価値をつけ、オーダーメイドで持ち込みのデニムで思い出と共に暮らすというコンセプトで捨てられないデニムをリメイクし鞄専門店としてサイトOPENさせ、同時にSNSを活用し始めたら忙しく縫い子さんを3−5名雇うほどにまで成長。ここまで来れたのは、母が助けてくれたことそして、母の友達や知人も一緒に協力してくれたこれも母への「恩贈り」だったんだなと思い返すとすごく感じています。周りからは、すごいね。売れてるねーなど言われるようになった頃でも、どこか心の中では空虚感がありお客様も喜んでくれているのに、なぜ私の心は満たされないのかな?と・・・サイトでは顔の見えないやり取りコミュニケーションに寂しさを覚えていたのかもしれません。それから、口コミで広がり、ハンドメイド作家さんたちがブログを読んで売り方やコンセプト設計などを教えてほしい!セミナーを開いてほしい。そんな声があり、「売れる自分になろう!」というタイトルのセミナーをリアルで初めて開催し5人きてくれそれから、和歌山での開催などどんどん活動の幅が広がり今の応援大学へと変わっていったんです。誰かのために・・・誰かからの恩を目の前の人に返していく私の生きてきてる中で変化・変容するタイミングで「恩贈り」を受けているそんな感覚がありこれはきっと、神様や先祖からのお導きなのかもしれない一生懸命やっていたら目の前に手を差し伸べてくれること気づかせてくれる出来事が起こってくれるんです。自分がやりたいことをやる!自分のためにやっているときは、そんな経験はなく、営業時代もクレームが続いてました。でも、利他の精神でお父さんやお母さんにしてきてもらったこと高校の恩師に教わったこと友達や仲間がしてくれたことそんな思いや経験に心が満たされ目の前の人に純粋に「お役に立ちたい」と思った時奇跡は起こるんです。例えば、営業時代では1チーム5人で年間売り上げが1億ほどそれが、私は1人で1億を売り上げてしまった。しかも、月1500万円ほど売ったこともあり。(単価は、600円〜200万円)高単価のものを1件だけではないので、クライアントさんは毎月250件ほど。起業してからは、起業塾で学び最短1ヶ月で、月商100万円を達成。3ヶ月連続達成。そして、月商580万円(会社員時代の年収を1ヶ月で超えてしまいそうになる)プライベートでは、再婚し、高齢ながら第一子も授かることができ、起業当初に書いた、家族でイギリス旅行7日間も行けたし、母と約束してた、親子でマチュピチュの旅10日間も叶えてきた。私が憧れる経営者の父は、近所の人を集め、バスをチャーターし、みんなを連れてスキーに行ったり、海外へ軽やかに行ったり、人を楽しませること。誰かが、誰もがやりたいことをしっかりと見極めチャンスと環境を与えていた。自分も楽しみながらね。笑そんな人になりたいんだとならば、父の想いを受け継いで1人でも多くの人に「感動」が生まれるチャンスと環境を与えること私が恩贈りを実践していく!・傍を楽にするために働く・大切な人の大切な人を大切にする・愛と感謝を循環するこの3つを軸に新たにハタラクを応援するリスキリング大学としてリスキリングとは?大人の学び直し 社会人経験をして、またスキルを身につけることここでは、人間力・コミュ力・各分野のスキル・知識や哲学など考え方やあり方を学び、体験しながら人と関わり合いながら、経験というキャリアを積む学校では教えてくれない生きた学びと体験できるカリキュラムを構築。ハンドメイドで培ったゼロイチスタートでもハンドメイドから、応援大学に職種をチェンジしたときも、この軸で、実績や望んだ未来をつくりだしてきたそして、私以外の受講生や仲間もね。私以上に結果を出している。自分が思い描いた「働き方」いや、傍をラクにするハタラクの精神と今まで自分の心を育ててきてくれた両親や関わってくれた人からの「恩」を次の人へのプレゼントする「恩贈り」コミュニケーションスキル一生もんのスキルを手にして心から豊かになる人を増やしたい。この恩贈りコミュニケーションで日本の幸福度ランキングを上げたいそう心から思っています。自分らしく生きる人のもたらす影響は父を見て実感していますから亡くなっても人の心に残る生き方根本は、誰かを想って自分も、大切な人も好きなことを全力で楽しむそれが仕事になれば最高ですよね。誰かを想う気持ちが原動力となれば、影響の輪を広げる恩返しではなくもらった恩を、目の前の人にプレゼントのように贈るこれが日本人にはぴったりな「和のこころ」なんじゃないかなそんな生き方をしよう関わる人の、お役に立ちたい。そのために私はあの「恩贈り」の経験をさせてもらったんだから。父の人に対する振る舞いやあり方が人の心に残っている人が多いのはきっと、父は自然にやっていた無償の愛というか自分がしたかった楽しんでただけ!そんなことしたかな?頑張らないで自然体でできること気合い入れずに、人が喜んでくれること相手の痒いところに手が届くような想いがあることそんなことや思いをカタチにして言葉にして人と接するとみんな笑顔になっていく。それが、人生を短く終えながらもやりたいことやりきって死んだんちゃうか?と言われる父の生き方。そんな父が、できなかったことやりたかったこともっと自由に、もっと素直に生きたらええやん!楽しみながら、生きていこう。仕事をして1人でも多くの人に役に立とうそう言われている気がしてなりません。だから、私は誰かを応援したいと思っている人を応援したい。応援してほしいと思っている人じゃなく、応援したい!と会社のため?親のため?家族のため?仲間のため?部下のため?上司のため?友達のため?誰かのために利他の気持ちで応援したいと思っている人そして、多くの人から「応援」されて恩返したいそう思っている人にこの体系化されたコミュニケーションを改めて学び知ってもらいたい。夢を叶えるための、大切な人を応援するために。それが、自分の心がきっと一番喜ぶから。自分を磨き成長をこよなく愛し望む人との出会いを楽しみにしています。「恩贈りコミュニケーション」を身につけること誰よりも自分を応援することができる自分の大切な人を応援することができる先祖からも応援される生き方ができる応援しあえる仲間ができるこんな人たちとご縁をし、世界に通用するカルチャー「恩贈り」を文化にしていきたい日本人の心に宿る心優しい愛国心をベースに・・・恩贈りで日本を救う。幸福度を上げていく。これをモットーに応援大学を運営しています。父と母からもらった愛と考え方、あり方、そして親のように育ててくれた恩師たちからの教えをもとに、「一生受け継ぎたくなる感動をつくる」を理念に掲げこれから恥じないようにと精進してまいります。・・・・・・・・・・・・・●現在の活動報告傍をラクにする働き方を応援する一生受け継がれる「感動」をつくる個人起業家、リーダー研修・法人顧問・起業家育成など枠に捉われず、地域と人、モノとコトを繋ぐ企画運営から、面白い発想で周囲を巻き込み、共に生み出し創り出す支援を行っています。傍を楽にすることを応援するリカレント大学(応援代大学)では、「恩贈りコミュニケーション」を身につけるカリキュラムをオリジナルで作りだし、学校では教えてくれない体験や経験を幅広い年代と共に学び成長する環境を用意。OUEN NOTEでは、もっと自分を好きになるためのオリジナルノートを考案し実際にこのプログラムで変化を起こしたメンバーたちと共に、OUEN NOTEメソッドの開発とプロジェクトを全国で始動中。現在、営業マン時代を含めコンサルティングを始めてから述べ2,200名以上の目標達成の支援を経験。中でも、1店舗6店舗に事業拡大したお店や売り上げが10倍以上になった店舗や、20倍近くの収入を得た人も少なくない。また、営業マン時代1000人来場イベントの企画運営の経験から20-30名規模のイベントを毎年数回開催。2018年西日本大豪雨災害時、数時間で翌日チャリティーイベントを決意し、数名からの呼びかけと応援してくれる仲間と一緒に開催。3日で述べ300名以上(支援金75万円)を集めた。想いに価値を。らしさに感動を。あの日、父の友達と出会えたことをきっかけにお金の価値はいつかなくなるかもしれない・・・でも、心に残る想いは計り知れないほどの価値がありそして、やがて大きな感動を生み出していく周りを巻き込みながら、大きな原動力となると実感。「個」の時代だからこそ「応援」を味方にできるか?これから、もっともっと心の豊かさという部分で、この「応援力」を身につけているかどうかで、大きな差が出てくるんじゃ無いでしょうか。サービスや商品を売る前に、自分を信じぬく力を備え、自分自身のファンであり続けるコト。大切な人の大切なことと人を大切にする。大切な人を「応援」する純粋な気持ち大好きな人を「感動」させる行動力恩を返すのではなく、恩を次の人へ繋いでいく「恩贈り」で感謝を忘れないこういった古臭いことかもしれませんが、大事なことだと思うんです。どんなシゴトをするか?よりどんな仕事で、お困りことを解決するか。人のお役に立てるか?を考え抜くからとても面白く「感動」が増幅して、結果、望む資産(人やお金や環境)が手に入るのでは無いでしょうか。マーケティング・セールスはもちろんのこと、自分自身が商品であること、自分自身とご縁という素晴らしい資産の価値を「最大化」させるため、自己表現力・自由な発想力・行動力を体感し体得する環境やプログラムを開発・研究・実験しながら進めています。また、大阪のオカン!のような親しみやすさだと定評。親近感と人懐っこさ、大きな愛で多くの人の心を満たしている。仲間と共に愛を持ってご縁を育み、共に創り(共創)・共に育み(共育)・共に生きる(共生)の考えの元応援力の独自プログラム・メソッドをお届けし続けています。●経歴と実績泉州広告株式会社 マーケティング営業13年間従事。年間9600万円を販売するトップ営業マンとなる。全国1位の四冠を達成し、全国商売名人賞は26回受賞。女性最年少 課長に就任。会社史上最高売上1億円プレイヤーと呼ばれる1,000件以上のクライアントさんの売り上げ貢献と店舗展開・商売繁盛に携わる2014年起業スタート 3月 会社員宅(課長職)卒業。退職 4月 「デニムリメイク専門店 dozika」オンラインshopをオープン7月 3ヶ月待ちまで一気に成長 人気店へ2015年 ハンドメイドセミナーを主催 参加者が売り上げを2〜5倍伸ばす 2名から直々コンサル依頼が来る2016年 年商 800万円 6月 起業家育成プログラム 「人脈道」 主宰2017年 年商 1,500 万円 12月 人脈道から「応援大学」に名前を変更2018年 年商 2,000万円 1月 結婚・応援される起業家育成大学新体制 4月 法人化 株式会社BUN∞BUN 設立・和歌山開講 8月 企業研修などイベントプロデュース開始2019年 1月 4事業所企業顧問コンサル 3月 法人プロデュース・イベント企画運営 4月 法人設立1周年 新体制オンライン導入応援大学スタート2020年 4月2社目設立 一般社団法人 日本シェアビー(share bnb)設立 法人2周年(株式会社 BUN∞BUN) 7月 第一子出産 8月 株式会社3期連続黒字で決算を終える2023年4月 法人5周年7月 応援大学7周年●ライフスタイル大阪から愛媛まで約297kmを完走ホノルルマラソン2回完走・万里の長城マラソングランドホッケーにて国体準優勝・インターハイ出場経験ありなども完走教員免許習得NSC40期卒業国家資格キャリアコンサルタント 実技合格コネクション・プラクティス基礎修了和漢薬膳士資格取得ボタニカルアートデザイナー資格取得●プライベートバツイチ・39歳で再婚料理ずき、食べ歩き好きなるほどザ・ワールドのレポーターになりたいと夢をみてきていました。3人兄弟の末っ子。
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