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社会福祉士、精神保健福祉士ソーシャルワーカーです。ソーシャルワーカーズ(2007年5月から現在)1992年4月~2007年4月東京都立松沢病院、東京都立府中病、公務員ソーシャルワーカー2007年5月から完全独立ソーシャルワーカーです。明治学院大学社会学部社会福祉学科1988年4月~1992年3月高円寺 中央ゼミナール(大学予備;ここはすごく素晴らしい学校!)秋田県立横手高校普通科(青雲の志、剛健質朴、天佑自助、美入野)秋田県横手市立金沢中学校(剛健、陣立の丘)秋田県横手市立金沢小学校(格物致知、格致小学校、明治天皇御座処)塩湯彦御嶽山(明永、明保、地福、萬徳長者、鳥の海の干拓の地)後三年の合戦の地。楽器はユーフォニアム他、武術は柔道、剣道、太極拳、空手など様々、三戦(さんちん)の実践と研究しています。ずーっと。https://ameblo.jp/mmfjto929わたしは、ソーシャルワーカーのミシェル・マリ・フランソワ ジョゼ おくたちからです。Michel-Marie-Francois Jose T.Oです。1988年12月24日に洗礼の秘蹟を授かって、1989年5月の聖霊降臨の日に、堅振の秘蹟を授かっています。当時の浜尾司教さまからです、浜尾司教さまは、ヨハネ・パウロ二世の元で働いていましたから、自分が浜尾司教さまから堅振の秘蹟を授かった事は大変に素晴らしいと神さまに感謝しています。ずっと浜尾司教さまを想い祈っています。教会の司教や司祭のためにマリアとヨゼフに倣って熱心に神さまに恵みを執り成しをするのは信徒の第一の勤めです。ゆえに、教会のあらゆる司祭と修道者のためにずっと祈りを捧げている所です、マリア母さんと、ヨゼフ父さんを通して、パン屑程にも価値の無いものですが、ですが、マリアとヨゼフに委ねれば、イエズスが完全に善いものにして素晴らしく沢山に増やしてくださるのですから、真珠は、真珠の貝に小さな塵芥の核があって長年育まれて美しい真珠になりますから、それと同じように、善き神我が主は全て善くしてくれます!このぼんくらの生育。かねざわ KANEZAWA す、かなざわ、では無い、ので呼称は。あしからず。当然、、鎌倉や、横浜の湘南エリアとはもともと深く関係しています。金沢小学校(格物致知の格致小学校)金沢中学校(金沢孔雀城址と陣舘の丘後三年の合戦の戦場の清原家の陣跡国の史跡指定になっている)横手高校(かっては、実入り野、見入る、美入野)青雲の志、天祐自助、剛健質朴中央ゼミナール(高円寺;大学予備学校;非常に価値のある善い学校です)明治学院大学社会学部社会福祉学科(福田歓一学長)1992年 平成4年4月入都東京都衛生局に辞令現在は病院経営本部です。現場は、都立松沢病院、都立府中病院です。ソーシャルワークの実践です。2007年4月末まで。その後は、独立して個人で開業してる、ソーシャルワーカー(CSW)国家資格は社会福祉士、精神保健福祉士、等 自分は、18才から自己覚知の為に自己分析をするため臨床心理士に依頼して、支援をお願いして毎週一回60分の心理相談とスーパーバイズを継続してきましたし、さらにはカウンセリングの実践を実地訓練を受けてきました、箱庭とか心理テストなども、自分を被検者にして実際に分析的なアプローチやユングの思想とかロジャーズの来談者中心法など、さまざまな心理学のアプローチの研究実践とアセスメントと解析などして、カウンセリングの技能の向上に努めてきました、また、各種の障害を抱えている人や高齢者や子供や日本にいる外国人の方や、、いじめを受けた人や、暴力を受けた人、不当に精神的心理的な攻撃を受けて苦しんでいる人や、家族の関係や機能の問題や、、宗教カルトに関係して問題を抱えてしまった人や、、依存症の人など、、自殺、死を望んでいる人への具体的な対応や、宗教セクトに加入している人々の心身の問題などの解決や支援など、、カウンセリングを活用して、インタヴューをしたのちに、観えてきた問題や課題を、一つ一つ丁寧に整理して、分類して、その課題や問題をクライアントと共有して、どのように解決または対応するか達成するのか、、、などよく綿密に話あい、クライアントの能力やタラントや特性をも評価して、その方に添う方法を考案して、計画を立て、クライアントと共に、タグを組んで、よりよくを目指して、伴走型のまたは寄り添い方のソーシャルワークサービスを提供してきました。大学時代も、都内の小学校の特別支援クラスで支援の有給で支援を提供していましたし(臨時職員)、臨時で、障害を抱えている人の生活サポートの事業も実際実践していました、1992年4月からは東京都に入都して、東京都と正式に契約を結んで公務員として勤務して、都立松沢病院のソーシャルワーカーや都立府中病院のシャーシャルワーカーとして滅私奉公に勤しみ、立派な公僕として日夜24時間ソーシャルワーカーとして公私共に、自分の生業に勤いんでいました。2007年4月末で、東京都は退職しました。東京都時代の過労が祟って、線維筋痛症に罹患して、非常に甚大な激務の公務には今の自己では責務を全うできないし臨めないという判断と結論を出して、辞職して、、、秋田の地域の人々が抱える様々な問題や特異なカルト問題などにソーシャルワーカーとして取り組みながら、現在に至っています。もともと個人事業として、20才からソーシャルワーカーを生業として生きてきていますから、、今で34年の実績はあります。全て、ソーシャルワークは、契約で実践してきています、、クライアントとの契約の無い支援は一切ありません、カルトのメンバーに対する生活支援も、全ては契約書を正式に作成して実践しているものです。まったくビジネスですから、、、お金、料金は、自分に裁量権があります、、今のところ、一時間、60分、15,000円です。(税抜き)これでも安い方です、、、お金持ちのクライアントには、正規の料金を請求します。きちんと査定してから、契約を結びますから、一方的なサービスの提供などはありえません、福祉はただではありません、いろいろお金はかかるものです。特に相談なんて無料と思っている人も多いですが、とんでも無いの誤解と思い込みがあります、、専門の相談には、相応のお金は要ります、、、公務所での提供は無料の相談がほとんどですが、、民間の精神病院の相談室では、当然有料で相談支援を提供している所のもあります、、、お金の流れについてよくみなさんお勉強してみてくださいね、、、価値、物にだけ価値があるのでありませんから、、、例えば、金をがっちしがめつく所持していても、、その人の霊魂は救われません、内的な喜びが無い人は、どんな黄金を持っていても、不幸そのものですから、、、物事の価値について、よくよくお勉強してみてくさい、、、秋田には、ちょうど、国際教養大学なる素晴らしい図書館と教授陣がそろっていますから、いろいろ活用して、、、それぞれご自分の人生を豊かに実らせることにようよう活用したらいいと自分が思います。2019年12月16日 記載 ソーシャルワーカーのおくたちから(追記 2022年5月7日 SWの経験年数と、自己の経歴追加)自分は一介のソーシャルワーカー(社会福祉士、精神保健福祉士)で。カトリックの一信徒です。ソーシャルワーク、ソーシャルワーカーは神さまから与えられた自分の天命、使命です。20才から様々なフィールドで実践してきました。34年になります。20才の洗礼と堅振とともに、父と子と聖霊の三位一体の神さまと聖母マリアと聖ヨゼフに自分は生涯ソーシャルワーカーとして生きることを誓いました。1968年生まれです。秋田県横手市出身です、後三年の合戦で有名な金沢小学校、金沢中学校、横手高校を卒業後、高円寺の中央ゼミナールに一年、国分寺の寮にいて生活していました、その後は、明治学院大学の社会学部社会福祉学科に入学して、、、1992年3月卒業し、1992年4月1日に東京都に入都して、旧衛生局(現在の病院経営本部)に配属されて、辞令をもらい、都立松沢病院のソーシャルワーカーとして勤務して、転勤後は、都立府中病院でも働きました。2007年4月末で、東京都は辞職しました、それは東京都時代の過労がたたって、線維筋痛症に罹患してしまい、激務はこなせなくなったからです、、、怠けているなど遊んでいるなどいろいろと揶揄されましたが、、、、それでも今日一日の精神を大切にして、今日一日の全身の痛みを苦痛をイエズスとマリアとヨゼフの三つのみ心に全部奉献して、捧げものにして、、、今日にいたっています、、、心身が生命が粉々になるまで、、、自分は、社会福祉、ソーシャルワークを通して、一人一人が、、より善く成りますようにという念願をもって、生きて実践しています。いろいろと思い、言葉にして、行いがあるでしょうが、、、、全ては、、、主のみ旨のままにです、、、、から、、、それで全部いいのです、、、バカボン大好きだからね、、、自分は、、、、西から登ったお日様は東に沈むのですよ!父と子と聖霊の三位一体の神さまは、超優しい神さまです。だれも裁きません、罰しません、みんな誤解しています。本当に、一人一人を大切に大事に超愛してくれています。本当です。慈しみ深いどころではありません。慈しみ、慈愛そのものが神さまです。男性、女性とか、セクシャリティーとか、国籍とか、宗教とか、人種とか、金持ちだろうが、貧乏だろうが、綺麗だろうが、見たくないだろうが、格好がわるかろうが、じいさんばあさんだろうが、生まれたての赤ちゃんだろうが、良い子だろうが悪い子だろうが、病気があろうが障害があろうが、そういういわゆる人間的属性の全てを、至高善である神さま、父と子と聖霊の聖三位は、全く気にしません。唯一、神さまは、その人が純粋に愛したかどうかということだけを気にかけます。純粋に愛することです、慈しむことです、、。それだけなんです人生で大切な大事な事柄は。数の問題でもありません。どれだけ深く愛したかです。なぜなら、神は純粋な慈愛そのものだからです。そして、あわれみとゆるしです。自分がみなさん一人一人に伝えたい、言いたいのはその事です。父と子と聖霊の聖三位を中心にして、、、マリアとヨゼフと大天使のミカエルの強力な支援を受けて、互いに思い遣り真心を配りあうことで、全て善くなります、、、みんな一人、一人が最高の幸福を得られるのです、、、何も難しい事ではありません。その至高善の神さまの示した道は、、、マリアという道です、、、、ロザリオの祈りに、マリアの道行がありますから、、、人生は、マリアと共に歩めば、必ずどんな人も、豊かに最高の幸福を得られます、、、マリアは、、父と子と聖霊の聖三位といつも一緒にいる方だからです。マリアから全ての恵を受け取って自分の身に成した人が、、、、大工のヨゼフでした、、、、、僕は20才にローマ・カトリックの教会で7つのサクラメント(秘蹟)のうち洗礼と堅振を授かったローマカトリックの一信徒です。そして聖母マリアの汚れ無き御心と聖ヨゼフのいと清き御心にそしてイエズスのこの世のすべてを焼き尽くす愛の炎が燃え盛る至聖なる聖心(みこころ)に、この三つのHEARTSに身も心も霊魂も自らの一生涯を奉献し、神と隣人を愛し仕えることを誓い、神さまからソーシャルワークという道具(大変に貴重な宝物)を授かりソーシャルワーカーとして約30年くらい、いろいろ実践と研究を積み重ねてきました。国家資格も二つ所持してみました。まあ自分は本来、浮草の様な・・・、根無し草のような・・・徒然草のような・・・そんな存在ですか?ぼんくら、ほぢなしで、そぐなり、糞のでい(代)にもならね、阿保で馬鹿息子、ぼんぼら頭で、超がいくつもつく最低最悪な霊魂で、汚れ腐って神さまにしか癒せません、泥に自ら突っ込んだ全身どんろんこで真っ黒になったすずめのような人間です。MAD SPARROW。大したことはできませn。本当に砂粒よりも小さい石にもならね、ちちゃこい粒の素粒子よりもちっけー、そんな存在ですからね。塵芥の中での塵芥、ごみの中のごみ。そんな自分を三位一体の超やさしい神は見捨てるどころか、誰よりも超愛してくれているというのが本当にすんばらしー、神さまの愛の偉大さにどでんする(動転する)ばかりなんです。まさにDEO GRATIAS!!!!!!そういえば、京都の「神の園」にいたスタインバック神父さまから、今のジャンマリー神父(杉浦氏)については、彼は問題があります。特に性的な問題です。かかわらないように注意しなさいと釘を刺されていたんだ。1988年当時、長崎の佐世保に、小さき花のテレジアという名称の幻視者の女性がいて、杉浦氏はそこで若者のグループを勝手に作っていろいろ活動していたんだけれど、性的な問題が多くあったということなんだ。自分は、噂に過ぎないだろうと思って、一方的な判断ではいけないと思っていて、実際彼とかかわることになったけれど、そのスタインバック神父さまの言ったことは、やっぱり真実だったんだ。本当に、彼の行いは、自分は受け入れることができない。性的な事案ばかりでなく、神さまの名を語り、神の代理者といいながら、平気で人を攻撃し、搾取し、人権侵害のし放題、しかも平気で嘘つくし、彼は、脳の病気もあるけれど、彼の認識そのものが、あまりに自己愛型であって、本当に傷ついて神さまのあわれみを必要としている人を蹴散らすことをしているんだ。自分は、杉浦氏とそれに追随している人たちの行いに同調できないし、同意もできない。本当に彼らの唯我独尊の思いと言葉と行いは、他者を平気で傷つけ、特に、真心を持った子供をどこまでもいじめて、傷つけて来るから、彼は、燃える炭火をせっせと自らの頭に燃やしている状態なんだ。それと僕は、リトル・ペブル同宿会の同宿ではありません。(秋田名物腹黒い人が着ても白いリトルペブルドレスは着てみたことはありますが・・・。)リトルペブルのヨゼフパパファンクラブのクラブメンバーでもありません。(聖ヨゼフは大大大好きですが・・・。)。また、聖シャーベル修道会の会員であったこともありません。(仮の姿になったことはありますが・・・。)いろいろ中に入って活動の詳細を見聞させていただきましたが、あそこには全き善と真理はありませんでした。聖なる嘘という限りなく虚偽と誇大、妄想と現実逃避、無責任と他罰的言動、時に自罰的言動、パラノイア的確信、誇大妄想、疑念の欠如、自己反省の欠如、過度で強烈な自己確信性・・・ナルシシストで絶対的正義の執行人っていうところでしょうか・・・自分の基本的な欠陥や欠如は他人の勢にする、そんな本質的な不信仰者(Unglauben)のところにヒステリー的主体者が(分裂、分割されていて不完全で間違いばかり犯すダメで弱い人)がパラノイア的主体(完全で間違いの無い、欠如や欠陥が無い絶対的に正しい人という思い込み)に集っているところでした。とほほ・・・。自分には、ただイエズス、マリア、ヨゼフ、ミカエルという祈りしかありません。このボンクラ、ほぢなし、ぼんぼら頭でそぐ成りで、糞の代(でい)にもならね、ばーがなので・・・・ね。この裏切り者、この恩知らず!!!!! この偽善者!!!!!お前は地獄に落ちるぞ!!!! どっかで聞いたことのあるセリフですけれど、何度言われたことでしょう・・・とほほ。自分には、父と子と聖霊のみ名によりて、あーめん、しかありません。あしからず。 「鹿をさし馬となす」にはへきへきですね。・・・・・・・・・・・・・20170718追加してみました。というかリトル・ペブル同宿会はもう無くなったよ。僕の勢っていうことらしいけれどね。それで結構な話さ。組織なんていらないね。いろいろ問題でてくるからね。あほらしいよ。まじで。リトルペブルのヨゼフパパファンクラブなんていうのもいらないよ。共同体なんてやめたほうがいい。自分たちの分際を良くわきまえな。よくよく鏡に自分の姿をうつしてみれ。病気や障害があっても信教の自由だ神の代理者だといってもなんでもやり放題なんていうのはありえない人権侵害もはなはだしいしかも子供に対してまでなぜ彼らが世界中の誰よりもひどいか超最低最悪の理由は子供の心を平気で踏みにじるから、それも意図的に。子供の真心を平気で傷つける本当に何度も踏みにじって、どうしようもないくらいに。かなり悪辣で、平気で嘘を言うし誇大的発言と強烈な思い込みと妄想、反論をすれば、地獄に行くぞと脅してくる他人の意見など聞く耳を持たない自由を束縛して、情報を操作し詐欺的行為を行い・・・・。矛盾や間違いがあると悪魔の勢で自分は責任逃れ・・・・。なんとも悲しいく、そしてあわれ。信頼しろと言ってきて平気でその信頼を傷つけるのですから。彼らは混乱しているそういう存在です。たとえどんなに正しく良さそうに見えることを喧伝したとしても実情はそういうことで、あわれまれるべきはやはり彼等なのです。全ての人に彼らのために祈ってもらいたい。先ず第一にするべきことは祈ること特にクリスチャンと自称している方々愛をもって彼らのために祈るべきです。神ちゃまは愛、あわれみ、ゆるし そのもの全智、全能、全善で完全な方 そして正義の方。神の正義とは、愛とあわれみと、ゆるしに裏打ちされたもので律法的な、しゃくし定規で人の罪をはかるものじゃない。彼らは「正しく愛された」という経験が無い人たちですから今まさに「私は僕は愛されている」ということを経験できているとそう信じます。マリアママはどんな人間でも、どんな人でも差別しない超やさしいかあーさん。神のあわれみを今まさに皆さんは見ているのです。神ちゃまは本当に素晴らしいかただということの偉大な証明を神ちゃまはどのような人でも養ってくれるのですから。肉体的にも、精神的にも、心理的にも、霊的にも三位一体の神がなさることは本当にすばらしい。あなたは世界のどの存在よりも最も素晴らしい方です。僕の本当の姿はね。はじめからね。あまりに彼らが哀れなので、支援してきただけなんですよ。本当に、可哀想な彼らで。だれか、やっぱり困ってる人を見て、見ぬふりは出来ないしね。まあでもね~、ぼくは 盆暮(ぼんくら)なんです。それに、本地無し(ほじなすとかほじなし)それに ぼんぼら(ポルトガル語でかぼちゃのこと)なんですよ。放蕩息子なんだ。ぼくはそこらへんに転がっている石ころよりも価値のないもので浮草のような人間なんで、まあ、ここにかかわったのは本当に 自分がバカでしたね。本当に自分は 馬鹿だと思いますよ。まあかなり笑える話ですね。いろいろ表も裏も見知ってるからおもしろいですよマジで。以下の記事は、過去の記事です、つまりカルトの実態を証明する事実の一つとして掲載していますので、理解してください、使徒を名乗れとかいう命令などは、カルトの常套句ですし、如何にも自分が神から選ばれた偉い存在なんだとか他人よりも価値があるからなど、自己肯定感を異常に増幅さようとするのもカルトの特性の一つです、詳しく調べてみてみる事、観察行為実践こそ大事で、必要の一つです、という事を、自分は云いたいですね、(追記 2022年5月7日)ぼくは、マリアママの12使徒の一人 ミシェル・マリー・フランソワ・ジョゼ リトルヤコボです。元東京都職員で同性愛者かどうか本当は分かりません。都立松沢病院のソーシャルワーカーとして、精神科デイケア、急性期病棟、慢性期病棟、合併症病棟、アルコール病棟などを担当し、患者さんや家族の相談援助や生活支援などの仕事をしていたよ。心の傷があって依存的な人は宗教カルトに要注意だよ他にもカルトってあるけれどね信仰はどこでもできるからね。神ちゃまはあなたの体の中に心にちゃんといるからそれに気づけば何にも怖いことないよ天国を選ぶのはあなた自身だからねそれに信仰にセクシャリティーは関係ないよ。みんな神ちゃまの子ども。みんな愛されて生まれてきているんだから。同性愛だろうが異性愛者だろうが性同一性障害だろうがどんな人だって神ちゃまにはそんなこと関係ないさただその人の霊魂をみているだけだからね肉体は関係ないのまっこと汚れ腐っているのは、清水小屋の連中だな。まじで、なんでかっていうと子供のこころを平気で踏みにじるからね本当にかれらに神のあわれみをねがおうぜ!!!それが愛さ。みんな
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