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毎日更新できるように頑張ってます。皆様も応援よろしくお願いしますね。1961年、「子供ぢゃないの」でレコードデビューした弘田三枝子は、愛称MICO、当時14才で、ポップスクィーンの地位を確立した。敗戦後の日本で、アメリカンポップスの全盛期を支えた数少ない実力派歌手である。アメリカンポップスでのヒットは数十曲にのぼる。1965年7月には、日本人歌手(アジアの歌手)として初めて、アメリカの「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」に出場した。ミコは小学校の2年生当時より、米軍の駐留キャンプでジャズを歌っていたその実力が評価されてのものであろう。ちなみに彼女は3日目のトリでビリー・テイラートリオをバックに歌い、前日のトリはカーメン・マクレエ、最終日のトリはキング,フランク・シナトラであった。弘田三枝子は非常に重い扱いであったことがわかる。ちなみにこのフェスティバルに主演したミュージッシャンは以下の通り、スタン・ゲッツ、ジョン・コルトレーン、ウェス・モンゴメリー、デューク・エリントン…。当時のトップクラスのジャズミュージッシャンは勢ぞろいであった。1968年自身初のR&Bのライブをアメリカ土産としてサンケイホールにて開く。ジャズ、ポップスに続きR&Bという新たなジャンルをものにしたのであった。1969年の「人形の家」で日本レコード大賞の歌唱賞を受賞した。1970年には、「ミコのカロリーBOOK」を出版。当時は、まだこのようなダイエット本が珍しく、150万部を超える大ベストセラーになる。またダイエット後3作品目の「ロダンの肖像」でもヒットをとばし、紅白歌合戦7回目の出場。 ファッションやビューティーにも関心を持ち1970年度のベストドレッサー賞を受賞している。独特のヘアスタイル、衣装、メイクで当時のファッションリーダー的存在であった。 1973年にはブルガリア音楽祭に出場。2006年、レコードデビュー45周年を迎え、「弘田三枝子じゃずこれくしょん」CD8枚組BOXを6月21日に発売、またジャマイカでSly & Robbieと初めてのレゲエを吹き込む。11月1日22年ぶりの新曲、「恋のクンビア21」NY在住のDJ GOMIリミックスにより、リリース。 今も変わらぬ容姿と歌声は、全く年齢を感じさせない、まさしく「アジアの奇跡」と呼んで差し支えの無い唯一の歌手であろう。~竹林春明(ディレクター)
テーマ: ブログ
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