ブログをブロックする
ブログを報告する
「50年チョイの半生」 大分県中津市生まれ。焼鳥屋を営む両親と姉・兄の末っ子として生まれる。眞八と言う名前は眞臣さんという父の恩人が付けてくれた名前。誰も引き受け手がなくうちの親父が引き受けたとか。バブル終わり平成3年住友銀行に入行する。銀行の仕事には魅力を感じていたし好きだった。しかし保守的で前例踏襲リスクを取らない銀行の保守的な体質は肌に合わなかった。2年間の外部出向で異業種(不動産業界)の人との交流を経て保守的な組織に埋もれる事や狭い世界で視野が狭くなる事、バブルの不良債権処理で銀行の合併が進み業界淘汰が進むなか依然として保守的なスタンスに固執する銀行の体質に限界を感じ11年勤めた銀行を辞め不動産の業界に転じる。不動産の業界では売買仲介・トラブル交渉・賃貸管理・不動産開発などを約10年経験。その後金融の知識と不動産の知識を活かして独立する。 独立はするものの、浮き沈みの激しい業績が続き確固とした理念も目標もあやふやなまま時を過ごしてきた。2016年3月に九州の実家の父が亡くなり、その後一人暮らしになった母が事故で車椅子生活になり施設に入所。父のあと追うように2019年11月の終わり8つ上の姉が2年間の癌の闘病の末亡くなる。父の酒癖の悪さが原因で3人いる姉弟はみなそれぞれ実家から距離を置いていたのが要因で姉の最期は母兄弟(私)の誰一人として看取りができなかった。姉の末期を迎える直前に施設の母を姉が自宅療養する大阪に連れて行こうとするも先方家族より故あり拒まれたので、未だ母は娘である姉の死を知らないまま。 日々酒を飲んではトラブルを起こす父、(父と母は2人で焼き鳥屋を営んでいたが、そもそも父は勤め人。勤めていた会社で不祥事起こして家族を残して夜逃げした。当時私が3歳位?もともと母も幼少の頃に両親を亡くして親戚に預けられて過ごしたので頼れる身寄りもなく、その時で子供を養うため一人で水商売に身を投げる覚悟したらしい。夜逃げした父は知人に発見されて首根っこ掴まれるようにして半ば強制で焼き鳥屋の商売を始めたような次第。私が銀行に就職内定が決まった時に父はマジで過去の自分の不祥事が私の銀行就職内定に影響するのでは?とビビったらしい。) そんな父と事ある毎に衝突する気性の激しい母、その煽りをモロに浴びながら共働きの両親の代わりに小学生から弟二人の面倒を見る姉、父母に反発して荒れる兄、何も解からず黙って見ているしかない私と言ったややこしい家庭環境で育つ。子供心ながら酒に暴れる父を見て誰が何を言っても道理の通じないことがある理不尽さと諦め、家の中でこれと言って頼れる人もいなく如何に誰にも迷惑をかけることなく文句言われることなく過ごすにはどうしたらいいのか?そんな事ばかり考えていた幼少時代。人の顔色(特に上の兄)を異常に気にしながら家で過ごしていたので家では一人でいるのが一番安心できた。「頼れるのは自分だけ・」という意識がいまだに異常に強いので極度の甘え下手、人付き合い下手。 小学2年から剣道始めたが、上記のような感覚だからどんなに厳しくても辞めるに辞められない。そんな感じでてズルズル厳しい練習にタダ耐えていたという感覚。練習はかなりしたのでソコソコ腕前はあがったけど所詮はネガティブな動機なので高校3年迄で2度とやらないと誓って辞めてしまう。忍耐力あるように見えるけど気持ちが折れると糸の切れた凧のようにどこともなく飛んでいくような感じ。 姉兄や家族とずっと距離を置き続けた事や、家族の誰一人として姉の死を看取る事ができなかった事を切っ掛けに「人の幸せ」って何なのか?を考えるようになり翻って自分がやっている仕事は「人の幸せの為になっているのか?」そんな事を漠然と考えるようになる。悶々とした思いを抱えながら末昨年より自分なり考案したキャッシュフロー経営の体験ゲームが金融の知識を必要とする人にとても好評だったことから自分のやるべき事は、自分経験知識のノウハウの伝達ではなくて自分が銀行を辞めた理由でもある「保証協会依存・不動産担保依存の保守的でリスクを取らない今の銀行の体質」を打破して・未だ陽の目を見ていない、過去に傷がある・でも熱意と行動力のある社長の会社に・本当に必要なお金が流れるそんな仕組みを作って、そんな想いを同じくする金融マンを増やす事。世の中に保守的な銀行に依存しない新しいお金の流れを作る事ではないか?と徐々に強く思うようになる。「これからやるべき事」●担保や保証協会に頼らずに未だ陽の目を見ない会社や一度傷がついた会社が復活できる金融の仕組み作り熱意と行動力のある社長の役に立つ存在になる事更には想いを同じくする仲間を増やす事●結果を出して儲けた金で人が集える道場をつくる事 幼少時イヤイヤながらやった剣道だけど、大人になって思うのはやっぱり自分の人格形成にはかなり影響していると感じる。まともな思い出はホボない酒癖の悪い父だったが、唯一父との思いで楽しかった思い出がある。小学校低学年の時、父が早朝草野球に連れて行ってくれて、野球が終わったあとに近くの角打ち酒場でチームの人達と楽しく軽く一杯飲んでその後真面目に仕事に行く姿がとても嬉しかった思い出がある。酒が少しでも入ると人格が変わる人だったので子供心にもの凄くそれが不思議だった。だから道場の脇には立飲み屋併設したい。運動して汗を流した人たちがその後楽しく飲み食いできる場所を作りたい。そんなささやかな思いがある。「特徴や性格」●ネガティブな部分意味なく群れる媚びる真似るの大嫌い。意外と人見知り不器用でおっちょこちょい●ポジティブな部分他人に依存しない独立心と独自性オリジナリティが強い意思が固い・曲げない・責任感が強い・我慢強い観察力が鋭い(モノマネ得意)慎重で準備周到な部分があるが白黒決断はかなり早い「公職資格等」川崎市産業振興財団 派遣専門家宅地建物取引士FP剣道4段
テーマ: 学び
テーマ: 会社経営
仕事術
アメンバーになると、アメンバー記事が読めるようになります