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はじめまして🥰あなたの使命発掘プロデューサーの荒木弓佳です💛38年間ヴァイオリンを通して「自己表現」と「自己対話」を探求し続け、美しい音楽のゆらぎのように穏やかでここちよい親子関係の実現と、自分の感情や欲求を素直に表現できる使命を見据えた魅力的なあなたに導くサポートをさせていただいております💝リアルな活動としましては、38年間の音楽活動を通し1万人以上の方とお会いし、オーケストラのコンサートミストレスを20年以上に渡り務めてまいりました。テレビ・新聞などに取り上げていただくことも多く、2021年12年に発売した「あなたの音楽人生に魔法をかける!!」(Amazon kindle出版)は、地方紙の1面に載せていただくこともできました。そんな私も、決してここまで順調に来たわけではありませんでした…。たくさんの過去のトラウマに悩まされ、大学4年生ではスクールカウンセラーにお世話になり、2児の母になってからもPMSに悩まされる日々。いつ人を殺めてしまうか分からない…。そんな精神状態で子育てをしていました。「自分の人生を歩みたい!」そう思った私は、以前から興味のあった心理学を学び、「自分らしく生きてこれなかった原因」を見つけていく中で、「目に見えない」スピリチュアルな存在は、まさしく「音楽」と精通していることを痛感しました。そして、それは誰もが持っている「本能」だということを知ったのです。「自分に自信が持てない」「生きている意味が分からない」「もっと自由に生きたい」そんな想いを抱く皆さまに、私のこれまでの経験・そしてたくさんの恩師からご教授いただいた様々な手法を用いたオリジナルメソッドを活用し、最速であなたが自信を持って前に進めるコーチングを行います。そして、あなたが自己実現に向けて、第一歩を踏み出せるようにお手伝いをさせていただきます!--------------------------------------------------------------三重県四日市市出身。◆記憶の無い空白の期間(幼少期) 私が3才の時に、2つ上の従兄が祖母の家にヴァイオリンを持ってやってきました。その従兄が弾く下手な『きらきらぼし』を、私はとても真剣に見ていたようで、叔母の勧めもあり、スズキメソードのヴァイオリン教室に通うことになりました。 私の名前は「弓」が「佳(よ)い」と書いて「弓佳(ゆか)」と読むのですが(←本名です)、「ヴァイオリンを弾いています。」と言うと「ご両親は、はじめからヴァイオリンを習わせるつもりだったの?」とよく尋ねられます。私の両親はクラシック好きではありましたが、習わせるならピアノくらいかな…と思っていたところ、ピアノより先にヴァイオリンを習うことになり、両親にとっても予想外の展開でした。 今になって思うのは、私の名前がヴァイオリンを惹き合わせたのだということ。「弓佳」と名付けたのは父でした。父方の祖母は字画にこだわる人で、名字の下の文字は三画でなければならないと言い、「ゆか」と名付けたかった父は、「夕」は寂しい感じがするからと、無理やり「弓」をあてました。これが私の運命を変える出来事になろうとは、名付け親である父も予測していなかっただろうし、名付けられた私の方は、自分の名前が正しく読んでもらえなかったり、バランスが取りにくい字だったり…いろいろ不憫に思うこともありました。 しかし、こうして40年付き合ってきた名前を改めて感じ直してみると、「弓」という字を選んだところに、今更ながら父の独特のセンスを感じ、嬉しく思う反面、名付けてくれたことへの感謝の気持ちを伝えられぬまま父が亡くなってしまったことは、大変残念としか言いようがありません。 私が通っていたスズキメソードは、当時まだ創設者の鈴木慎一先生がお元気だった頃で、母と子で練習に取り組む姿勢がスズキメソードの基盤となっていました。そのため、教育熱心なお母さん方が多く、私の母親も叔母も、毎日子どもたちに頑張って練習をさせていた教育ママの一人でした。 ヴァイオリンを始めた3歳半~10歳頃まで、実は、私はヴァイオリンを弾いていた記憶がありません。ヴァイオリン以外の記憶であれば、3歳頃のことを覚えているので、小さい頃の記憶が全くないわけではないのですが、毎日どんな生活を送っていたのか?いつ練習してたのか?どのくらい練習してきたのか?全然、記憶がないのです。もちろん、弾いていた時の感情を思い出すこともできません。 記憶がないことをずっと不思議に思っていた私は、40歳を過ぎてから、チャネリングでその頃の感情を見ていただける機会に恵まれました。その時、こんな言葉が出てきたのです。 「あー、もう死んじゃいたい! うまく弾けない度に もっと!もっと!って言われる。 キリがない。 うるさい。 あー、お外で遊びたいなぁ。 私の“大切な時間”を奪った ヴァイオリンが許せない! 私の人生を返せー! 私はただみんなを 楽しませたかっただけ。 大人がパチパチしてくれるから 頑張っただけなのに、 みんなと競争しなきゃダメなの? 私は(人が好きだから) みんなと仲良くしたいのに。 “もっと頑張りなさい!”って 言わないで!」 (一部抜粋) 自分の子どもの頃の感情とはいえ、ビックリした同時に、こんな怒りの感情をずっと抱えたまま、私は生きていたんだ…と深く納得をしました。私が突然キレる原因が、ハッキリとここにあったのです。 言われてみれば、たしかにこんなことを思っていたような気もします。母の躾もあって周りのお友だちが話しているテレビやゲームの話には全くついていけず、お友だちが遊びに誘ってくれても母の反対に遭うと、断る以外の選択肢はなく、休みの日もヴァイオリンの合同練習に行くと、周りは年上の人ばかりで、友だちもできずに常に孤独でした。おまけに、母は褒めるタイプの人ではなかったため、私の中には「褒めてほしい」という承認欲求が、毎日のように積み重なっていったのです。 そうは言っても、私は自殺願望を持ったことはありませんし、学校は大好きで、社会人になっても毎日楽しく生きてきた人間だと思っています。両親も仲は良かったですし、いろんな先生にも恵まれていた。でも、紛れもなく家庭内には常に緊張感が走っていたのでした。◆みんな「良いところ」を持っている!(10歳頃~) スズキメソードでは、教本の順番に則って練習曲を進めていきます。子どもたちの進捗状況をつぶさに観察しているのは、教室のお母さん方です。「あの子はこんなすごい曲が弾けるのに…」「あなたも、もっと練習しなさい!」 そして、そのような会話を繰り広げる火付け役は、実は先生だったりもするのです。競争心を煽ることは、決して悪いことではありません。そうやって人は成長していくことを、私も実感として持っています。 しかし、当時の私はその状況に、とても違和感を覚えていました。その子には必ずその子の良さがある。ゆっくりしか弾けなくても、とても丁寧に曲を仕上げてくる子もいれば、パッと見あまり上手ではないけれど、とても楽しそうに演奏する子もいる。その子にはその子の良さがある。その子には、その子の時間の流れ方がある。周りの大人たちは、なぜ「その子」を尊重しないのだろう?どうして「早い」ことだけが「素晴らしい」と称賛されるのだろう…。そんな風に私は、心の中で周りの大人たちに対して憤りすら感じていました。 「その人がその人らしく生きることの大切さ」今の私が持ち続けている疑問の根源が、もうすでにこの時、私の中に存在していたのです。◆私の運命を変えた日(大学生時代) 私はセンター試験を経て、三重大教育学部教員養成課程音楽科コースを受験しました。二次試験では、日本歌曲が課題だったのですが、私の声楽の先生は「三重大は1番しか歌わせないから」と、2番の歌詞はほとんどレッスンをせず、本番に臨みました。本番でのピアニストは、試験のときに初めてご一緒する学部の先輩。1番を歌い終わってホッとしていると、先輩はピアノを弾き続けています。どうやら間奏を演奏しているようなのです。2番も歌わなきゃいけないんだ!と思った瞬間、2番の歌詞が全く分からないことに気が付きました。仕方なく先生に「分かりません!」と言おうとしたその瞬間、私は勝手に2番を歌っていました。そして、最後まできちんと歌い終え、何事もなく歌唱試験を終えたのです。その後のピアノの試験も、今までに経験したことがないほどワクワクするような演奏をすることができ、この日の試験での不思議な出来事は、目に見えない何かが自分に影響を与えていることを確実に感じ取った貴重な体験でした。 試験を終えた私は、帰りの電車の中で合格を確信していました。何とも言えない高揚感と、根拠のない自信。数日後、自宅に届いた通知書は見事「合格」でした。 私は教員になりたくて教育学部を受験しました。そして、楽しみにしていた3年生での1ヶ月の教育実習。しかし、期待とは裏腹に、1ヶ月が1年にも感じられるほど長かった実習生活を終え、私はこれを仕事にはできないと、教員の道を諦めます。 大学4年の春。何になりたいわけでもなく、悶々と過ごしていたある日。大学でヴァイオリンを教えてくださっていた先生に「大学院を受けてみないか」とお誘いをいただきました。就職先に希望が持てなかった私は、とにかくやってみよう!と、大学院受験を決めたのですが、それはとても苦しく長い旅の始まりでした。課題曲が弾けない。冷房の無い大学の狭い練習室で、窓を開けて、扇風機を回して毎日8時間練習し続けた私は、だんだん心が壊れていくのが分かりました。 私は誰のために演奏しているのだろう… 音楽は残酷で、自分の状態が、自分の音を通してすべてフィードバックされていきます。自分の調子の悪さを自分の音が増幅させ、弱っている自分を更に攻撃してくるのです。弾けば弾くほど悪循環に陥ってしまっていた私は、毎日泣きながら練習を続けましました。そして、自分で自分の感情がコントロールできなくなっていることに気付き、スクールカウンセラーの門を叩いたのです。カウンセラーの先生はとても優しく「よく自分で来れたね!」と言ってくださいました。ほとんどの人は自覚がなく、誰かに連れられて来られることが多いということを、この時に初めて知りました。 教育学部では、心理学や教育法などでいろんな精神疾患のことも学ぶため、自分がそういう状態であることを、ある程度客観的に見ることができたのだと思います。スクールカウンセラーに通いながら、大学院の試験を受け、結果は「不合格」。それでも、試験当日はとてもリラックスして演奏ができ、本番の演奏を先生に褒めていただくこともできました。音楽は自分のためにあるのだということ、そして人生で初めて自分自身と向き合い続けることができたということ。このときの心の変化は、今の私にも大きな影響を与えています。 大学院受験に向けて練習をしている最中、お世話になっていた大学の先生が開催していた「ウィリアムズ症候群」と呼ばれる子どもたちとのサマーキャンプに参加させていただきました。ウィリアムズ症候群とは、少しダウン症と似ているのですが、染色体異常により引き起こされる症状を持つ人たちのことで、どういうわけかウィリアムズ症候群の人たちは、音楽に特異な才能を発揮する人が多いということから、私の先生は毎年音楽セッションを中心としたサマーキャンプを行っていたのです。 そのキャンプで私が演奏した「タイスの瞑想曲」に、小さな男の子が涙を流して聴いてくれました。小さな男の子が音楽を聴いて涙を流す。にわかに信じ難いことではありましたが、素晴らしい感受性を持つ子どもたちとの関わりの中で、「言葉を交わさなくても、言葉が通じなくても、人と人をつなげることが、音楽の使命」という音楽の原点を教えてもらいました。 その後、社会人になってからも、発達障害を持つ方たちと関わることも多く、「その人がその人らしく生きることができる<環境>の大切さ」を痛感すると同時に、どうすればその環境を整えることができるだろうか…と、今もなお試行錯誤の日々です。 どれだけ才能を持っていたとしても、その受け皿がなければ、それは発見されずに終わっていきます。環境を作ることの大切さ、そして、それを認めてくださる社会が必要だということを日々強く感じると同時に、その環境を少しでも広げていきたい!という想いで、日々活動をしています。◆子育ての辛い日々(二児の母として) 私は、息子と娘の二児の母親です。もともと子どもは好きだったので、息子1人の子育てはあまり大変さを感じませんでしたが、2人目が生まれると子どもの世話に追われる日々。子育ての他に、仕事、オーケストラ活動、自分の音楽活動、家事など、自分をどんどん追い込んでいきました。 そんなある日、私の生徒さんのお家にお邪魔した際、「ちょっとタロットカードをやらせてもらってもいいですか?」と言われ、初めてタロットカードを引かせていただきました。ビックリするくらい的を得ている答えをいただき、“タロットってこんなに当たるものなんだ!”と、素直に驚いたのを覚えています。その方は、いわゆる「見えないものが見える方」なので、生まれながらにして特異な才能をお持ちなのですが、その方曰く、普通の人でもそういう力は持っているとのこと。その時の私は、全然ピンと来なかったのですが、今になって思えば、本当に真意をついている言葉だったなぁと、その時のことをよく思い出したりします。 彼女はそのタロットカードの結果を見て、私がいろんなことでがんじがらめになっている、と伝えてくれました。たしかに日々の忙しさに、自分がやりたいことはもとより、自分の感情にも気付けていなかった私。そんな手一杯の自分の状況を、客観的に見つめ直す大切さを教えてもらった貴重な体験となりました。そして、私は何のために生まれてきたんだろう?と、自分の使命について考えるきっかけにもなった出来事でした。◆生きている意味を求めて(私の使命とは) 私は三重大学に受からなければ、音楽をやめ、心理学を勉強したい!と思っていました。 幸い三重大学に入学し、在学中は授業で積極的に心理学を受講していた私でしたが、二児の母親業をする中で、心理学が好きだということも忘れ、「子育ての日々=自分の怒りと向き合う日々」。そんなある日、これは何か私に原因があるのではないか?と思うようになり、ふと心理学を勉強したかったことを思い出したのです。 潜在意識を詳しく知る中で、自分の「インナーチャイルド」にも出会いました。実は、20代の頃にも「インナーチャイルド」を調べていた時期がありましたが、癒し方が分からず、私のインナーチャイルドは長い間、日の目を浴びることもなく、自分の中に息を潜めていたのです。 40歳を目前にして、インナーチャイルドが今の自分に多大な影響を与えていることを自覚し、インナーチャイルドは決して悪者ではなく、自分と共に歩んでいく存在なのだということを体験した私は、さらに深く自分を掘り下げていきたいと思うようになりました。そんなとき、「チャネリング」と出会います。チャネリングは、特異な才能を持った人にしかできないもの…と思い込んでいた私にとって、楽器のように練習すればできるようになっていくものだということにとても衝撃を受けました。自分も目に見えない存在から様々なものを受け取れるようになると、いわゆる守護霊さんやハイヤーセルフのような方々の存在を自分で感じられるようになり、そして多くの仲間も同じようにチャネリングすることができるようになっていく姿を見て、本当に誰にでもできるんだ!と確信を得たのです。 自分と繋がり… 自分の過去と繋がり… 家族と繋がり… 地球と繋がり… 宇宙と繋がる。チャネリングを通して、様々なものに支えられ、今を生きるこの「私」は、何回も生まれ変わり、そしていろんな過去を経て、今日ここに存在していることを知りました。たくさんの過去から受け継がれてきた課題を、ひとつずつクリアしていくことが、魂の課題であり、そして、課題は乗り越えられるものだけしか目の前に現れないということ。私たち人間が生まれるずっとずっと前から、変わらずにあり続けている自然や地球、そして宇宙と共にあることで、私たちは生かされているのだということ。つまり、この世界は…「自然と共にあり、地球に感謝し、宇宙に還るというとても大きな世界」「日々の幸せを丁寧に感じていくというとても小さな世界」この2つの世界観のバランスを絶妙に感じ取りながら生活していくことが、私たちの課題なのだということに気付かされたのです。私たちは生まれてくる前に2つのテーマを決めてくると言われています。①自分自身の魂の成長させる「人生の目的」②周りの方に貢献をする「社会貢献」「使命」や「ミッション」と言われるのは、②のテーマのことなのです。「1mission 1music」<人は1つの使命と1つの音(=波動・周波数)を必ず持っている。そのポテンシャルを最大限に魅き出し、社会と共鳴させること>そして、それを成し遂げるためには「魂を解放させること」が必要であるということ。 魂は本来、宇宙を飛び回れるような自由な存在です。しかし、私たちの魂は肉体の中に閉じ込められ、とても窮屈な世界に生きています。「肉体を持ったまま、魂を解放する。」それができれば、自分らしく輝いて生きていくことができるようになる。 これこそまさに、私が10歳の頃から感じていた「その人がその人らしく表現することが認められる社会」に通じる私の使命だったのです。===============================ここまでの長文をお読みくださり、本当にありがとうございます!!何か少しでもピンときた方はブログやインスタからメッセージを下さいね☆尚、近日中に各サービスをお知らせしますのでお楽しみにお待ちください~♬
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東海の暮らし
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