ブログをブロックする
ブログを報告する
2022年の話ですが3月、春ですね。今日見たクロ現『50年目の独白~元連合赤軍幹部の償い~』がとても良くて泣けました。https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4639/index.html以前、ボクも連合赤軍とJWの類似性について書いたことがあったけど、これを見てもやっぱりそう思う。JW1世でも2世でもinでもexでも、いろんな意味で、是非見てほしいと思う。ちなみに元幹部の吉野さんを裁いた裁判長の石丸俊彦氏はどう見ても(JWとは質の違う)クリスチャン。Wikiによれば、1979年の判決で石丸裁判長は吉野に対する死刑の求刑を退けて無期懲役とし「裁判所は被告人を法の名において生命を奪うようなことはしない。被告人自らその生命を絶つことも、神の与えた生命であるから許さない。被告人は生き続けて、その全存在をかけて罪をつぐなってほしい。君の(奥さん)さんへの愛は真実のものであったと思う。そのことを見つめ続け、彼女と子どもの冥福を祈り続けるように」と訓戒したという。また石丸裁判長はのちに、吉野が将来釈放されたときに贈る前提で愛用の腕時計と聖書を残し、聖書の見開きには「ヨハネの手紙」から抜粋した「愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです」という書き込みを吉野宛に記したという。2022/3/1-----------------------『バイデンに利用され捨てられたウクライナの悲痛』https://grici.or.jp/2927 遠藤誉 2022/2/25薄っぺらい内容が多いネット社会だが、この「中国問題グローバル研究所」のページはどれもなかなか読みごたえがある。まあ、執筆陣の陣容を見ればむべなるかな。加えて所長の遠藤さんは満州長春41年生まれ、且つあの約30万の民衆が餓死に追い込まれた長春包囲戦も体験しているという。平和ボケした島国国民とは本質的な部分で違うはずだ。それに出身大学は理系。だからだろうが数理的統計的データに基づいて議論される記事もよくあり、それが分析に一層の説得力を持たせている。読み応えがある。話はそれるが、読者の中にはボクのことを単なる(お花畑系?)親中派と勘違いしている方もいるようだが(いや、上のカバー写真を見れば誰だってそう思うよw)、そういう人にも是非読んでほしいページだ。一般の日本人は隣の大国・中国の実情を知らなすぎる。そのことに私も強い危機感を抱いている。加えてある種の絶望感も。2022/2/27-------------皆さん、NHKはお嫌いですか?自分は結構好きなんですよね。最近のお薦め番組はこれ。「昔話法廷」昔話の主人公たちが現代の法で裁かれます。裁判員のあなたは判決を決めなければなりません。特にお勧めはこれ、「桃太郎」裁判。https://www2.nhk.or.jp/school/movie/bangumi.cgi?das_id=D0005180366_00000検察官は「凶悪過ぎる犯行。情状酌量の余地はない」として死刑を求める。後半で被告人「桃太郎」の口から飛び出す驚きの証言。本当に裁かれるべきなのは、桃太郎か?涙なくしては見れない。現代社会の現実を描いた問題作。是非ご覧ください。他にも力作ぞろいでした。例えば「猿かに合戦」裁判での弁護人の最終弁論「命を奪った罪は命でしか償えないものでしょうか」、この問いかけに心が震えましたね。「ブレーメンの音楽隊」は、なんだか心にしみましたね。自分も年取ってきたせいでしょうかね。あと個人的には「赤ずきん」の赤ずきんちゃん(佐藤玲さん)かわいかったな。(← おい。)放送リスト↓https://www.nhk.or.jp/school/sougou/houtei/onair/2022/2/25------------------私は理系な人間。なんで、歴史・社会・宗教・芸術・文学とかの領域は、てんで、とーしろ。ここ数年あれこれ検索したりでたらめに本を読んだりしてます。でも今日なかなかイケてるページを見つけたから、ここに貼っておきます。リベラルアーツガイドhttps://liberal-arts-guide.com/はじめの一歩として概説してくれてるのでとても助かる。学びを深めるためには、このページの参考文献の書評を見ながらAmazonでポチってするか、公立図書館に借りに行くという手がいいのかも。2022/2/20----------皆さんにとっての青春の歌って、何ですか?私はこれかな。Hello, Again.https://www.youtube.com/watch?v=RkF5_BpBQU4泣かないことを誓ったまま時は過ぎ、痛む心に気が付かずに、ああ、水没から既に四半世紀を過ぎました。痛みを無視してると、どっかで壊れます。気をつけましょう。(← あなたに言われたくないかもw)ちなみに私、フルートインストラクター深澤美香先生の大ファンです(今日からねw)。https://www.youtube.com/watch?v=DWd8GdcLqWI&t=6s2021/4/7-----------『1カ月以内に支付宝(アリペイ)を始めよう! 誰かが牢屋に行く必要があれば私が行くから、君が続けるんだ。もし君が牢屋に入ったら次の人だ』ジャック・マーさんの言葉。2004年、アリババはオンライン決済手段としてアリペイを実現しようとしたが、どの金融機関からも賛同を得られずプロジェクトは宙に浮いていた。スイスで世界経済フォーラムのダボス会議に出席していたジャック・マー氏は、そこで行われたリーダーの責任を巡る議論に突き動かされ、いてもたってもいられなくなった。アリペイを始めるよう、チームに電話して発したのが冒頭の言葉だ。https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00260/040100007/こういう熱い気持ちって、すごいなあ。同時代のあそこの空気を曲がりなりにも知っている自分としては、尊敬の念を禁じ得ない。2021/4/3---------------Nスペ「体感 首都直下震」見ましたけど、NHK本気入ってましたね。力作でした。http://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=20336何より、リアルだったことに、賛辞を贈りたい。専門家がいくら数字を並べて説明しても、ぼくら庶民には、あー、そー、んでー?となり、次の日には忘れていますので、リアルなドラマで表現してくれたのは、本当にありがたい。同時多発火災、群衆雪崩、火炎旋風、一つ一つは、あれ、そう言えば聞いたことがあったな、あの時のあの出来事か、ということだけども、次の地震では、たぶん起きるだろうことで、この知識があるとないとでは、自分自身の生存確立が変わってくると思う。しかし振り返ってみると、「30年以内に70%で首都直下地震が起きる」なんて、聞いたことがあったか無かったか、記憶にすらない。それも私の注意が南海トラフ地震と富士山噴火にしかなかったからか。南海トラフ地震も発生確率をこれから30年以内に70-80%と推定されており、正直、首都直下地震も南海トラフ地震も(ひいては富士山噴火も)、みんなこの30年以内に起きると思った方が良い、というレベルのものだ。つまり「2030年代までには起きる」と思って準備した方が良いのだ(起きなかったらラッキー、40年代の発生に厳重注意と思えばよい)。う~ん。しかし、たとえばこれから20年後の2039年にこれらすべての災害が起きていることも十分に考えられるわけだが、その時、日本経済はどうなっているのか。「日本が発展途上国になる」という人もいるという。日本は受難の時代だ。たぶん、私はまだ生きていて、それを見そうだ。ハルマゲドンの準備とか言ってないで、まずは地震の準備だ!そして日本の経済・民生・国防は、中米のはざまで、いったいどう動くのか?ま、でも、ドラマ主演してた小芝風花さん、かわいかったな。(2019.12.13記)************************ん? 本の紹介で読者の便利のためにAmazonアフィリエイトを張り付けていたんですけど、ん? ん? ん?時折、どなたかがそこから買っていただいていてまして、お陰様で、Amazonポイント・ゲット!頂いたポイントは、Amazonで本を買う軍資金とさせていただきます。ありがとうございます!!そんなわけで、私がここで本を紹介する↓買っていただき、ポイントゲット↓そのポイントを使って私が更に本を買って、JWについて個人研究wを行って、ブログ記事を書いて、本を紹介する↓またそこから買っていただき、更にポイントゲット↓更に私が本を買って・・・・(これの無限循環)マックス・ウェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」ww!そしてついに私の家は、図書館となるのでした。(←いや、ならないよ。)ただ、Amazon古本の中には時に、妙に高額な商品もありますので、それにはご注意くださいまし!******************「見えてきた?」「その裏には経済がある」https://www.facebook.com/nikkei/videos/%E6%97%A5%E7%B5%8C%E9%9B%BB%E5%AD%90%E7%89%88%E8%A6%8B%E3%81%88%E3%81%A6%E3%81%8D%E3%81%9F%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%88/373329826718430/?locale=ms_MYそんなJW系ブログを目指してましたが、あちらとは取材力・資金力・人材力が違いすぎますから、そもそも比べられませんよねw。で、しばらく、お休みします、とかって宣言したことがあるんです。その理由は、①あれこれ忙しくなってきた、②毒気wがだいぶ抜けてきた、③体調がすぐれない、④本をもっと読みたい、等々の理由でした。ただし、無期限休止の予定ではありません。新年度の奉仕報告が出たら、最低限のグラフをアップしないといけないような気がしますし。実際、JW統計日本シリーズは、結構人気があって、アクセスして1分以上ページを開いている方(読んでくださっている方)の割合が普段より多かったです。海老名(ベテル)からも毎回数名の方が、匿名(プライベートブラウジング)で(おもに夜10時以降)アクセスしていたようですし。意識高い系のJWですよねw。ですから、気が向いたらですけど、無料HPで「エホバの証人統計-JW Statistics」とか銘打って、未発表グラフも含めてアップしておこうかなあ、なんて思うんですけどね。本当はブログの方向を全く変えて、上海市内のお店や看板から中国文化等を論じたり、上海租界時代の中共遺跡や日本人関係建築や李香蘭の足取りを巡り歩いたりとかいう、JW的にはどうでもいいような観光ブログにしちゃおうかとも思うんですけどね。実際、下書きとして?ここのページのず~っと下の方に、訪れた場所の何か所かが書かれてますが、まあ、中共の歴史を学ぶと、時々妙にJWと被って見えてくるんで、やっぱりJWの呪縛からはしばらく解けない感じですかね。ああ、めんどくさいもんに人生の時間を費やしてしまったw。*****************一応、自己紹介みたいなことを書いてみたりもする。1.ブログを書き始めたのは、なぜ?自分がブログを始めた理由を振り返ってみたのは、こっちに改定転載しました。https://ameblo.jp/momokichi2014/entry-12792137795.html******************2.なぜ、書きたいのか?じゃあ、なぜそれほどまでに書きたいのか?めんどくさいのに。それを考えてみると、つまりは自分がJWについて見つけ出した事実や、それに基づいて立てた妥当と思える結論について、① まだまだ知らない人たちもたくさんいるし、② 自分がここで発表するためにまとめることでも、考えが深まったりするし、③ 道理にかなった反論を頂ければ、それはそれで再度考えを深めるきっかけになるわけで、また何より、④ 新しく見つけた”発見””真実”は、”良いたより”として伝えたくなる、という、これはたぶん人間としての本能が関係しているのでしょうけど、そういった種々の理由があって、まだまだJWについて書きたいんじゃないんでしょうかね。(なんだよ、自分のことなのに、その他人目線の言い方は?)なんですが、最近書くのがものすごくめんどくさくなってきて、ああ、やめちゃおうかなぁ、って感じ。まだやめないだろうけどね。(2021/4/15)で、次。どう書きたいのか?******************3.AACJ冗談で書くんですが、わたしは、AACJ(アカデミック・アメブロ・クラブ・オブ・エホバの証人)の会員です。- AACJ 規約 -第1条(定義)AACJ(Academic Amebablog Club of Jehovah's Witness)とは、エホバの証人に関してアカデミックな調査を行ない、アメブロ内で発表・交流するクラブである。②ただし何をもって“アカデミック”(学術的)というのかについての基準は、ただ一つ、公表者本人がそう思っていればよい、というものでる。つまりアカデミックか否かの判断基準は、公表者個人の信仰に属するものである。この点で本ブログは、個人の信仰の自由を100%支持するものである。第2条(本会の趣旨)本会は「エホバの山に登ろう」という聖書の呼びかけに応じて、“アカデミック”にエホバの“山”に登ることを嗜好するものである。②ただし、仮に会員が疲れたり、ぐうたらになったりして、「もう山登りはいいわ」という気持ちになったとしても、一向に構わない。人間にとって、そういうことはつきものだからである。諦めない心が大切なのである。第3条(入退会)本会AACJへの入会退会は自由である。何らの届け出も公表も必要ない。また隠れキリシタンのように、隠れAACJ会員であることについても、本会は歓迎するものである。第4条(会員の義務)本会員の義務は、アメブロ内で公序良俗を守ることと、先に述べたようにエホバの証人に関する“アカデミック”な記事を掲載することの二つである。②ただし、公序良俗に関する基準は、会員個人の良識・良心に全然任されている。③また、会員がアメブロの場で公式に他の会員の良識・良心に疑問を呈したり異議を唱えたりすることは、これも公序良俗の範囲内で100%許されている。④さらに言えば、何が公序良俗なのか、という“アカデミック”な議論も、大いに歓迎するものである。⑤“アカデミック”な記事の掲載頻度は自由であり、無関係の記事や“非アカデミック”な記事を掲載することを阻むものではない。すべては個人の良識と良心に任されている。第5条(会長等)本会AACJは、会長職や管理職を設けない。会員個人は自主自律の精神に基づいて行動しなければならず、そのことに対して全地の民と至高者に対して言い開きの責任があるため、至高者と会員の間に他の個人が入り込まなければならないような役職、すなわち会長職・管理職等を設けない。②この点AACJは、JWやWT協会が会長職や統治体職を置き、信者と至高者及びキリストとの間にくさびを打ち込んでいることを痛烈に批判するものである。第6条(類似団体との関係)本会と名称が類似した団体(例えば、某大山岳部AACKやAACH)があるとしても、本AACJとは一切の関係がない。ただしAACJは、文字通りの山に登って、創造者の知恵と恵みに触れて感謝を深めたりすることについては、これを奨励している。って、結局、ワケワカメ。そんなことで、会員募集中です。一緒に、エホバの山に登ろう!アカデミックに登っていこう!!山にのぼったあとの温泉は、気持ち、ええで~!♨ ♨ ♨ま、私は疲れてきて、十分ぐうたらになっており、温泉に入るだけで満足なんですが。・・・イタいっ! イタすぎる!!(笑)(本件AACJの話は、全編、冗談です。)で、かなり寒くなってきたので、次。*******************4.大陸は、どうなった?で、ここで話は全く変わりますが、最近、当ブログに対して中国大陸からのアクセスが、ほとんど全くなくなりました。そしてそれと反比例するようにアメブロ「桜にほんご 日本語教師のお仕事」https://ameblo.jp/sakura-nihongo/からの日本語教師求人が頻繁に更新されるようになっています。これってつまり、桜にほんごで事実上不法就労していた大量の日本のJWは、基本的には中国大陸から撤退しちゃったってことですかな?(少数名はいるみたいですけどね)次は、いよいよ、この欄のメイン(?)記事。********************5.市内紅色旅游が面白い私の最近の趣味は、紅色遺跡を巡ることです。紅色って言っても、日本のピンク何とかじゃないよ。で、ここからはブログにアップしていない、上海紅色遺跡を巡った旅行記になります。実は、最近は、ここを書き換えるのが最近の一番の楽しみだったりします。(笑)********************① 中共第一回全国大会跡地http://www.zgyd1921.com/このページの一番上の写真は、1921年の中共第一回全国代表大会の跡地です(上海旧フランス租界)。写真左の鉄の扉(106番地)の裏がその会場だったそうです。その場所も見学できますが、“神聖な場所”なためか、写真撮影はダメ。警備員さんもいて、写真を撮ろうとした私を制止しましたw。当時は個人宅で、出席者は13名+外人コミンテルン2人の15人だったとか。最終日はこの場所を官憲に嗅ぎつけられて危険が迫ったということで、場所を移して行っています。おお! 迫害下での“信仰”を守り推し進めるための勇敢な行動!!といったWTの記事を思い出しちゃいますねw。ちなみに写真のこの建物は「石庫門住宅」と言うそうで、Wikiによれば幾つかタイプがあり、写真のタイプは1920年代に盛んに建てられた「新式」に該当するようです(たぶん)。石庫門住宅とは華洋折衷の建物で、その建築はイギリス租界から始まり、あっという間に上海のあちこちに広まったそうです(今でもところどころに結構、残ってますよ)。で、そもそも中国人が住んじゃダメな租界内に、なんでそんな建物が増え広がったかというと、田島英一著『上海 大陸精神と海洋精神の融合路』(PHP新書)によると、要は、太平天国の乱が大きいらしい。太平天国軍の進撃・攻撃で、上海周囲の地域人口は大きく減って、氏の簡単な見積もりによれば、およそ100万人の難民が発生したという。で、どこに逃げ込むかというと「彼らにとって最も安全な場所、皮肉なことにそれは、外国人が守備する上海租界であった。大量の難民が上海に流入したのも、それに伴って租界を拡大せざるを得なかったのも、もとをただせば、最低限の安全保障能力さえ失っていた清朝の失敗によるところが大きい」(p145)という。で、この石庫門住宅という「洋風長屋」を建てて売りつけたのが「外国商人」であり、「結果、石庫門が立ち並ぶ狭い路地があちらこちらにできた」(p147)んだって。このページはじめの写真の場所は、住宅数軒分をぶち抜いて博物館化されており、中共の歴史が簡単に学べます。観光地になっていますので、全市・全国・全世界から観光客がやってきます。写真に写っているのは、一般観光客(中国人)で、記念写真スポットです。WeChat映えするんでしょうか?参観者は、中国人(田舎からの上海観光客?)が多く、時にお気楽、時にけっこう真剣な様子で見学しています。欧米人もちらほら来ます。日本人は、不思議と、まずおりませんね(不思議じゃないか)。なぜ欧米人が見学?と思いますが、彼らにとっては不思議の国チャイナなので、その不思議の起源の一つを見ておきたいんでしょうかね。(?)ま、彼らは他の中国人や私ほど真剣には見ていませんが。(笑)館内見学の感想ですが、展示を見終わると、何だか、偉大な歴史の一場面を目撃したような錯覚(?)に陥り、不思議と満足感がありました。この感覚はちょうど、歴史もの映画を見たような感じとよく似ていました。♪♪没有中国共产党~,就没有新中国~♪♪しかも館内で特に地方(?)から来られた中共幹部(?)ご一行様と一緒になったりすると、なんと、理知的でスレンダーなチャイナ美人ガイド(学芸員)さんが大変真面目に、しかも美しい普通話で歌うように館内展示を説明をしてくれるので(中国語なので内容はよくわかりませんが)、さらに満足度アップです。中国共産党、万歳!!世界人民団結万歳!!(オレ、何しに行ってんだか。)緊急招集された「大学のサークルに毛の生えた」程度の中国共産党第一回全国代表大会。そこに当時出席した13人(うち日本留学経験者4名)の若者たちは、平均年齢27.8歳。そのうち28年後の1949年の建国式典に出席出来たのは、たったの2人。それ以外は4人が不遇の立場、7人はすでに死んでしまった。どれほど過酷な歴史だったのか。彼らがどんな人たちだったのか。またそこに出席してしまったばかりに、その後、どのような葛藤を抱き、どのように人生を歩んだのか。それを描いた本、譚璐美「中国共産党を作った13人」 (新潮新書)も是非お読みください。上海市内では、他にも二共大会と四共大会が開かれており、私は両方、見てきました。ニ共跡地と隣接する「平民女学」とは一緒に博物館化されており、こじんまりとして、なかなか素敵な場所でした。デートにいいかもw。旧フランス租界って、なんだか、おされだし。***********************② 孫文記念館はお休みでした(笑)http://www.sh-sunyat-sen.net/index.phpそれから、つい先日(2018年の秋ごろだったかな?)、同じく旧フランス租界のど真ん中(?)にある「孫中山故居」記念館(孫文のおうち)に行ってみました。が、10/31まで改修中で見学できませんでした。(笑)また行かなくちゃw。ということで、2019年1月に行ってきたんですけど、な、な、な、なんと、2019年1月より月曜日休館!ああ、また見れませんでした。(笑)こういうの、ご縁がないって言うのかしら。現在、革命、なお未だ成らず!(现在革命尚未成功!)「孫大砲」(大ほら吹きの孫)のお宅を見ずんば、紅色観光、未だ成らずですよ。はぁ~。しょうがないので、地図を見て近くにあるものを見てきました。**********************③ リアルに現存する30年代文豪の家々孫さんのうちから歩いて少し行ったところにある「巴金旧居」「許広平旧居」は見れました。ただ、単に普通の3階建て(石庫門?)住宅の塀にプレートが張ってあるだけでしたけど。しかも、その建物には、今でも普通に中国人が住んでいて、普通に洗濯物が干されてます。(笑)文豪の家に住んでいるって、どんな気持ちなのかな?(たぶん1930年代ほぼそのままの)宅地の路地を歩きながら、左翼文学の巨匠たち(?)の気持ちを味わってみたつもりですが・・・・よく分かりませんでしたね。(笑)ま、中国文学なんて、もちろん学校の漢文の時間で勉強した内容やマンガで「史記」や「三国志」は読みましたけど、それ以外では、わたしは魯迅の「狂人日記」「阿Q正伝」ぐらいしか読んだことがありませんからね。*********************④ 上海韬奋(韜奮とうふん)記念館https://baike.baidu.com/item/%E9%9F%AC%E5%A5%8B%E7%BA%AA%E5%BF%B5%E9%A6%86これも孫文記念館から、歩いてちょっと行ったところにあります。地図に書いてあったので、それがいったい何なのかもわからずに、行ってみました。で、韜奮記念館って、何?上のリンクには、韬奋纪念馆は、中国の新聞記者・政論家・出版家である邹韬奋(鄒韜奮 すう・とうふん 1895~1944)を記念するために旧居に開館した人物記念館である。1958年11月5日鄒韜奮の63回目の誕生日に当たる日に正式オープンした。2003年1月、当記念館は上海市人民政府により「上海市愛国主義教育基地」として登録され、同時に青少年の18歳成人式・入隊式・入団式等の活動に援助をし無料で開放されることになった。・・・・・・みたいなことが書いてありまっせ。ふ~ん。でも、ダレ、その、鄒韜奮(すう・とうふん)さんって?知らんなあ。知らずに見に行った。(笑)でも、行ってみたら、ら、ら、ら、これも2018/9/28から改修中だとか。でも、工事現場に来ていた、館長さん?みたいな方に教えていただきましたが、2019年4月中旬以降ぐらいに再開するとのことです。そしてこの近くには、やはり左連関係作家の旧居があって、そこまで案内までしていただきました。ありがとうございました。で、記念館の近くに、蒋光慈(しょう・こうじ)、銭杏邨(せん・きょうそん)が一緒に住んでいた家があります。https://kotobank.jp/word/%E8%92%8B%E5%85%89%E6%85%88-79180https://kotobank.jp/word/%E9%8A%AD%E6%9D%8F%E9%82%A8-88098ただ、こっちも、普通の住宅の塀に記念プレートがあるだけ。「太陽社」関係らしいですけど・・・・・・そもそも、なんだよ、太陽社って。それはともかく、記念館、開館したら、きっと、また行きますね!しかし、紅色遺跡、こんなにあちこちで改修しているのは、なぜなんだ?たぶん、2021年7月に中共誕生100周年を迎えるので、それを目指して、あちこち改修しているのか?あるいは、今年2019年5月4日が五四運動100周年、また10月の国慶節が建国70周年だから、それにあわせて改修しているのか?まあ、どうでも、いいよ。日本は令和になったし。話をもどして、上海の開発から(たぶん故意に)取り残されたかのような、ここの一角「万宜坊」は、気持ちのいい旧フランス公寓地区で清潔、建物はちょっとおされです。旧フランス租界は、街並みがとてもおしゃれで、天気のいい日は歩いているだけでも気持ちがいいです。**********************⑤ 海軍上海陸戦隊司令部に行く日本人なんているのか?そこ、ちょっとお洒落な旧フランス租界から北に離れて、南京東路の繁華街を超えて、蘇州川を渡ったその先の、俗にいう旧日本人租界地域にある、かの「帝国海軍上海陸戦隊司令部」を見てきました。もちろん、ここも博物館になっていたりするわけではありません。行ってビックリ、現役の軍事管理区域です。baidu地図で見れる軍事管理区域って、何じゃ? しかも内部写真迄アップされておるぞ(笑)。その建物は、航行する船を思わせる概観で、YouTubeにある映画「上海陸戦隊」の中でもちゃんと出てくる、今でも基本、そのままの外観です。https://www.youtube.com/watch?v=3wIm4WMXFwwそして建物の特徴になる、屋上にある「艦橋」部分は、赤さびてはいますが、今でもきちんと残っています。当時は、ここの上に日章旗がひるがえっていたんですね。あと昔はボイラーかなんかの煙突が、これまた船の煙突のごとく高くそびえて黒々?と煙を吐いていたようですけど、今も残るその煙突からは、煙は全く吐かれていません。しかし、艦橋に煙突、やっぱり、軍艦みたいな風貌です。ただし現在、建物の外側にはエアコン室外機がたくさん付いていて、それだけは往時とは違いますね。そう。オール電化。(笑)で、さっそく、出入り口の門番のぽっちゃりした(見た目、日本アニメ好きそうな?)お兄ちゃんに、「中(庭)、見学させてよ」ってお願いしたら、何言ってるのかわかんないけど、当然ダメ。全然ダメ。そう。だって今でも一応、軍事施設ですから。「ボクは日本から来たんだけど、日本人は来る?」と聞いたら、「来ないよ!この建物は日本人が建てたもんだよ。なかなかいいよ!ここをよく見たいなら、向かいの病院の6Fに行けば、いいよ」って教えてくれました。(いいのか?そんなこと教えて。)で、せっかく教えてもらったので、向かいの病院の中に勝手に入って、6Fへ。そして更に上に行けることが分かったので、11Fからも写真を撮らせてもらいました。おー、ワンダフル! アメイジング!!海軍陸戦隊司令部の全貌が見える!!!で、その写真を是非アップしたいと思っていたんですけど、できないままです。なぜって、中国国内で軍事施設を撮影しただけで当局に拘束される恐れがあるので。スパイ容疑ですよ。(笑)https://www.nikkei.com/article/DGXMZO38799840R11C18A2FF2000/?n_cid=SPTMG002懲役12年って、半端ないと思う。最近(2022/2/17)この方が獄中で病死されたとの報道があった。非常に残念です。日本政府の今までの対応も批判されそうです。https://www.sankei.com/article/20220220-HANPUDUVOFPQ5LZIU5EAZZOTIM/なんで、わたしはこの写真を絶対、アップできません!!(2022/2/20 追加)その他、「陸戦隊司令部」お近くの旧「内山書店」「魯迅故居」「魯迅博物館」、それから「”李白”故居」などなども見てきましたよ。みんな近くにあります。(いや、見るなら、それらがメインでしょう。)なお、これらの建物、みんなやたらと近くにあります。魯迅が一時期住んでたラモス・アパートは、司令部の交差点向かいと言っていい位置です。たぶん、魯迅が窓から手を振ったら、司令部の人間には見えたはずです。(笑)30年代上海の通称・旧日本人租界内には、著名な左翼活動家・文学者などが住んでいましたが、日本国内では治安維持法で厳しく取り締まっていた左翼文学家についても、海軍としては「敵(国民党)の敵(共産党)は、味方だ」とでも思っていたんでしょうかね。ま、確かにその旧日本人租界地域、帝国海軍陸戦隊の司令部がドーンと控えている地域に、国民党の軍隊や警察なんかはどやどや入ってこれなかったんでしょうから、左翼活動家にとっては、かえって安全だったんでしょうね。ただ、海外の租界という特殊な状況の下ですが、戦時下でのユダヤ人ゲットー設置(≒ユダヤ人保護)の話もあわせて考えると、司令部からは何だか人間味(?)のある、妙におおらかで暖かい空気が漂ってきます。それを感じるのはボクだけかなのか?1933年2月20日に虐殺された小林多喜二も、東京なんかに潜伏してないで上海まで来ればよかったのに。魯迅は歓迎しただろうに。実際、魯迅は小林の訃報に触れ中国の文壇を代表し、心を込めた弔電を送ったという。 日本ト支那トノ大衆ハモトヨリ兄弟デアル。資産階級ハ大衆ヲダマシテ其ノ血デ界ヲエガイタ、又エガキツツアル。併シ無産階級ト其ノ先駆達ハ血デソレヲ洗ツテ居ル。同志小林ノ死ハ其ノ実証ノ一(ひとつ)ダ。我々ハ知ツテ居ル、我々ハ忘レナイ。我々ハ堅ク同志小林ノ血路ニ沿ツテ、前進シ握手スルノダ。http://www.takiji-library.jp/announce/2007/2007030906.html一方、日本では特高の多喜二への憎しみは凄まじく、彼の葬式に参列した者を式場で逮捕する徹底ぶりだったという。また彼の死に対して文壇では志賀直哉だけが“自分は一度小林に会って好印象を持っていた、暗澹(たん)たる気持なり”と書き記したという。この国の文学界は沈黙を守った。どの作家も、自分に火の粉が降りかかることを恐れたからだという。http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/takiji.htmlま、それは置いておいて、それから、近くの「左連」設立記念館にも行ってみましたけど、これまた改修中でお休みでしたね(2018年秋)。やっぱり、改修中のお休みが多いな。********************⑥ 四行倉庫それから旧英国租界、古くからの繁華街・南京東路からすぐ近くの、蘇州川北岸、1937年10月、第2次上海事変の激戦地「四行倉庫」も抗日博物館になっているので、見てきました。四天四夜の激戦ですが、蘇州川をはさんだ租界からは、その戦闘がよ~く見えたそうです。で、展示内容ですが、確かに勉強にはなるんですが、う~ん、なんかな~。もちろん日本軍が悪役的な展示になるのはお国柄で仕方ないとしても、まあ当の戦ってた中国軍は「国民党」軍なのに、そのことに一切触れられてないんだなあ。まるで「共産党の勝利!」みたいな感じで展示されていてねえ。正直、きもちわるい。歴史の改ざんか?中国では歴史は「現政権」が作るもの、政権が変われば歴史も変わるものなんだな。ただ、まあ、中国にも歴女っているのか、中国人女性も一生懸命見てましたよ。(追記)地下鉄の駅・車両中には、テレビがあって、そこに広告が流されていますが、先日見た広告は、そう、この四行倉庫戦に関する映画の予告編でした。2019年7月5日全国公開。予告編↓https://www.youtube.com/watch?v=IXads1ZkpOQ予告編2。見るに堪えない場面も出て来ます↓https://www.youtube.com/watch?v=psPWmk62KdEま、戦争ですから。自分は、見たくて、近くの映画館に行ってみたんですけど、やってませんでした。(おいおい、全国公開って、どこで公開しているんだ?)と思っていたら、ようつべに理由がアップされていました。https://www.soundofhope.org/gb/2019/06/16/n2963875.htmlで、突然、放映取り消しになったんだって。当局は技術的理由を挙げているけど、実際は、国民党による抗日の戦いを取り上げそれを美化しているから、いけなかったんじゃないかって。台湾問題があれこれ出てきた時期だったので。八百壮士(実際は420人ばかり)の戦い。1937年当時の上海が見られる映画、国民党軍の活躍が見られる映画、そして倉庫の上に掲げられた「国旗」は、五星旗ではなく、青天白日旗の映画。(こりゃあ、放映許可が取り消されるわな。。。)見れなくて、残念。たぶん、日本じゃ絶対に見られない映画!そして、中国でも決して見られない映画!見れない、と思えば思うほど、見てみたいw。************************⑦ ユダヤ難民記念館モーセ記念館。映画「杉浦千畝」を見たら、うずうずしてしまい、見学してきました。建物は当時のいわゆる日本人租界内に設けられたユダヤ人ゲットー内にあります。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%B5%B7%E3%82%B2%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BC#%E6%9D%89%E5%8E%9F%E5%8D%83%E7%95%9D%E3%81%A8%E4%BD%95%E9%B3%B3%E5%B1%B1モーセ記念館は、当時のシナゴーグです。2F、3Fは、改装して展示スペースにされています。1Fの床面積は、小ぶりのKH程度?ですかね。ただ、展示内容を見ると、日本人としてはちょっとねえ~っていう感じを受けます。だって、日本軍が悪者ですから。抗日無罪!でも、一番押さえておきたいのは、ユダヤ人を保護したのは、中共でも国民党でもなくて、日本軍ですよ。当時の共同租界(日本租界)には、日本の軍政がしかれていましたから。もう一度書きます。ユダヤ人を救ったのは(ドイツと同盟している)日本軍です!言うまでもなく展示は、そこのところは全くの無視。むしろ日本軍がユダヤ人をゲットーに押し込めた、みたいな記述。でも、そんなわたしの心のむにゅむにゅをすっきりさせてくださる記事を、産経の河崎真澄さんがアップ。ナイス!https://www.sankei.com/world/news/150809/wor1508090004-n1.htmlまあもちろん、人んちの国土にうちらの軍隊が駐留しているのもどうなんだか、と思うんですけどね。とは言え展示を見て初めて知ったんですが、中国人にも、杉浦千畝みたいなことをした人がいるんだとか。ウィーンの中国領事館の何鳳山。1938年から1940年の間ベルリンの中国大使の命令に反対してビザを発行し続け、1,000人のオーストリア系ユダヤ人がこちらに来れたんだとか。わたし、知りませんでした。杉浦千畝だけではなかったんですね。なお、杉浦さんはビザの発行に関して「領事としてはよくなかったかもしれないが、人間としては正しいことを行えた」とか何とか、語っているそうです。ご立派!独歩博愛!!(← なんだよそれ。)なお、行ったときには3Fでアンネ・フランクの展示をしてましたね。女子大生と思しき理知的で可愛らしい女性たちが、何人も見学に来てました。あ、男子学生や私以外のおっさんもいたみたいですけど、記憶にありませんね。(笑)というか、そういうの、写真付きブログでアップしろよ。(笑)********************⑧ 蘇州市革命博物館話は飛んで、蘇州市内の話です。用事でバスに乗っていたらたまたま見つけたので、見に行ってきました。と言っても、あまり時間がなかったので、じっくり見ていません。ま、現政権賛美のための施設ですかね。興味深かったのは、2点。1点目。当時、蘇州市内には日本人租界があったようです。境界を示す石標(光緒23年、1897年建立らしい)が展示されてました。※ 以前、1827年建立と書いておりましたが、私の見間違えでした。お詫びして訂正いたします。アヘン戦争以降に建立されたものです。どこから持ってきたんだこの石碑?展示には「21世紀初めに南園路拡幅時に発見」とか書かれているので、調べてみると、それが蘇州市内であれば、ちょうどお堀に囲まれた蘇州旧市街の南東部分からお堀の外へ南に伸びた一本の道「南園南路」が、それに当たりそうです。つまり、このあたりに、旧日本人租界があった、ということになるのか。ネットで検索すると・・・おお、あるじゃないか、情報が。「下関条約により重慶、杭州、沙市、そして蘇州に租界地を開設しますが、この4つは殆んど租界としては成功しなかったようです。重慶と杭州は進出する企業団体が多い時でも100人を少し越す程度、蘇州は100人未満、沙市に至っては排日活動による暴動で領事館が焼かれる始末」だったんだとか。https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14149266729?__ysp=6JiH5beeIOaXpeacrOenn%2BeVjA%3D%3Dウキ―!当時の写真もある!!https://www.recordchina.co.jp/b591435-s134-c30-d1134.htmlpdf論文もあるぞ。https://kanagawa-u.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=12203&item_no=1&page_id=13&block_id=21これで、場所もだいたい特定できたし、もう少し下調べして、今度は蘇州租界地へGOだ!蘇州市日本人租界 参考資料① 蘇州市内地図1919年http://www.geocities.jp/keropero2000/china/suzhou.html② 租界周りの怪しい一画http://www.geocities.jp/keropero2003/zatsu/sokainomawari.htmlページ下に参考資料が列挙されています。2点目。文化大革命に関する展示。「内乱」として展示してました。が、当時の毛沢東は、紅衛兵にとっては一種のアイドルですね。展示物が如実に語っていました。「ら~ぶ」って感じ。何だかなあ~。*********************⑨ 留園にも行ってきました。蘇州の留園。どうも世界文化遺産らしい。まあ、庭は庭でいいんだろうけど、私が見て見たかったのは、中国古代からの書の名作が、模刻(というのか?)されている数々の石板。王羲之の「永和九年~」で始まる、何だっけ・・・・、あ、そうそう、「蘭亭序」ね、あれは、入り口入ってすぐのところにありました。さすが!顔真卿も、そのちょっと先にありました。他の書家さんとの対比がはっきりわかって、その力強さ、何と印象の強いことか!!本で見るのとは、印象が全然違う。。。他にも感動したのは、何だ、このみすぼらしい小庭?と思ったそこにあったのは、な、な、な、なんと、褚遂良の雁塔聖教序(の模刻)。庭一つ、雁塔聖教序のためにあったんです。驚きました。そして、何より、その書の美しさ!本で見るのとは、その質感が、全然、違う!!もう一度、書きます。質感が全然違う!!留園の雁塔聖教序は、静かに西日を浴びて、たたずんでおりました。庭の主(あるじ)の価値観、思想、理想に、触れた気がしました。他にも、ボクにはよくわからない書がたくさんありました。たぶん、書道史の本に載ってるような名作や有名書家・能書家の物なんだろうな。狂草っぽいのもあって、あれはたぶん、張旭か懐素なんだろう。まるで交響曲のような書きぶり・・・・あの感覚、本じゃわからない、ような気がする(笑)。懐素の書であれば、やがては彼の作品が新潟に渡って来て、そして良寛の書へ(そしてたぶん、相田みつをにも)繋がっていく・・・・・・時空を超えた旅は、書の中にもあり。たぶんね。(笑)ただ「北碑南帖論」のとおりなのか、南方蘇州、留園の模刻には、北魏書法の物、刻石関係の物は、無いようでしたね。で、一番大事な、世界遺産に登録されている庭は?どうだったの・・・・?うん、よかったよ。最期二つは、蘇州でした。蘇州はほかにも、あちこちに世界遺産が転がっているようで、文化的な街のようです。**********************さて、次はどこへ行こうかな。ガイドマップ片手に上海の街をぶら歩くと、現代と過去が交差して、なかなか面白いです。いつか、ぶらタモリ・スペシャル版で放映してほしい。タモリの、ぶらチャイナ。ぶらシャンハイ。ちなみに私は、リンダちゃん(林田アナウンサー)のファンです。専門家の解説を聞いていても、「ワタシ宇宙から留学で来たばかりです」みたいな雰囲気(?)が、とてもかわいい!!ま、それはいいんですけど。歴史と文化、世界と時空が交差する街。上海。あちこちぶらつくと、結構楽しいです。歴史散策がお好きな方、観光やお仕事でこちらに来られたら、是非、時空を超えた旅も、楽しんでみてください。推薦書:「上海歴史ガイドマップ 増補改訂版」木之内誠 編著
テーマ: 本の紹介ーJW的読書
テーマ: 北海道観光とか
テーマ: JW統計ー米国
テーマ: 追悼
テーマ: いろいろ
団体・サークル
アメンバーになると、アメンバー記事が読めるようになります