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自己紹介って、自分にとっては、人生の「事故」を紹介するようで、大いに照れてしまいす。なぜって、緻密なようで、大雑把な性格をさらけ出してしまうからです。ホントは根はシャイなのでーす、って、ここでは書いておきましようね (2013.12.08現在)過去7年で、5回入院しました(通算では8回)。うち3回は、運が悪ければ、「死の旅路」に出かけたかも知れません。この間、救急車搬入は十数回に及んでいます その1 進行がん。7年前の春。その1年前、検診で胃にポリープあり。再検査で精密検査を要すの診断。自覚症状なく、約1年間放置。突然奇妙な痛みに胸騒ぎ。内視鏡検査で、胃がん発覚。紹介状もらって、市大病院へ。消化器内科で、「昔は形式的に開腹手術を行ってましたが、今はそんなムダなことはやりません。あなたの場合、手術は必要ありませんね。ただ、喘息患った人は、抗がん剤治療は普通の人よりも、副作用は辛いかもしれないですね」とつれない、インフォームド・コンセントでした。1年放置した結果は、冷たい「死の宣告」でした。家族に沈黙を守った2週間。「死の恐怖」は言葉では言い表せません。言葉はある意味、虚しいものです。6月入院手術。運良く全摘出で助かる。腸閉塞の施術でのたうち苦しむも、1ヶ月余後に退院。術後の後遺症には、今なお苦しむも、放射線・抗がん剤治療は一切なし。懸念の転移なもく、一昨年の初夏に、術後定期がん検査を、無事クリアしました。その2 交通事故。H21年4月お昼時。小雨の中、バスに乗り急ごうと、市道に飛び出して車にはねられました。1秒未満の出来事。これが死か、とうとう死ぬんだな、と気持ち的には意外と冷静で淡々としていました。車の色、ドライバーの顔は鮮明に記憶。衝突した時の痛みはゼロ(多分ここは記憶喪失と)。2メートル飛ばされてました。もう少し後ろだったら鉄柵に頭打って脳挫傷か。もう少し飛び出しが遅かったら、出会い頭の衝突で、即死だったかも知れません。運命は時間の微妙な「ずれ」で決まっているような気がします。ふっ飛んだメガネを拾い、助かったと思った瞬間、右足の甲に激痛。他は2箇所かすり傷程度。足の甲の骨は4箇所骨折で、1箇所は複雑骨折。2週間入院。しばらくは真夜中に目が覚めて、車が迫ってくるフラッシュバックに戦く。休職半年。完治に1年。思えば交通事故は、20数年前もバイク転倒で怪我しています。その3 悪性貧血で同じ年の10月に倒れる。事故と猛暑で体調はずっと優れず。タバコ吸えばぐったりなってしまい、力つけようと食べ歩けば、苦しくなってベンチに横になってしまう。運動不足解消にと歩行するとけだるくなり、道端に座り込んで、ベソかいてしまう。顔はロウ色で、血圧は90/55(適正値は120/80)。ご飯は不味く、食欲不振で体重は減量の一方。白髪が増え、口内炎、目の痛み、皮膚炎、手足の痺れ、擬似痔痛、脱力感に息も絶え絶え。これがすべて悪性貧血が原因の症状と後で知る。事故にも遭いホントこの年の半年間は、生涯の中で、もっとも死ぬほど辛かった時期だった 毎日ゴロゴロしてるから体調も回復しないのよ、と毎日愚妻の小言。(ホントころしてやりたくなりましたね) とうとうある出先で気分悪化で朦朧として倒れる。搬入先は胃がんで入院したS大病院。そのまま入院。血液内科で、胃がないとビタミンB12が生成されず、ヘモグロビン、血小板が組成されない。通常の1/4になっていて、もう少しで危なかった。定期的にビタミンB12注射要と。胃の手術では、そんな警告聞かなかったのに。なんて大病院だ 2週間入院。1000ccの輸血とビタミンB12の注射で、食欲も出てすっかり回復。今では毒舌とワルぶりはまとも?になりました。「憎まれっ子、世になんとかって言うでしよう?これで私よりは長生きするわよね。ま一人者になれば、きっと私の良さが分かるわよ、ヒヒヒ」と愚妻。で夫婦関係は体調とは裏腹に悪化の一途。ホントまったく困ったもんだ。
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