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初めまして。「天のヒーリング講座」主宰のマダム・レジーナです。“苦しい思い、辛い思いをしている方をお救いしたい”“自分で心身を鎮められるよう、ヒーリングを伝授したい”という思いでヒーラーやヒーリング講師として活動しております。占い師を経てヒーラーとなった私ですが、過去には悩み、もがいた時期がありました。辛い過去があったからこそ、今がある。そんなマダム・レジーナの生い立ちを、一緒に覗いてみませんか?・・・・・・・・・・・・・・・私には、両親の記憶がほとんどありません。2歳の頃に、養父母宅へ引き取られたからです。父、母、そして祖母。その中にいる私は、普通の一人っ子に見えたでしょう。しかし、子どもながらに感じていました。「何かが違う……」と。自分の本当の両親はどこかにいるに違いない。そんな気持ちが、なぜか芽生えていました。養父母宅での暮らしは辛い毎日でした。母をいびり、私へも厳しい姑。仕事ばかりで家庭をかえりみない父。姑から怒られたストレスを私への体罰として発散する母。いとこ達とはいつも比べられ、常に大人の顔色を窺っている、そんな子どもでした。常に気を使っている状態ですから、自己主張などとてもできない私。誰からも愛されていないという環境は、やがて思春期の自分を追い詰めます。誰も必要としてくれないなら死んだ方がまし。そんなことを思った時期もありました。転機が訪れたのは17歳の時でした。当時は、高校の卒業証書を書いてもらうため、学校に戸籍抄本を提出する必要があったのです。戸籍を見る……そのタイミングで、養母は私へ出生の秘密を明かしました。私には別に両親がいる、と。戸籍抄本に記載された、初めて見る知らない父の名。聞けば、母は私を生んだ後、離婚して家を出ていったそうです。父親に引き取られた私でしたが、再婚を考えた父にとって私の存在は邪魔なもの。そのタイミングで、たまたま子どもを求めていた養父母宅へ、養女に出されたのでした。事実を知った私に、養母は言いました。「産みの親より、育ての親」「私たちの目が黒いうちは、会いに行かないでほしい」父や母、祖母が実の家族ではない……という事実は、愛されている実感がなくても、大きなショックでした。求められて養女になったはずなのに、こんな毎日を送らなければいけないなんて。心の中で矛盾が生まれましたが、だからと言ってここを飛び出し一人で生きていくにはまだ若過ぎます。実父の住む住所、電話帳に載せられた電話番号。それらをメモしましたが、義母の言葉が頭に残っていたのでしょう。連絡することはなく、月日が流れていきました。自由のない家にいることが、とにかく苦痛だった私。進学の際、一人暮らしをしたいと申し出ましたが、許されることはありませんでした。「どうしたら、ここから抜け出せるのだろう?」考えた結果、私が選んだ方法は「結婚」でした。22歳で結婚、24歳で双子を出産、30歳で年の離れた男の子を出産。あの家から離れ、母となっていく過程で、私は思いました。……両親はどうして私を生んだのだろう?……離婚の原因は何だったんだろう?可愛くてたまらない我が子の寝顔を見ながら、相当の理由があったはずだ、と考えます。それは、そうであってほしい……と願う希望でもありました。やがて、月日が経ち……45歳になった時です。ポストへ突然届いた手紙、その中身を見て、私は震えました。差出人は、離婚した父の、奥さんとなった人。手紙には“1年前に父が亡くなった”と書かれていました。「1周忌の法要があるから、線香をあげて欲しい……」そう書かれた便箋を前に、嫌でも涙がこぼれます。もう少し早く知らせてくれたら、一目だけでも会うことができたのに……。父は亡くなるまで、後妻さんへ私の存在を告げることはなかったそうです。迷いましたが、私は父の家を訪ねることにしました。写真だけでも顔が見たい。父が育った環境を知りたい。という思いからです。地図を見ながら訪ねて行った先には、奥さんと息子さんがいました。腹違いの弟との対面はとても不思議なものでした。父の実家へも行きました。向こうは私の幼い頃を知っているため、懐かしさで色々と話しかけてきます。「あなたはもらわれていって良かったんだよ」そう言われましたが、家族から愛されなかったこと。そして、どうして自分だけが違う場所で育ったんだろう。という思いの方が強く、心の中へわだかまりが残る訪問となりました。父の遺影に出会った私には、ある感情が芽生え始めます。それは、「母に会いたい」という思いです。もしかしたら、父のように亡くなってしまったかもしれない。そんな、焦りがありました。母の所在は、行政書士さんを通じ、見つけることができました。連絡先を書いた手紙を出した結果、一度着信があったのですが、残念ながら出ることができず……。その後、折り返したのですが、電話に出てくれることはありませんでした。この時は、いつかは会えるだろう。今はタイミングじゃないだけ、と心を落ち着かせることができました。話せなかったことよりも、生きていたこと、連絡をくれたことの方が嬉しかったのだと思います。それから数年。子どもたちも成人し、この先は穏やかな道が続くと思っていた頃です。49歳の私は、突然のリストラ宣言を受けます。外資系企業へ勤めていたのですが、売り上げ低迷による人員削減が行われ、解雇通告がありました。このできごとが、私を再び闇へ突き落しました。不況だから仕方なかったのですが、これまで頑張ってきた自分の存在意義をすべて否定されたように感じました。「私っていったい何なのだろう?」「生まれてきた意味を知りたい」そう考えたのが、占いの世界へ足を踏み入れたきっかけです。何度か鑑定をお願いしていた先生から、「あなたは騙されやすいから、タロットを覚えて活用した方がいい」とアドバイスされ、タロット術を学びました。迷っていた私へ、タロットが大きな道しるべとなったのです。占いという強い味方を得た私は、もっと自分の本質が知りたいと考えます。タロットだけでなく、星平会海、人相学について勉強しました。それだけでなく、エネルギーワークへも取り組みます。レイキやチャネリング、催眠セラピー、心理学など、貪欲に知識を増やしていきました。こうして占いへの知識が深くなったころ、2011年のことでした。年初めに鳴った一本の電話。「あなたからの手紙を見つけ、連絡をしました」……実母の息子さんからでした。「母は2010年に亡くなりました。母はあなたと会ったのでしょうか?」母もまた、私の知らないうちに亡くなっていました。あの時、直接会いに行っていれば……そんな思いで涙があふれます。これが運命だったのだと、必死に自分へ言い聞かせました。占いやセラピーを学んだおかげか、父の時よりは心強くいられました。お線香をあげに、母の家を訪ねました。飾られていた遺影は、とても幸せそうに見えました。ここには、種違いの弟が二人います。私の存在などまったく知らない弟たちでしたが、一目見るなり、「似てる!」と声をそろえて言ったことが不思議でした。弟もその奥さんも、とても気さくな人たちです。すぐに私を受け入れてくれ、家系についても話を聞くことができました。一つひとつ過去を知ること。その過程で、ようやく心のもやが晴れていくのを感じました。弟たちからの話で、とても驚いたことがあります。それは、母方の祖父が、京都の寺院でシャーマン(巫師・祈祷師)をしていた方だった、という事実です。幼い頃から持っていた不思議な予知能力。そして占いやヒーリングの世界へ歩みだしたこと。すべては、血からつながっていたのだと、確信した瞬間でした。このように、複雑な環境で育った私。だからこそ、理解できる気持ちがたくさんあります。それは占い師やヒーラーとして活躍するために、大きな支えとなりました。生い立ちで悩んでいる人だけでなく、仕事や恋愛、結婚、将来についてなど。悩んでいる方へ、人生をかけて、この手を差し伸べて参りました。占いやヒーリングは、人を救う有効な手段です。ですが、使い方を間違えると依存になってしまう、怖い一面もあります。自分で自分を救えるようになった私のように、辛い時、悲しい時、悩んでいる時。心身を鎮めるヒーリング法を伝えていくことができれば、より強くなれるでしょう。元々、人間には癒す力が備わっています。誰しも持っている能力ですが、便利な世の中になってしまったため、力を封印してしまっているだけなのです。「これからは、その人の持つ能力を最大限に引き出す活動をしよう」私がこれまで学んだこと、それを生かす道が、ようやく決まりました。こうして、スタートしたのが「天のヒーリング講座」です。「過去から抜け出せず苦しんでいる」「今置かれている状況から抜け出したい」「苦しんでいる誰かを助けたい」「ヒーリングの世界に興味がある」それなら、私と一緒に、セルフヒーリングの技を学んでみませんか?マダム・レジーナがあなたの心へ寄り添い、丁寧にレッスンいたします。ホームページ⇒http://healing-school.jp/フォーチュンソフト 統合運命学 認定ライセンス取得東洋美容協会主任講師 (催眠カウンセラー)メンタル心理カウンセラー嘉祥流観相士チャクラヒーラーシータヒーリング基礎DNA修了シータヒーリング応用DNA修了シータヒーリングアナトミー修了シータヒーリング病気と障害修了シータヒーリングワールドリレーションズ修了シータヒーリングDNA3修了シータヒーリングインストラクターレイキティーチャー
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