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【琉装デザイナーになるまで!】私は洋裁店を経営するファッションデザイナーの母の背中を見て育ち、デザイナーになる事を決めました。5歳の頃から縫い針を持ち小物を作ったり足踏みミシンを踏んでは壊したり(笑)と物を作ることに熱中する少女時代を過ごしました。父のすすめで、沖縄県立首里高等学校に入学し他のファッションデザイナーとの差別化を考え生まれ育った沖縄の染め織りを勉強をしはじめました。わたしは高校の時から琉球の染織を学んでいますが 「沖縄以外の染織は、どうなのだろうか?」と思い京都(染織の短大)東京(舞台衣装屋・江戸小紋工房)に携わり沖縄縄県外から琉球の文化を見つめていました。日本の染織や衣類文化を学んで解ってきたのは沖縄の染織が世界のトップレベルだということと琉球の衣類文化に特徴があることでした。このことを伝えるには、沖縄から発信することに意味があると感じ平成16年(2004年)3月27日に「沖縄琉装苑」を開店しました。 沖縄琉装苑は「元気に見られる」をテーマにあなたのワードローブにある衣類のコーディネートや衣類の逸品をオーダーメイドしています。また、伝統的工芸品の着物や帯などの逸品物から、ステージ衣装・企業ユニフォーム・かりゆしウェア・ワンピースなどの洋服も手がけています。あなただけの逸品ものを製作しておりますのでぜひ、お声をかけてください。【石川真理からのメッセージ】琉球の染め織り物を研究するとどうしても「神人」の衣装にたどり着き衣類がとても重要であることが判ってきました。沖縄には「神人(かみんちゅ)」というシャーマンが琉球国時代から国家公務員として活躍をしていました。神人は、琉球国が栄えるよう「祈り」を通して、国を支えています。琉球国が大事にしていた「祈り」は染め織り物と密室な関係があります。単なる衣類ではなく大事な人を守るためのアイテムなのです。着る人の健康や多幸そして、旅の祈願など色々な意味を込めています。では「琉球の祈りの文化」はどういうものであったか?明治時代(1879年3月27日)にいわゆる琉球処分があり琉球国は沖縄県になりましたが「祈りの文化」は残っています。そして、21世にの現在でも目に見えない世界の「祈り」も生活の中に溶け込んでいます。私は幼い頃から相手が話をする前に相手の言葉を先に言う!という不思議な力を持っていました。でもこの不思議な体験を長い事人に話すことはありませんでした。なぜならばそのような体験を伝えても否定され辛い思いをしてきたからです。しかし、色々な合図があり自分に起こっている事実を受け入れ公表することにより人生の流れを変えました。私と同じような体験していた人がとても多い事に驚きと安心を得ることが出来ました。「あ~自分は1人ではない!」それをキッカケに、SNSでも公表し多くの人のサポートを行っています。いきなり那覇市の店舗に訪れる方もいました。このメルマガを読んでいる方は私と同じような経験をしている方もきっと多いです。あなたは、独りではありません。同じような体験をしている人がたくさんいます。どうぞ声をかけて下さい。きっとあなたにとってヒントがありますよ。お問合せを、お待ちしております。okinawa@ryusoen.net琉球の歴史・文化や伝統に興味のある方もぜひ、お声をかけて下さいね~琉球の祈りの文化のヒントがあります!よろしくお願いします。【主な経歴】沖縄県立首里高等学校「染織デザイン科」卒業沖縄県工芸指導所「びんがたコース」研修終了京都職業訓練短期大学校「染め織り技術科」卒業株式会社劇団四季「衣装部」在籍富田染工芸「東京染めものがたり博物館」在籍沖縄琉装苑を立ち上げ、現在に至る首里クェーナ保存会の会員、琉球の祈りの研究中【合同会社 沖縄琉装苑】〒900-0015沖縄県那覇市久茂地3-6-11-203TEL:098-863-8131e-mail:okinawa@ryusoen.net=完全予約制=営業時間 10:00~19:00休み 不定休ブログ:http://ameblo.jp/ryusoen327facebook:https://www.facebook.com/ishikawa.mari⇒ お友達申請はメッセンジャーに ひと言コメントをお願いします。
テーマ: 沖縄ライフを楽しむ!
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