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田上愛(めぐみ)です。※過去記事ではmegumi表記資格●NARDJAPAN認定 アロマ・アドバイザー●潜在意識アロマⓇセラピスト詳しいプロフィールはここから------------------------------------私は、栃木県に生まれ育ちました。幼い頃は、好奇心旺盛でへびを追いかけて土管の中にいたこともあったそうです。物心つく頃には、母と弟の3人家族になり、片親で子ども2人を育てる母の苦労を、幼いながらに肌で感じておりました。聞いた話によると、初めのうち私は父に連れられて行ったそうです。そして、母の元に戻ってきたときには、怯えた獣のように部屋の片隅に潜むようにしていたと聞きました。当時の記憶はないので、母と離れていた間、何があったかは分かりません。ただ、母の思い出の中の私は、無邪気で誰からも愛されていた私と、感情表現の乏しい、おとなしい私がおりました。その変化は、おそらく母の手元を離れた際に起こったのではないかと想像します。3人家族の生活は、頼もしくも、怒らせると怖い母と、とても手のかかる可愛い弟と、おとなしく手のかからない姉で、慎まく始まったものと思います。私が5歳の頃、弟は3歳。保育園へ母と自転車3人乗りで通います。住まいを出るとすぐ長い登り坂で、母は自転車を押して坂を登りました。いつしか私が母と一緒に自転車を押すようになると、母は「お姉ちゃんはいい子だね」「こいつはしょうがないね」と言いました。私は褒められて嬉しいと思い、弟への優越感を感じます。その反面、そのままでも許される弟と気遣わないと褒められない自分を比べて劣等感をいだいておりました。母の期待に応えることでやっと自分の存在理由を見つける。そんな風に育ちました。小学生になって成長するにつれ、引っ込み思案になり、人と関わることが苦手になっていきました。太っていたことも劣等感を誘引したと思います。本来の私は、多数決をとれば少数派になるタイプでした。しかし、言いたいことを上手に言葉にすることが苦手であったため、自分の考えや気持ちをしまい込み、主張することを諦めるようになりました。いつしか「多数派」「普通」であることが身を守る術となり、そのために、周囲と同調する技術を身につけたように思います。高校生になると、クラスに同じ中学校出身がおらず、「普通は友達がいる」状態が維持できず、独りぼっちになってしまうと思い、自ら声をかけて友人を作りました。しかし、「普通は休み時間ごとに友人の机に集まる習慣」が、何故、友達なのに主従関係のように机に集まるのか理解できず、嫌になり、それを止めたら仲間外れになりました。やはり、「普通」を外れることはNGなんだと感じ、その後も本音を言えない高校生活を送りました。高校卒業後、上京。印刷会社に就職しました。それまでの自分の価値は、「試験の成績」や「友人の数」、「どれだけ人に認めてもらえる要因があるか」で測られていると定義していました。社会人としての価値は、「きちんと与えられた仕事が時間内にできるか」「早く」「正確に」。返事は明るく元気に素直にはい!「一生懸命に作業していれば、大丈夫」と思っていましたが、どんなに一生懸命でも失敗することもあります。私はその失敗を許すことができませんでした。例えば、急ぎの案件は早く上げなければいけないと考え、早々に手をつけたのですが、大変重いデータ量で、コンピュータ処理がなかなか終わらなかった時の事。その日は世の中、野球の話題でいっぱいでした。同僚たちはみな野球観たさにどんどん退社する中、急ぎの作業の処理が終わらず焦る私。そうこうしているうちに、係のリーダー的存在の方まで帰り支度を始めてしまい、その時初めて、「急ぎ案件が終わらないんです」と相談しました。苛立ったように「なんで早く言わないんだ!」と言われ、大変凹みました。私の信用は地に落ちた…と思いましたミスをすれば、それをカバーするために時間がかかり、正確性を欠き、新しいミスを呼ぶ。失敗を重ねるごとに、自分の価値が下がるように感じました。誰にも期待されない自分。誰にも必要とされない自分。やがて劣等感の塊になり、出勤できなくなりました。休む人に対して嫌悪感を持っていた自分が、もっと最低の無断欠勤をする人になってしまって、誰にも合わせる顔がない。と思いました。やがて、退職し地元で転職します。コンピューター化を促進している会計事務所でした。テレビで、日本人は1つ失敗をすると、これまでの人生全てを否定するように感じる傾向があると言っていて、なるほど~と思いました。それからは、「1つの失敗で、自分を全否定しなくてもいい」を教訓にし会計事務所に10年勤めました。ここでの仕事は性分に合っていて、最初の5年は楽しかったです。5年も経つと仕事が単調になり、新しいことがしたくなりました。当時、のめり込んだ小説家のファンクラブの下請け作業や天文同好会活動・地元吹奏楽団活動などできる範囲で楽しみました。そうした楽しみの先に、たくさんの出会いがありました。それらの出会いに触発され、私も人に喜ばれる仕事がしたいと考え転職を決意しました。見切り発車で退職したので再就職は大忙しでした。そして見つけた転職先は、サーキット場。「着ぐるみ」募集の広告をみて応募したのですが、希望職種を第3希望まで記入することになっており、やむなく記入した事務で採用されました。サーキット場の仕事は、初めての事ばかり。それまでの常識が通用しなく、慣れるまで気苦労が絶えませんでした。それでも、安定した会計事務所を飛び出すことを決めたのは自分です。ここで「合わない!」といって転職することは、私にはあり得なかったので、踏ん張って通いました。やはり、「1つの失敗で、自分を全否定しなくてもいい」を胸に秘めて。そうしているうちに、仕事や環境に慣れました。しかし、できなくなったこともたくさんありました。前職の間活動していた吹奏楽団や天文同好会など趣味は全滅。母や愛犬との時間もほとんど取ることができなくなっておりました。家には寝に帰るそんな風でしたが、それに疑問を抱くこともなかったのです。そんなある日、このまま続くであろう私の生活に転機がやって参りました。労働契約法の改正です。契約社員として雇用されていた私は、5年後の更新はありませんと通達されました。そのため、最初の2年は正規登用試験を受けつつ、転職先を探しました。ここで、ハタと気づくのです。身を粉にして働いてきたのに、バッサリ切り捨てられる自分。今後、何をしたいのか、何の展望もない自分。40代にして何も成しえてない自分。私にできることって何だろう?これにはホトホト困りました。この疑問の光明は「潜在意識アロマⓇ」との出会いでした。潜在意識アロマⓇに出会うまでには紆余曲折ありました。その紆余曲折を経て、潜在意識アロマⓇに出会うことで、今の私があります。潜在意識アロマⓇに出会ったとき、アロマを使うっていうのは、新しい私を知れるかもしれないと期待しました。たくさんの人に出会い、たくさんの気づきをもらい、たくさんの学びを得て、手元に残ったのは「アロマ」でした。きっかけは、長年のPC作業で酷使してきた右手に痺れを覚え、セルフアロマトリートメントを勧められたことです。単発講座でトリートメントを習った中で、「ご家族にトリートメントすると喜ばれますよ」と言われ、早速、母に練習台をお願いしました。母はスキンシップが苦手で、私も子どもの頃から母に触れると嫌がられておりました。その時もいやいや引き受けてくれました。しかし、トリートメントが始まると一転、もっとやって欲しいと大変喜んでくれたのです。この体験で「アロマ」に関係する仕事がしたいとどこかで思っていたのだと思います。その反面、「アロマ」を仕事にすることは現実的に難しいとも感じておりました。潜在意識アロマⓇの体験セッションは、「やりたいことが分からない」というテーマで受けました。しかし、転職について悩んで伺ったはずが、どういうわけか、職場の人間関係について話しておりました。その頃の私には、苦手な人がたくさん職場にいました。大きな声で人を査定し、自分の失敗は簡単に謝って済ませてしまい、上司も頭が上がらないような人たちです。その標的になることを恐れ、機嫌を損ねないように身を縮めて過ごしました。そして、自分も同僚の仕事の取り組み方に不満を抱き、口にしてしまう事で、その人達と変わらない醜さを持っていると感じてしまう事がとても苦痛だったのです。セッションを受けることで、そんな風に考えてしまう心の癖が軽減されました。苦手な人たちの声や物音も、自分の事とは関係ない事と割り切れるようになってきたのです。私は、やっと職場で呼吸できるようになった思いでした。潜在意識アロマⓇのセッションでは未来のビジョンを創造します。そこで口をついて出たのは、どこかで諦めていた「アロマ」でした。職場の人間関係に息苦しさを感じていた私を解放し、諦めていた「アロマ」を再度、引き出してくれたのは、他ならぬ、潜在意識アロマⓇのセッションだったのです。この後、私はNARDのアロマ・アドバイザーの資格取得を決意し、ゆくゆくは潜在意識アロマⓇセラピストになる準備を始めたのでした。潜在意識アロマⓇの講座を通して、私は「普通」にこだわることから解放されました。誰かの仮面を被って生きることは、大変息苦しいです。そして、自己犠牲の上では、人を真に幸せにすることはできないことに気づくことができました。私はそうした気づきを重ね、好きなことや実現したいこと、たくさんの夢でいっぱいになりました。それを話す私はとてもいい顔をしていると言われて、自分の見つけた道は、きっとステキな道なのだと確信しております。そして、2018年7月筆記試験・実技試験に合格し、潜在意識アロマⓇセラピスト第3期生の卒業パーティーに笑顔で出席することができました。私は潜在意識アロマⓇに出会うことで、生き辛さを解消し、夢をたくさんみつけました❗「自由に、好奇心の赴くままに、探求する」そうすることで、多くの人と知識を共有していきたい。これが、私の魂の望みです。これを読んでくださっているあなたが、他人の目を気にしすぎるあまり、自分の夢を見失い、好きなことや楽しいことが分からなくなってしまったなら、同じ経験をした私にこそできることがあると思います。もしあなたが、「自分が我慢すればいい」と思っているなら、あなたが本当に望むことを、もう一度思い出して欲しい。次はあなたが幸せになる番です。一緒に幸せな未来を創造しましょう☆あなたにお会いできる日を楽しみにしております。2018.8.19 晴天の秋模様の空のもとでmegumi
テーマ: □うふふMyレシピ
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