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はじめまして!京都から世界へ!生き様や在り方を書で表現する書道家 藤井俊二「翔夢」(しょうむ)です。「夢・幸せ・感動を創造する企業」を経営理念とし「関わる全ての人たちが笑顔で幸せに輝ける社会を創る」を使命に1日1日熱く生きています。四国の田舎の小さな小屋で生まれました。私は、母一人子一人の母子家庭で育ちながらも幼少期は野球、習字、そろばん、水泳と多くの習い事をさせてもらいました。決して裕福ではなかったけどそこには愛がありました。非常に厳しく育てられ5歳から書を習いました。当時は、お稽古が嫌で嫌で泣きながら何時間もお稽古していました。小学3年生の時から野球に目覚めました。昔ですから非常に厳しい練習でしたが野球が大好きでした。学校では生徒会長もつとめ野球でも2つの高校からスカウトされる選手になりました。地元の高校で甲子園を目指す!そう意気込んでいた矢先のことです。いざ高校進学を決める最終日そう、願書提出日の前日に担任から「進学コースへ変更しなさい」と。。。母と相談しましたが母からの「野球で飯は食えへん」の言葉と野球の道具も高くなるしこれ以上「母に負担をかけられへん」と自分で勝手に甲子園への道を諦めたのです。このことが今も人生の唯一最大の後悔です。「諦めてしまった。。。」それ以降随分長い間、無気力無関心無感動の時期を過ごしました。25歳で結婚し、子供も二人授かり幸せな生活を送っていました。31歳で建築設計事務所を設立するも親会社への依存体質から3年で資金ショートし経営難へ。。。残ってくれた2人のスタッフと再スタートし自分で顧客を開拓しコツコツと売上を伸ばし銀行の取引も3行になり立て直しました。設備投資も敢行しさらなる成長を目指し邁進していた頃今度は、京都市の高さ制限変更による条例改正。さらに追い討ちをかけるようにリーマンショック。デザイナーズマンション設計が売上の9割以上を占めていたため一気に2度目の経営難へ。。。自宅で一人で仕事をしながら再起を目指していました。息子は少年野球をやっていたのですが全然練習に行けず息子と野球を楽しむことはできなかった。息子が6年生の卒団前に当時3年生だった娘が少年野球を始めました。娘が「お父さん野球やる!」と言ってくれたのです。娘はチームでたった一人の女の子。私は、3年間娘と必死で野球に向き合いました。そう!もう一つの甲子園を目指したのです。息子も娘も控え選手。。。控え選手がレベルアップすれば必ずチームは強くなる。全員野球を掲げ親子共々一つのチームに仕上がりました。3年後、見事全国大会出場を果たし娘は全国大会の大舞台でタイムリーヒットを放ちその日はチームのヒロインになったのです。でも人生山あり谷あり波乱万丈今度は、多額の代金未払いに合い3度目の経営難へ。。。結局離婚全ては自分が源このことを忘れず決してあきらめないことを信条に今なお果敢に挑戦しています。甲子園を諦めたあの経験からどんなときも絶対に「あきらめない」このことを子供達にも伝えています。ゲームセットまであきらめない。人生にゲームセットはない!「どんなときも陽気であること」厳しい母の口癖「何苦楚」(なにくそ)5歳から始めた書道は今では武器になっています。生き様や在り方を書で表現する決して諦めない人生熱い想いを書で表現し夢を叶えていくきっかけを与え続けます。1日1日スーパーミラクルハッピーでありますように☆株式会社R-village 代表取締役書道家「翔夢」ライフワーク:少年野球監督
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