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三代 千 宗旦の侘び茶?


 宗旦という人は、利休さんの孫。
江戸時代に入り、世の中もやっと落ち着きだしたころ頃の茶人である。
江戸には徳川家康が天下を治めていた。
宗旦は、利休が権力に近づき過ぎ、大変なことになったので、一切権力には近づかないで中立を守った。だが、家康は宗旦を江戸に招こうと狙っていた。
宗旦は子供の一人を四国の高松の家康の孫の松平家に茶道師範として仕えさせた。一回目の家康の招きはこれで退けた。だが、しばらくしてまた、家康から江戸への誘いが来た。二人目の息子を、今度は紀州徳川家に仕えさせた、これが後の表千家。2度断った宗旦は、三度目は命がけである。
そうならないうち、宗旦は2度目の隠退をして。又隠という茶室に末の子を連れて閉じこもる。
年老いた宗旦は、最後に末の子を加賀の前田家に茶道指南として送った。
宗旦の作戦は成功、家康はその後宗旦に江戸に出て来いとは言わなかった。
宗旦は政情不安な関東は避け、利休の完成した侘び茶を日本全国に広げたのである。この宗旦の卑屈の精神が、乞食宗旦、聖宗旦と言われたり、大阪では宗旦狐という落語になったりする。宗旦狐は隠居しても、あちこちから茶会の誘いで忙しい宗旦を気の毒に思った、裏山の狐が宗旦に化けてあっちこっちの茶会に行く。宗旦はそれをありがたがったというお話。私も大好きな宗旦狐である。

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