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幼いころ、たびたび身体から意識が抜けて「ああ、今回はこの身体だった」と、自分の身体を確認していたことがあります。親に言うと「気味が悪い」と理解してもらえず、「どうして通じないんだろう?」と、そっちの方が不思議でした。そんな私ですから、一神教とか八百万の神とかいわゆる「かみさま」というものを何か、特定の一つの概念に収めようとすることに違和感がありました。厳粛なカトリックの家に生まれたので、本当に窮屈でした。神社のお祭りにも行きたいし、日曜日に礼拝なんて退屈なことよりも、お友だちと遊びたいし。まるで、修道生活みたいな子ども時代でした。(笑)私の星は、金星と冥王星、海王星、木星がガッチリ繋がっています。今迄の人生の大半は冥王星の「生と死」「破壊と再生」「宇宙の真理」みたいな重たいテーマに沈み込んでず~っと闇と向き合ってきた感じです。自分は根暗なのではないかと思っていましたが、周りからは「明るい」「パワフル」「元気」と言われることが多かったことからみても陰と陽を体現していたんでしょうね。けれども、闇と光は一対です。そう、闇は光がないと存在しません。つまり、闇(哀しみや辛さ憎しみ恐怖がそれだとすると)があるということは、対極に光(喜び、楽しさ、嬉しさ、安心と平和、多幸感)も同時に存在しているということなのです。天気の良い日に自分の影に向き合うと、背中が太陽に向きます。影を見ながら前に(太陽の方に)進もうとすると、先が見えないので穴に落ちるかも、躓くかも・・・と、不安と恐怖で一杯になります。でも太陽の方に向き直って進み始めると、石ころにも水たまりにも気がつきます。避けて安全に進むことができます。何なら、落ちている石ころを蹴ったり、踏んだりしてチャレンジしたり、水たまりにボチャボチャ入って、遊んだり。お日さまがあたる日なたの道を歩いていくってそういう感じ。自分の影は消えることなくぴったりくっついてきますが気になりません。影がお日さまの方に伸びてくることは決してないのですから。私の役目は、『闇と光を融合する』ことです今迄の人生の大半で葛藤を繰り返し、生きづらさを散々感じてきた私だからこそできること*誰にも闇があり、陰がありそれはごく自然なことだと認めること*その闇や陰を否定したり嫌ったりする必要がないこと*誰もが持っている『光』を強く輝かせること*誰もが日なたの道を歩いていく権利を持っているということ*放棄していた権利を取り戻していいのだと気づくこと*生まれる前に描いてきた魂が「やりたがっていること」と 今世は「やらなくていいんだけど」を知ること*前進をためらわせる『囚われ』を解放、浄化すること①魂の望む人生を視る「星よみ」と②潜在意識に潜んでいる『囚われ』を浄化するカナイプレートアートこの2つで、もっと自由に軽やかに生きていく道を選ぶサポートをしています。私と一緒に日なたの道を歩いていきませんか?
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