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天職発見コーチ(セッション、セミナー)、国際政治アナリスト、IT企業の契約法務スペシャリスト東京西池袋生まれです。1歳半のときに、両親の出身地である群馬県に移り高校まで過ごしました。高校卒業後は、慶應義塾大学法学部政治学科に進学のため東京に戻り、その後は首都圏に住み続けています。大学在学中はサークル活動とアルバイトに精を出すごく普通の学生でした。卒業後は、大手メーカに入社し、営業に配属されました。当時の私は、営業という仕事が自分に一番向いていないと思っていました。おしゃべりではないからです。営業はおしゃべりで、テキパキしている人が向いていると思っていました。しかし、これは私の思い込みでした。営業には、私が持つ「人の話しを聞くことのできる力」が重要だったのです。予想以上の成果を上げることができました。ただ、私はもともとは会社員希望ではありませんでした。人に使われずに自由に働きたいという思いを捨てきれませんでした。そこで、30歳のとき弁護士を目指し、思い切って退職します。司法試験の受験生になり、予備校に通い勉強漬けの毎日を送ることになりました。しかし、択一式には2回合格しましたが最終合格は果たせませんでした。その後は完全に燃え尽きてしまい、約1年半無職、無収入でメンタル不調というどん底を経験します。このときはお先真っ暗でした。恵まれた大企業を辞め、司法試験という最難関の試験に挑んだのは無謀だったと自分を責め、心の底から後悔しました。自分の人生はこれで終わりと思いました。メンタル不調から復活した後、少しずつアルバイトを始めました。あるITベンチャー企業でアルバイトをしていたとき、私の履歴書が幸運にもマネージャーの目にとまり、正社員になることができました。このベンチャー企業はとても多忙でした。毎日夜中まで残業し、週に2~3回は終電がなくなりカプセルホテルに泊まりました。休日は月に4回あれば多い方でした。採用担当の私は、在職中に1000人以上の方を面接しました。しかし、私にとって、とても良い思い出です。なぜでしょうか?この会社は様々な過去を持つ人たちの集まりでした。呉服屋の3代目だったけど、つぶしてしまい故郷から逃れてきた人。有名企業を40代でリストラされた人。管理職とけんかして会社を飛び出した人。劇団員だけどなかなか芽が出ないで40歳を過ぎてしまった人。そして、30代後半で司法試験をあきらめた私・・・。バックグラウンドに共通点があるため仲間意識が非常に強く、みんなが助け合いながら仕事をしていて、居心地の良いコミュニティのような会社でした。辛いこともみんなが分かち合ってくれましたし、誰かに良いことがあればみんなで喜びました。私が営業として大きな注文を取ってきたら、みんなが拍手をしてくれ、ガッツポーズを決めたときのことは、今でも鮮明に覚えています。ハードな仕事は、仲間との交流で帳消しでした。本当に良い思い出です。その後は司法試験の勉強で得た法律知識を活かし、大手IT企業に法務担当として転職しました。大手IT企業在職中は、目の前の仕事を丁寧にこなすことを心がけた結果、企業法務としてのキャリアを積み重ねることができました。16年以上の在職中、約3000件の相談にのりました。研修講師も数多く務めました。周囲の人間関係にも恵まれ部長職を務めるなど幸せな会社員生活でした。在職中、数多くの相談にのったため「相談されること」には慣れました。相談される側の心がまえが身につきました。これは、現在も役立っています。しかし、定年が視野に入ってきたとき、自由に働くことを目指し退職しました。現在は、非常勤で企業法務の仕事をしながら、AI時代をサバイバルするための天職を見つけるセッションやセミナーをしています。また、某大学の大学院で、もともと関心が深い国際政治学を専攻する大学院生でもあります。1人1人の個性がそのまま尊重される社会の実現が夢です。モットーは「何でもあり」。人は十人十色。どんな人がいてもいいし、どんな考えがあってもいいのです。だから、何でもありなんです。
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