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わたしは物心つく前から、絵を描くことが好きでした。小学生のわたしは、いつもノートや学校の黒板に絵を描き、漫画家になることを夢みていました。わたしの実家は、大自然のなかにあります。家のすぐ近くには、自然の神様の祠があり、祖父母や両親は神様をお祀りし、神様がいてくださることに感謝をしていました。わたしは小さい時から、目に見えない力があることを感じ、それを自然に受け入れて育ちました。高校生になると、交通の不便さから実家を離れて暮らし始めます。新生活のすべてが新鮮で、好きだった絵を描くことも少なくなっていきました。わたしは絵を描くことより、映画に心奪われていきます。周囲の環境に不満はありませんでした。愛情のある家族、仲の良い友達。しかし、なにかが足りない…。自分の存在理由がわからなかったわたしは、思考・想像したものを可能にする映像、そして発信できる世界に、夢をみました。そして、なにかを伝えたい、表現したいという想いが、沸々と湧いていました。しかし、高校卒業後は、親のすすめもあり、リハビリの専門学校へ進学。私の祖父は脳卒中を発症。リハビリの大切さはわかっていました。理学療法士として病院勤務中には、頑張りすぎている人、人生を諦めている人、いろんな人に出会い、人の死も経験します。私は、人生の儚さを感じるとともに、人生とは何かを考えはじめます。もともと人の気持ちに敏感でしたが、更にその感覚は増していき、無意識に人の心を読みとるようになっていきます。自分自身が、こどもの頃からいろんな思いを抱えていたことも、たくさんの人が抱える悩みに共感し、人は何を望んでいるのか追求することにも繋がっていきます。病院に就職して10年が経った頃、大好きな父が病気で入院。父の回復を願い、絵と言葉で綴った手作りの日めくりカレンダーを作り、病室に飾ります。願いは届きませんでしたが、余命3ヶ月といわれた命は、余命3ヶ月を過ぎても輝いていました。父の死をきっかけに『人生とは何か?』ということが、私にとって大きなテーマとなっていきます。自己啓発本を読みあさる日々。しかし、答えがみつからないことに焦りを感じていくのでした。父の死から数年後、自分自身もストレスを抱え、左顔面に帯状疱疹を発症。段々、仕事へ行くことが苦痛となり、ついには休養。休養中は、自己否定、猜疑心、自己嫌悪…自分を責めるつらい毎日でした。でも、自分を諦めることはしたくなかったのです。自分を見つめ、自分を知るにはどうしたら良いのだろうか…自問自答を繰り返し、その考えが1冊の本となり出版。それは、父への手作り日めくりカレンダーが原点でした。絵に意味やメッセージを込めること、自分の気持ちを絵で表現することが、わたしにとって幸せで楽しく、生きる上で重要な意味を持っていると感じ始めます。そして、この頃から、こどもの時に感じていた目に見えないもの、精神世界や宇宙・自然界・人間の繋がりに、とめどなく興味があふれ、学び始めます。職場復帰後の2017年、私は車の事故にあい、死に直面します。この時、死の恐怖から私を救ってくれたのも絵を描くことでした。自分の内側からでてくる感情をただ真っ白な紙に描いていく。それだけで、心が死の恐怖から解放されていくのを体感したのです。そして、知らず知らずに絵にこめていた心からのメッセージに気づくのです。再度、自分自身を見つめ直し、もう一度、自分に問います。『自分の本当にやりたいことはなにか?』『魂が喜ぶことはなにか?』車の事故から1年後、病院を退職。その後、アーティスト活動を開始。現在、自分の想いを絵に変えて、発信しています。
テーマ: 人生
テーマ: 世界
イラスト・アート・デザイン
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