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大木歯科医院長
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大木歯科医院長
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2015年02月18日 15時08分
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大木歯科医院 院長 笠井 啓次 紹介
医療法人 大木会 大木歯科医院 理事長・院長 笠井 啓次
[院長の生い立ち]
亀山市に笠井家次男として生まれる。保育園時代の思い出はいつも親父に怒られていたことと砂場で遊んでいたこと、将来の夢「内閣総理大臣」と書いていたことしか覚えていないです。親に当時のことを聞くと「啓次は絶対に謝らんかった」との事です。とにかく頑固。そういえば大学時代の友人にも「見た目マイルドだけど頑固」っていわれていました。今はそんなこと無いと思いますが・・・。
[小学生時代]
小学生になってからは外では近所の子供たちと家では2歳年上の兄といつも一緒に遊んでいました。勉強する習慣は無く、宿題もやりませんでした。そのため、よく小学校の先生に拳骨で殴られていました。それでも子供の頃から1度も親から勉強しなさい!と言われたことがありません。悪気は無いのですが、学校のガラスを割ってしまったり、カーテン壊してしまったり叱られることばかりでした。勉強も出来ませんでした。特に音楽の笛のテスト何回再試験を受けたか判らないほどです。最後は職員室でテスト受けた挙句、音楽の先生に「優秀なお兄さんの爪の垢を煎じて飲みなさい」といわれたのを覚えています。とりえといえば走るのが速かったくらいでしょうか。
運動会だけはずっと1等賞でした。
[中学時代]
中学生になるとテニス部に入り兄と一緒にテニスをしました。割と上達は早く2年生からレギュラーになりました。地区大会では優勝することもありました。あとテニス部と同時に選抜メンバーで構成される学校対抗の駅伝大会を頑張っていました。3年生の時には区間賞&チームの優勝を勝ち取りました。(駅伝に関しましては中学2年生の時、Bチームの担当をしてくださった小澤先生・・・現在大木中学のハンドボール部担当・・・に「笠井、お前ならできる」と駅伝の伴走のときに励ましてくださったあの言葉が、それ以降駅伝大会、その他陸上大会で勝利を収めるきっかけとなっている気がします)中学3年生の秋までは周りの友達が授業終了後、受験に向けて塾へ行くのをグラウンドから見送っていました。でも受験をあきらめていた訳でなく、成績は伴っていなかったものの、地元の進学校に自分は行くんだと信じていました。中学3年生の冬、無事駅伝大会で優勝。その後、駅伝のラストスパートのような猛烈ダッシュで中学1年生の時最下位にかぎりなく近かった英語の成績も最後は学年1等賞。無事、地元・津高校に合格。
[高校時代]
自由な校風を売り物にしていた津高校。学生達をあまり縛り付けることはしませんでした。結果、進路指導・補講を一生懸命行った姉妹校・津西高校と違い3年間終えてみるとそこには浪人生の人だかり。(それでも、津高校の学生の自主性に任せるというスタンスは良かったと評価しています。浪人については、所詮浪人は浪人。いい経験だなんて都合の良い言い訳だと思います。)高校時代に学んだなかで一番記憶に残っていることは、テニス部で一緒だった同級生がテニスが下手でかっこ悪いのだけれど物凄く勝負に対して真剣だった姿です。強い玉は打てないし、サーブもしょぼい。スマッシュもかっこ悪い。ふにゃふにゃのボールを打っておいて相手に打たせる。そして拾う。野次る「さー打って来い!」そんなこと繰り返しているうちに相手は疲れて嫌になる。切れる人もいる。そんなカッコ悪い方法でも彼は県大会出場まで成し遂げた。野次ることが良いことであるわけではない。それでも、あの勝利への執念は今まで見たことがなかった。でも、それが僕を大きく変えた。なんとしても勝たなくっちゃ。違法は良くない。絶対合法でないといけない。その中で絶対に勝たなければいけない。そこには感動があるから。勉強面では、高校1年生の初めてのテスト・予想外の高得点そして3者面談。これならば医学部でも行けますね。先生のこの言葉が僕の人生を変えた。自分が医者???これは面白い。それ以降ずっと模擬試験の時には医学部志望と書き続けた。しかし成績は伸びなかった。中学の時のような、瞬時の踏ん張りでは効果が出なかった。その後低空飛行を続け浪人生へと続くわけですが、高校3年生の時同級生が歯医者の息子で歯医者ええで!というのを聞きつけ歯学部に志望変更。あと、近所の姉ちゃんの友達が歯科衛生士で「私が勤務している歯科医院の院長先生ポルシェとベンツに乗っている」ということを聞きサラリーマンの僕にはすごい衝撃でした。子供のときから欲しいものを欲しい買ってと言えなかった僕は貧乏であるというコンプレックスをずっと持っていました。高校時代も私服であったので貧富の差が大きかったのです。今思えばバカな先輩からなんでお前いつもおんなじジャージ着ているの?とからかわれた時とても傷ついたのを覚えています。
[大学時代]
大学に入ってからも金持ち組と貧乏組になんとなく分かれていた気がします。金持ち組は入学祝に車買ってもらっていました。あとおしゃれなフローリングのマンション住まい。貧乏人のひがみ根性で、それ以来国産T社とかH社の車は買えないのです。初めて自分で買った車は独産のB社の中古車でした。何はともあれ貧乏からの脱却・・・これが歯科医を志した一番の理由だと思います。あと子供のころからいつも粘土・ブロック・紙切れ使っての工作などなど物を作ることが大好きであることです。今も歯医者の仕事が好きなのは工作が大好きだからです。
続く
[サーファーの歯医者さん宮本先生との出会い]
・・・人生はサーフィンだ
波が来たら乗れ!!!
徳島大学に勤務されていた宮本先生のもとに卒後2年目週1回医院見学・勉強に通わせていただいていました。宮本先生は高精度な治療を行ってみえて、当時の僕はあまり見たことのない治療をいろいろ行って見えました。初対面の時「先生は神とは何だと思う?」という返答に困る質問をされたことを覚えています。僕にはついていけない世界もお持ちですが、それはさておき、宮本先生がおっしゃっておられたのは、人生の波にうまく乗りなさい。サーフィンも、波が来ていないときには立つことができないように人生も同じだと。今がBig Waveと感じたら、立ちなさい!と。あと別れ際に浪人・留年を経験している僕に対して、「先生は2年遅れだ。世間の人は浪人も人生の良い経験だというかもしれないが、違う。2年遅れだ。どこかで巻き返しなさい。」と言われました。最後の手紙には「歯医者は職人に徹しなさい。しっかり勉強。謙虚にがんばりなさい。」と書かれていました。
[青年実業家・宮田さんとの出会い]
・・・人生・・・時間・お金・健康のバランスがとれて幸せ。
[森川先生との出会い]
彼無しでは今の自分はありえない。
プラス思考・強くやさしい男。ハートは熱い。
僕の人生をかなり大きく変えた先輩です。
人生道がなければ作ればよい。
彼からこんな言葉を直接聞いたことはありませんが、開拓者です。
[父との関係]
子供の頃はとんでもなく怖い親父でした。よく外に放り出されました。押入れに入れられたりもしました。でも休日には僕たちを連れて遊びに連れて行ってくれていました。60歳手前まで家族のために四日市でがんばって働いてくれました。退職まであとわずかというある日、「早めに会社を退職しようかな?」と言った親父をすかさず大木歯科医院のスタッフに勧誘しました。サラリーマンを卒業した親父と共に大木歯科医院を始めました。退職後楽させてあげることは出来ないのですが、世間から、そしてみんなから必要とされているんだという最高の満足感は十二分に感じてもらっていると思います。多分ですが・・・。
[ギタリスト・・・求音堂さんとの出会い]
[詫間との出会い]
[恩師・・・小川先生との出会い]
[恩師・西野教授との出会い]
[林さんとの出会い]
[開業]
(大木歯科医院のメンバーの考え方を紹介)
(約束)
院長 笠井 啓次がスタッフに約束していることは変化し続けること。
大木歯科医院の医院運営で決定していることは変化し続けるということ。
(賢者のことば)
その1.「生き残ったのは強いものでも賢いものでもない。変化し続けたものだ。」 進化論 ダーウィン
その2.「常識とは偏見のコレクションである。」 アインシュタイン
その3.「いつの時代も若者の時代である。」 求音堂 代表取締役 岩佐氏・・・若者には可能性があり年寄りには可能性がない。どうして?若者は変化できる、年寄りは変化できない。変化がないということは進化しないということです。成長が止まるときは変化する必要を感じなくなったときである。自分はいつまでも若く柔軟なつもりでいても残念ながら大多数の人は年おうごとにアインシュタインのいう常識というのを溜め込んでしまいます。年寄りが自分の常識を貫くために若者の邪魔をしてはいけないということらしいです。年をとってもずっと自分に栄養・知識・刺激の入力をし続け変化・進化し続くることで年齢に関係なく可能性が生まれます(ずっと若くいられます)。若者が輝いているのは当たり前。年を追うごとに輝くためには内面を磨く必要がありそうです。
その4.「素直・プラス発想・勉強好きプラス情熱」・・・カリスマコンサルタント
これらは何か会社を作ろうという人のみに必要な考え方では絶対にありません。
結婚して見える方がパートナーとこれからずっと一緒に幸せなるために。
子供さんをお持ちのお父さん・お母さん。
これからパートナーを選ぼうとしている方。
パートナーがお互いによい意味で変化しなければ飽きてしまって長きにわたり一緒にいられないでしょう。
自分は変化しなくても時代は変化していくでしょう。そしてひずみが生じ、パートナーから・世間から置いてきぼりを食らうでしょう。
自分を変えてみると周りが違って見えてきます。
自分を変えることができないと周りを変えようとしてしまいます。たとえば職場の場合でしたら転職、夫婦の場合なら離婚。
今、新卒者のかなりの人が1~3年で転職しています。
世の中の夫婦の多くが離婚に至っています。
何がよくないのでしょうか?
2人の間に溝ができてしまうのは2人が変わってしまったからではなく、変わらない・変われない・変わる必要がないと思っているからなのでは?仕事も家庭も同じことが言えると思います。
「幸せとは物心ともに豊かになること。」であると思います。
2人が歩いてゆくその先に豊かで幸せな未来が思い描けますか?僕は今はすべてがそろっていなくても、それに向かって歩いていこうと思います。
大木歯科医院の理念:社会的財産となる!<font size="3">
社会的財産とは?
1.患者様に良質な歯科医療サービスを提供。
2.スタッフによい職場を提供。(よい職場とはスタッフが患者様からありがとうという言葉をいただける職場、そしてそれが仕事のやりがいとなります。)(良質なサービスとは歯科治療の精度が高いだけではなく、患者様への心からのおもてなしホスピタリティーを提供できることです。さらには患者様に感動を与えられたら最上級のサービスです。)
大木歯科医院のスタッフの行動の基準はどうすれば目の前にいる患者様が喜んで帰っていただけるか?を考え行動することです。
大木歯科医院ではスタッフも患者様もずっとお付き合いできる方とお付き合いしたいと思います。
(一生の間で出会う人の数は限られていると思いますが、大切なのは多くの人に出会うことではなく、どれだけ素敵な人に出会えるか?ということだと思います。友達100人できるかな?という歌がありますが、大切なのは量ではなく質です。どれだけ深くお付き合いできるか・どれだけ素敵な関係を作れるかが質です。)
ユダヤ人大富豪の教えという本の中に人の給料はどのよう決まるのか?ということが載っていました。
所得=自分が人に与えたサービスの質 × 与えたサービスの量
で決まるそうです。
高い質のサービスそれは感動です。
院長 笠井啓次 としては確実に一緒に働くメンバー(スタッフ)に対してお給料を支払えるということはとても大事なことです。
最低限それだけは必ずキープしつつ感動を患者様に与えることのできるスタッフをどれだけ輩出できるか?患者様に感動を与えることができるよう、いかにサポートできるか?そのために必要なハード・医療機器を提供できるか?そしてそのスタッフも患者様からありがとうの言葉をいただき仕事に生きがい・やりがいを感じる。
衣食住のためだけでなく・休日の娯楽のためだけでなく、仕事自体が面白い・誰かが喜んでくれて自分の存在価値を感じることができる。
こういった仕事観は直接自分の幸せに直結していると思いませんか?この延長線上に自分の幸せが思い描けませんか?
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