大寺マユミ・手話講師

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【その他のスキル&自分のこと】





1965年 北海道の田舎に生まれる

厳格な公務員の家庭に育ち、家庭では口答えはすなわち「死」を意味するので(笑)
家では寡黙。
しかし学校のつうしんぼには「明るくてユーモアがあり」と書かれてまた怒られる(笑)

そんな少女の夢は「エレクトーンの先生」と「障がいを持った子供達のお世話」だった。

夢を語ることさえままならなかった両親と長く一緒にいる事は、わたくしのアイデンティティーが育たないことに気付き札幌に逃亡(笑)

厳格な両親から教わったことは「道徳」と「自由って素晴らしい」という事だった(笑)


高校の時、地元で一番オシャレなジーンズshopでバイトをした事がきっかけで
販売の面白さに目覚める。

その後は百貨店やshopで紳士、婦人、バッグ、宝石販売のスキルを磨き。
自他ともに認める販売のプロに。
店長経験三度。
(初めて店長になったのは23歳のとき)

販売で培った「お客様目線」は今でも生かされております。

長男の嫁として結婚退職後、二児の母となる。

長女が三歳の時に・・使命を思い出すことに。
それが「手話」との出会いだった。

屈託のない笑顔と自由奔放なろう者との出会いはまさに、わたしの居心地の良い場所となり、手話の世界にハマったのです。
その裏にある文化の違いや歴史も勉強し、交流の中から肌で感じてきました。



わたしの手話通訳現場での貴重な一枚です(ボウリング)


そして離婚、シングルマザーとなり2人の子供を育ててきました。

離婚が子供達にとってどうだったのか?
未だに分かりませんが。

言えることは一つ。
親の姿を見て子は育つ。という事。

お蔭様で子供達は真っ直ぐに素直に育ってくれています。





離婚は、わたくしに学校のイジメ、母子家庭の貧困、DV問題など様々な気付きを与えてくれました。

手話普及と併せて、いつかそちらの方面にも関わっていきたいと思っております。

『手話のないところに手話を』


みらいねっとでは

個人はもちろん
団体・企業さまからの
手話講習・手話通訳も承ります。
(単発、回数、コースなどお気軽にご相談下さいませ)


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