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黒柳徹子
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黒柳徹子
黒柳徹子(1933年8月9日生まれ)は、日本の女優、タレント、司会者、エッセイスト、ユニセフ親善大使、平和運動家である。血液型はA型。愛称は「トットちゃん」、「チャック」。
日本のテレビ放送開始以来50年以上にわたり第一線で活躍している、日本テレビ史を代表するタレントの1人である。35年以上続く日本初のトーク番組「徹子の部屋」の司会や、累計760万部を誇る戦後最大のベストセラー『窓ぎわのトットちゃん』の著者として知られる。
略歴 [編集] 生い立ち [編集]東京府東京市赤坂区(現・東京都港区)乃木坂生まれ。大田区北千束町で育つ。名前は、両親たちが男の子が生まれると思い「徹」という名前を考えていたのだが、実際は女の子が生まれたため「子」をつけて「徹子」とした。また、「黒柳」とサインを書くときには柳の異体字である「栁」(木偏に夘)を使う。
父は音楽家で、NHK交響楽団のコンサートマスターも務めたヴァイオリニストの黒柳守綱(旧姓田口)、母はエッセイストの黒柳朝(旧姓門山)。弟はヴァイオリニストの黒柳紀明、妹はバレリーナでエッセイストの黒柳眞理、伯父には日本ニュースのニューヨーク支社長やアメリカ・メトロニュースの極東代表を務めた田口修治がいる。
第二次世界大戦中は青森県三戸郡南部町に疎開していた。トモエ学園、香蘭女学校、東洋音楽学校(現・東京音楽大学)声楽科卒業。慶應義塾大学文学部中退。1953年にテレビ女優第一号の一人としてNHKに入局。1971年にニューヨークのメアリーターサイ演劇学校に留学。
マルチタレントとして [編集]NHK放送劇団、文学座研究所を経て女優デビュー。テレビ誕生とともに生まれた日本初のテレビタレントにして、50年以上にわたりテレビ番組のレギュラーを継続して持ち続けている唯一のタレントでもある。放送劇団入社時の面接では「親に言ったらこんなみっともない仕事を(するのはやめろと言われた)…」、「こういう世界は騙す人が多いから気をつけろという話を聞く」などの失言を繰り返したのにもかかわらず、合格できたという。
以降声優、女優、司会者として現在もなおテレビで活躍するほか、毎年舞台に立ち続けている。また「窓ぎわのトットちゃん」などの著作もある。
社会貢献活動・福祉活動 [編集]芸能活動以外にも、国際連合傘下のUNICEF(ユニセフ、国際連合児童基金)親善大使としての活動が特に知られる。親善大使には1984年就任し、現在最古参のメンバーである。ボスニア・ヘルツェゴビナやアフガニスタンを取材、訪問等。親善大使としての活動に対して、ユニセフからは、1985年に「第1回ユニセフこども生存賞」、2000年に「第1回ユニセフ子どものためのリーダシップ賞」を受賞、また日本政府からは、2003年に勲三等瑞宝章(現在の瑞宝中綬章)を授与された。
その他、社会福祉法人「トット基金」理事長、社会福祉法人「あゆみの箱」理事、日本ペンクラブ会員、世界自然保護基金ジャパン顧問、ちひろ美術館・東京館長、東京フィルハーモニー交響楽団副理事長、日本チャップリン協会名誉会長、日本パンダ保護協会名誉会長、としても活躍している。1985年に、ポーランド政府からコルチャック賞を贈られた。
また、これらの関係から大阪のジェネリック医薬品メーカー・東和薬品のテレビCMが制作される際にCMイメージキャラクターに抜擢され、現在もなお継続して出演している(広告には本人を模した人形が登場している)。
エピソード [編集] 若手時代 [編集]NHK放送劇団(東京放送劇団)の5期生。同期に里見京子、横山道代、新道乃里子、幸田弘子、木下秀雄、桜井英一、関根信昭、三田松五郎、八木光生らがいる。
本人の談によると、NHKの試験放送で顔の左右を青白に塗り分けて撮影されたという。当時実験段階であったカラー放送の試験撮影のためであり、その様子は斉藤由貴主演の映画『トットチャンネル』(1987年)でも再現された。
文学座研究生の出身だが、正座員には、宮口精二の反対で採用されなかった。
交友関係 [編集]劇作家・飯沢匡を師と慕い、飯沢没後も飯沢のことを話す際には必ず先生付けで話している。
女優の池内淳子はトモエ学園の幼稚園時代の同級生で親交が深く、池内は亡くなる前年の2009年まで、『徹子の部屋』に12回出演する常連ゲストの1人だった。
歌手の三浦洸一は東洋音楽学校(現・東京音楽大学)の同級生。
元NHKアナウンサーで女優の野際陽子とは、NHK専属女優時代からの50年来の友人。20代のころから、一緒に飯沢匡主催のフランス語のレッスンに参加したり、同じデザイナーに服を作ってもらったり、プライベートでの時間をたくさん共有していた。
直木賞作家の向田邦子とも加藤治子の紹介から親交を結ぶようになり、料理のうまかった向田の作ったお惣菜をよくご馳走になっていた。その縁でTBS系で長らく放送された、久世光彦プロデュース・演出の「向田邦子ドラマシリーズ」のナレーションを務めていた。
1980年代までは、黒柳が司会を担当していた『ザ・ベストテン』(TBS系)と並ぶ音楽番組であった『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)の芳村真理とは犬猿の仲ではと伝えられていたが、実際はこの2人も1960年代頃からの40年来の親友に当たる。黒柳・芳村のほかに、うつみ宮土理・楠田枝里子を加えた4人については相互に親交があり、ライバル視など全くしていない。
女優・柴本幸とは、文通しあう間柄で柴本が幼い頃から手紙のやり取りをしている。
女優の沢村貞子を母さんと呼んで慕っており、よく自宅を訪れる間柄であった。彼女の甥である津川雅彦や長門裕之、長門の妻である南田洋子らとも交流が深い。
ビーズ刺繍作家の田川啓二とも時折食事に行く仲で、田川の作品を仕事でもプライベートでも愛用している。
母(黒柳朝)の音楽学校時代の友人、淡谷のり子とも子供の頃から交流があった。
渥美清との関係 [編集]NHK『夢であいましょう』で共演した渥美清と関係が深い。
共演当時、熱愛疑惑が持ち上がったことがある(本人談)。
渥美は1979年1月3日の『徹子の部屋』にゲスト出演している。(この出演が最初で最後であるが、黒柳によるとその後何度も渥美に出演を依頼したもののいずれも拒否されたとのことである。)
渥美の死去が公表されたのは、黒柳自身の誕生日である8月9日。
映画『男はつらいよ』最終作のマドンナ役に選ばれる予定だった。
第47作では、山田洋次に撮影現場を見に来てくれと言われて訪問している(NHK-BS2『BSスペシャル 渥美清の寅さん勤続25年』より)。
1996年8月13日に開かれた「寅さんとのお別れの会」に出席。渥美の特集番組『渥美清の伝言』、『渥美清の肖像〜知られざる役者人生』にも出演。
プライベートでも仲が良く、普段は「お兄ちゃん」と呼んでいたが、そんな黒柳でさえ渥美の自宅や連絡先を知らず、渥美の家族にも「お別れの会」で初めて会ったと言う(生前の渥美はプライバシー秘匿を徹底していたため)。その後渥美の妻とは、現在でも親交があるとのこと。(2006年12月の『徹子の部屋』より)。
タモリとの関係 [編集]タモリとの関係も深く、黒柳はタモリの知名度を上げるきっかけを作った人物の一人でもある。
タモリが赤塚不二夫に連れられ、テレビ朝日の生放送番組『赤塚不二夫の世界』に出演し、インチキ牧師を演じていたところを(ちなみにその「タモリ牧師」は、現在でも笑っていいとも!の年末特番「笑っていいとも!特大号」のオープニングで見ることが出きる)番組を見ていた黒柳が「今の人、誰? すごいじゃない」とテレビ朝日にいる赤塚宛に電話を入れ、ぜひ『徹子の部屋』に出て欲しいと出演依頼を行った(タモリの初出演は1977年8月11日)。これ以来、タモリは『徹子の部屋』の年末最後の放送にゲスト出演するのが恒例となっている。
1984年3月14日放送のフジテレビ系列『笑っていいとも!』の名物コーナー「テレフォンショッキング」に出演した際に、“43分間しゃべり続ける”という伝説を残した。そのため放送時間が無くなり、「テレフォンショッキング」の後に予定されていたレギュラーコーナー二つのうち一つを潰さなければならなくなり、双方の司会担当者がじゃんけんをして、潰す方を決めた。時は経ち2005年12月16日に21年ぶりに登場し、またも放送時間内で39分間しゃべり続けた。
1998年までフジテレビの番組にはほとんど出演せず、それ以降も5回程度しかフジテレビ系列の番組に出ていない。タモリが出演する『トリビアの泉』には、事務所の人に「出たい」と願い出て出演した。
2006年2月22日放送の『トリビアの泉』において「『徹子の部屋』で美少女戦士セーラームーンのコスプレをしたことがある」、「30年以上いつもノーブラで過ごしている」と2本連続で紹介され、検証VTRに本人が登場して事実と認めた。
黒柳は、タモリが振舞う料理を食べるため、タモリの家に行くことがあり、食べた料理は写真に残すようにしている。
「ザ・ベストテン」 [編集]久米宏と『ザ・ベストテン』(TBS系)で共演した過去があることから、2004年3月まで放送されていたテレビ朝日系の久米宏司会『ニュースステーション』に、UNICEF親善大使として毎年ゲスト出演していた。
ヨーガが得意で、「ザ・ベストテン」では着衣のまま水中浮揚を披露したこともある。
近藤真彦のファンであり、芸能界の母親代わりを自認している。
黒柳の話が余りに長くなると、久米が強引に話を打ち切り歌や中継に振る事も多かったが、若林正人のようにこの事で久米批判はしていない。
「世界・ふしぎ発見!」 [編集]『世界・ふしぎ発見!』(TBS系)などのクイズ番組の書き問題時には、必ずと言っていいほど答えを縦書きで書き(ただし、答えの中にアルファベットが入っている場合は例外的に横書きにする)、衣装は着物姿で出演する。
正解率の低い野々村真と解答が同じになると露骨に嫌な顔をする(もちろんネタであり、本心ではない)。また、一度自身だけが不正解になった事があり、司会の草野仁から感想をもとめられ「不愉快です!」と嫌悪感を表したエピソードがある(これもネタであり、本心ではない)。3択を苦手としている。
番組の問題製作者が図書館で参考にした資料(本)を本棚に戻したところ、直後に黒柳徹子がその本に手を伸ばした、というエピソードがある。
「徹子の部屋」 [編集]2006年、第54回菊池寛賞を受賞。受賞理由は「30年間休むことなく良質な対談番組を送り続けている努力」に対して。
2006年7月10日放送の回では、ゲストの春風亭昇太が前回出演した際、ソフトボール部に所属していた話をするが、黒柳がソフトボールというスポーツそのものを理解できず、話が先に進まなかったVTRが放送された。
ジャイアント馬場がゲスト出演した際にヒンズースクワットをすすめられ、現在も毎日行っている。馬場はこれからわずか2ヵ月後に亡くなり、黒柳は「スクワットは馬場さんの遺言」と言っている。
7月と12月に亡くなった著名人を追悼する特集を行っている。
様々な俳優、文化人の才能を引き出すトークがある一方、お笑い芸人がゲストの時には、芸人がネタを見せた際「おもしろい!」と一人喜んでいつまでも出演した芸人のネタの披露をやめさせないこと、またゲストがトークに入る前に開口一番「今日は何か面白い話をして下さるんですって?」とわざとトークのハードルを上げること等がある。
その他テレビ出演時の話 [編集]1970年、関口宏に替わり『ステージ101』(NHK)の司会を半年ほど務めたことがあるが、そのときはヤング101のメンバーに合わせて、ミニスカート姿で番組に参加していたことがある。
大のパンダファンとして知られ、『わくわく動物ランド』(TBS系)でパンダ特集の回にゲスト出演したところ、5問全問正解した。
パンダが鳴く瞬間を知っている数少ない一般人で『シルシルミシル』では検証がなされた(実際に話している通りに鳴いていた)。他にもラクダが鳴く瞬間も知っている数少ない一般人でもある。
1980年、「ザ・ベストテン」「徹子の部屋」「音楽の広場」の司会ぶりを買われ、1958年以来、22年ぶりにNHK紅白歌合戦の紅組司会に起用されたが、その際、黒柳は、司会を受ける条件として、「紅白の番組構成に私の意見を取り入れて欲しい」と要望。これが「80年代最初の紅白なのでフレッシュな内容にしたい」と考えていたNHK側の思惑と合致しての司会起用であった。この年は、宝くじの抽選会で使用されているものと同仕様のルーレットを使用して、本番の中で攻守を決めるという異例の構成が採られたが、これも彼女の「自身の意見を取り入れて欲しい」という要求を与して考え出されたものであるといわれている(合田道人・著「紅白歌合戦の真実」(幻冬舎・刊)より)。
舞台女優としても活躍しているが、海外の喜劇が多く、『徹子の部屋』のホステスとして、彼女自身のイメージを壊さないための配慮でテレビドラマ出演はここ20数年ない。しかし、例外的に2001年10月5日放送の『OLヴィジュアル系 完結編!!』(テレビ朝日系)、2007年2月11日放送の『和田アキ子殺人事件』(TBS系)などでは、本人役で出演した。
「年に1、2回しかパチンコに行かない」と語っている(ただし、かつてはまったくパチンコとは無縁の生活を送っていた)が、テレビ朝日系の正月の特番での和田アキ子とのパチンコ対決では、パチンコ常連である和田に何度も勝利している。
2006年5月17日放送の『ドリーム・プレス社』のロケで自由が丘を訪れた際、天丼とカツ丼は今まで一度しか食べたことが無いと告白。この時、人生二度目の天丼を食べ、2008年1月6日放送の『旅の香り〜四季の名宿めぐり〜』で、人生二度目のカツ丼を食べた。また2007年1月26日放送の同番組では、親子丼は25年前に一度食べただけと発言し、番組内で作られた人生二度目となる親子丼を食した。
2007年3月10日放送の『チューボーですよ!』にて、「鯛茶漬けを食べたことも無ければ、料理も初めて」と言いつつ、司会の堺正章よりも上手に鯛の処理をやってのけた(結果は3つ星)。この放送では、黒柳はいつものように周りの会話を無視するようなマイペースさを見せ、堺を振り回す格好になっていた。
2007年9月6日放送の『ちちんぷいぷい』(毎日放送)において、収録されたインタビューで、「人生の中で2度結婚しようかと思ったこともあったが、タイミングなどの関係で結局結婚にまで至ることはなかった」と本人が語っている。また、「結婚していれば、それはそれで人生が違っていたかもしれないが、結婚していなかったから、今のような自由な芸能活動を送ることができた」とも言っている。
2009年4月23日・4月30日放送の『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ)に『ムダ・ベストテン』のコーナーに出演した際、有吉弘行からはクソババアと命名され、激怒する素振りを見せた。
その他 [編集]1982年の園遊会に招待され、昭和天皇に『窓ぎわのトットちゃん』の説明をしたところ、「非常にお売れになって」と言われた。この一言により、まるで陛下に自著の自慢をしているように映ってしまい、周囲から大爆笑され、本人は照れ笑いを浮かべるほかなかった。
その形状から「タマネギ頭」と称される髪型もよく知られているが、大好きなマリー・アントワネットの髪型をモデルにしていると話している。
放送のハイビジョン化が進むとハレーションが使えなくなるので、その時には引退するつもりである、と発言している。
過去のテレビ番組で1番好きだったのは、『世界・ふしぎ発見!』の共演者である草野仁が司会を務めた『ザ・ワイド』(読売テレビ・日本テレビ系、1993年4月 - 2007年9月)である。開始当初から毎日欠かさず見ていたという。スケジュールの都合上、昼間に自宅に帰れないときは必ずビデオに撮ってあとで見ており、最終回のVTRコメント出演では「一番の熱心なファンと思っていただいていいと思います」と語っていた。
司会者でも有数の鼻濁音の使い手として有名である。
愛車は、トヨタ・プリウス。
自身がLDの計算障害・読書障害である可能性に言及した。台本を読んでも台詞が覚えられないなど、具体的なエピソードを交えて説明している(『小さいときから考えてきたこと』新潮社、2004年)。
著書である『窓ぎわのトットちゃん』の印税で、アメリカの聾学校の生徒たちによる劇団「デフシアター」の日本公演を経済的に支えたことが知られている。黒柳自身も手話を使うことができ、本人役で特別出演した映画『アイ・ラヴ・ユー』でも手話を披露している。
日本チャップリン協会(大野裕之会長)の名誉会長を務める。
野球音痴で有名(ルールや選手その他を全く知らない)。古くは金田正一との対談の際、「国鉄(スワローズ、当時)の金田です」の自己紹介に対して「どちらの駅にお勤めですか?」と尋ね金田を唖然とさせたという。『徹子の部屋』に野球関係者が出演した時は、「どうしてここで監督はホームランのサインを出さないのかしらと思った」とか、「サヨナラホームランを打ったのに引退しないのはどうして」、「野球の審判って大変ですよね。投手の投げた球をバッターが打ったら一塁まで走って行かなきゃならないんですよね」などといった大ボケ発言を連発する。
ザ・ベストテン時代、毎回同じ靴を履いていた。様々な所から靴が送られてきたがサイズが小さく、履けなかった。本人のサイズは24cm
主な出演 [編集] テレビ番組 [編集] レギュラー出演 [編集]夢であいましょう(NHK、1961年4月-1966年3月) - 1965年4月より結婚した中嶋弘子に代わり、ホステス役(司会)を担当
魔法のじゅうたん(NHK、1961年4月-1963年10月) - 司会
若い季節(NHK、1961年4月9日-1964年12月28日) - 黒金徹子役
レモンスカッシュ4対4(NET、1969年10月2日-11月20日)
ステージ101(NHK、1970年-1971年) - 司会
おさな妻(東京12チャンネル、1970年10月2日-1971年9月24日)
繭子ひとり(NHK連続テレビ小説、1971年4月-1972年3月) - 牟田悌三と夫婦役を演じた。
13時ショー(NET、1972年-1976年1月) - 「徹子の部屋」の前身番組、司会
火曜歌謡ビッグマッチ(TBS、1973年4月-1974年3月) - 司会
銀座わが町(NHK、1973年4月4日-1974年3月27日)
元禄太平記(NHK大河ドラマ、1975年)
あこがれ共同隊(TBS、1975年)
徹子の部屋(NET→テレビ朝日、1976年2月2日-) - 司会
音楽の広場(NHK、1977年-1984年) - 芥川也寸志とともに司会
ザ・ベストテン(TBS、1978年1月-1989年9月) - 司会
徹子ときまぐれコンチェルト(NHK、1984年4月2日-1985年3月18日) - 司会
世界・ふしぎ発見!(TBS、1986年4月-) - レギュラー解答者
チョッちゃん(NHK連続テレビ小説、1987年4月-9月) - 母・黒柳朝の半生をドラマ化したもの。
音楽派トゥギャザー(TBS、1989年10月-12月) - 司会
ドリーム・プレス社(TBS、2006年5月-2009年3月) - 司会
キズナ食堂(TBS、2009年4月-) - フィクサー
単発・特番・ゲスト出演 [編集]NHK紅白歌合戦 第9回・第31-34回(NHK、1958年・1980年-1983年) - 紅組司会
輝く!日本レコード大賞(TBS) - 1977年度・1978年度・1991年度・1992年度司会
日本歌謡大賞(TBSを除く民放各社持ち回り) - 1974年度司会
アッコにおまかせ!(TBS) - 板東英二、加藤武ともにトークコーナーゲストとして出演
お気に召すまま! おしゃべり春一番!!(ニッポン放送、2006年2月21日)
スターライト・キッズ 新・北斗七星伝説(TBS、1988年10月11日)
和田アキ子殺人事件(TBS、2007年2月12日)
日本テレビ開局55年記念番組 女たちの中国第一弾〜13憶のチカラ…美と権力と涙の物語(日本テレビ、2008年2月11日) - 司会
視点・論点〜ネパールの子どもたち(NHK、2009年7月2日)
森田一義アワー 笑っていいとも!(フジテレビ) - 「テレフォンショッキング」ゲストとして数回出演
笑っていいとも!増刊号(フジテレビ) - 「テレフォンショッキング」ゲストとして数回出演
トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜(フジテレビ) - ゲストとして数回出演
花影忍法帳コミ☆トレ 第5回「近代忍者増刊号〜聞き上手になろう〜」(NHK、2009年)
歌のおにいさん 第5話・最終話(テレビ朝日金曜ナイトドラマ、2009年2月20日・3月13日) - 本人役(特別出演)[1]
課外授業ようこそ先輩(NHK、2011年4月9日)
実写映画 [編集]海は生きている(日活、1958年) - ドキュメンタリー。東野英治郎と共に解説。
ちんじゃらじゃら物語(松竹京都、1962年)
喜劇 駅前漫画(東京映画、1966年) - ミミ子役
ムツゴロウの結婚記(松竹大船、1974年)
春男の翔んだ空(現代ぷろ、1977年) - 書店の客役
アイ・ラヴ・ユー(全国映画センター、1999年) - 本人役(特別出演)
声の出演 [編集]ヤン坊ニン坊トン坊(NHKラジオ第1)- トン坊役
共演の里見京子、横山道代と共に、子供の声として大人の女性が起用された日本では最初の例。脚本家の飯沢匡の発案。
チロリン村とくるみの木(NHK、1956年4月-1964年3月) - ピーナッツのピー子役
一丁目一番地(NHKラジオ第1、1957年4月-1964年3月) - サエコさん役
ブーフーウー(NHK、1960年9月-1967年3月) - ウー役
アラビアンナイト・シンドバッドの冒険(東映動画、1962年6月16日) - アリー役
少年ジャックと魔法使い(東映動画、1967年3月19日) - ネズミ役。歌も担当
ダットくん(NHK、1967年4月-1969年9月) - 白ウサギのダットくん役
サンダーバード(NHK) - レディ・ペネロープ役
サンダーバード 劇場版(NHK) - レディ・ペネロープ役(劇場公開版・DVD版)
サンダーバード6号(NHK) - レディ・ペネロープ役(劇場公開版・DVD版)
ひょっこりひょうたん島(NHK、1964年-1969年・1992年-1993年・2003年) - ペラ役
アンネの日記(東宝、1995年) - ペトロネラ役
CM [編集]カゴメ トマトジュース
味の素 クック・ドゥ、中華あじ
日立製作所 トップ・レディ(冷蔵庫) - トムとジェリーも出演。その他にも多数出演
公共広告機構(現:ACジャパン) ユニセフ・カード
東和薬品
リクルート住宅情報
トヨタ プリウス
Volvicミネラルウォーター
舞台 [編集]スカーレット(東宝、帝国劇場、1970年1月-3月) - 『風と共に去りぬ』を原作とした和製ミュージカル、主人公スカーレット・オハラの妹役
PARCO劇場海外コメディシリーズ[1]
33の変奏曲(パルコ、ル・テアトル銀座、2010年10月)- キャサリン役
著作 [編集] 単著 [編集]パンダと私 朝日ソノラマ 1972
『チャックより愛をこめて』(1973年、文藝春秋)のち文庫
おしゃべり倶楽部 チャックより愛をこめて(対談集)文芸春秋 1976 のち文庫
徹子の部屋 1-4 全国朝日放送 1977-86 のち朝日文庫
黒柳徹子の一生懸命対談 新日本出版社 1978.4
『窓ぎわのトットちゃん』(1981年、講談社)のち文庫
『黒柳徹子の動物劇場』1-2(1983-84年、話の特集)「トットの動物劇場」新潮文庫
トットのピクチャー・ブック 武井武雄絵 1984.3 新潮文庫
トットちゃんのカルチャーショック 黒柳徹子の新・海外生活読本 小学館 1984.4
『トットチャンネル』(1984年、新潮社)のち文庫 - 1987年に東宝配給で劇場映画化(主演:斉藤由貴)
アフリカのトットちゃん 救え、アフリカの子どもたち 田沼武能写真 講談社 1985.3
木にとまりたかった木のはなし 武井武雄絵 岩崎書店 1985.9
ちびくまちゃんちのくっきーづくり 紙谷元子人形・構成 偕成社 1985.1
マイ・フレンズ 新潮社 1986.5 『トットのマイ・フレンズ』文庫
ちびくまちゃんちのさんたさんはだあれ 紙谷元子人形・構成 ケイエス企画 1987.12
トットの欠落帖 新潮社 1989.5 のち文庫
『トットちゃんとトットちゃんたち』(1997年、講談社)のち青い鳥文庫
『小さいときから考えてきたこと』(2001年、新潮社)のち文庫
『不思議の国のトットちゃん』(2005年、新潮社)のち文庫
徹子さんの美になる言葉 その後のトットちゃん 講談社 2008.10
小さいころに置いてきたもの 新潮社 2009.9
共著 [編集]飢えるアフリカ 朝日新聞外報部 朝日新聞社 1984.12
つば広の帽子をかぶって いわさきちひろ伝 飯沢匡共著 講談社 1989.7 のち文庫
『徹子と淀川おじさん人生おもしろ談義』NTT出版、2002(『徹子の部屋』内での淀川長治との対談を纏めた本)のち光文社知恵の森文庫
トットちゃんとカマタ先生のずっとやくそく 鎌田實共著 ソフトバンククリエイティブ 2007.7 のち新潮文庫
パンダ通 岩合光昭共著 朝日新書 2007.10
(井筒和幸・井上ひさし・香山リカ・姜尚中・木村裕一・猿谷要・品川正治・辛酸なめ子・田島征三・中村哲・半藤一利・ピーコ・松本侑子・美輪明宏・森永卓郎・吉永小百合・渡辺えり子)『憲法を変えて戦争に行こう―という世の中にしないための18人の発言』(岩波書店[岩波ブックレット],2005年,ISBN 4000093576)
翻訳 [編集]おねがい、地球を殺さないで ビル・アドラー編 早川書房 1985.7
関連項目 [編集]東京都出身の人物一覧
脚注 [編集][ヘルプ]
1.^ 34年ぶりのドラマ出演 - 徹子の部屋2時間スペシャル(テレビ朝日、2011年4月27日)放映分にて
外部リンク [編集]トットチャンネル(黒柳徹子公式ページ)
『徹子の部屋』(テレビ朝日公式)
黒柳さんが話した、黒柳さんのこと。(ほぼ日刊イトイ新聞 糸井重里さんとの最初の対談)
たまねぎアメと森繁パンダ (ほぼ日刊イトイ新聞 糸井重里さんとの2度目の対談)
[表示]表・話・編・歴毎日芸術賞受賞者
第1回: 井上靖/八代目松本幸四郎/間宮芳生 • 第2回: 丹羽文雄/土門拳 • 第3回: 吉川英治/小林正樹/安川加寿子 • 第4回: 谷崎潤一郎/内村直也/八代目坂東三津五郎 • 第5回: 舟橋聖一/新藤兼人 • 第6回: 伊馬春部/三島由紀夫 • 第7回: 野口冨士男/市川崑 • 第8回: 三善晃/滝沢修/岡田謙三 • 第9回: 司馬遼太郎 • 第10回: 杉村春子/茂木草介/東山魁夷 • 第11回: 秋元松代/平野謙/棟方志功 • 第12回: 東野英治郎/山田洋次 • 第13回: 大岡昇平 • 第14回: 辻邦生/宇野重吉 • 第15回: 桜間道雄 • 第16回: 荒正人/山田五十鈴 • 第17回: 仲代達矢/倉本聰 • 第18回: 遠山一行/森繁久弥 • 第19回: 寺田透/黒川紀章 • 第20回: 有吉佐和子/飯沢匡/林忠彦 • 第21回: 東敦子/篠山紀信/前進座 • 第22回: 五代目河原崎國太郎/篠田一士/若杉弘/越路吹雪 • 第23回: 森下洋子/藤原新也 • 第24回: 佐多稲子/八代目松本幸四郎/林康子 • 第25回: 水上勉/朝比奈隆/三代目市川猿之助/磯崎新 • 第26回: 吉村昭/佐々木昭一郎/山本安英 • 第27回: 竹西寛子 • 第28回: 北村和夫/安藤忠雄/NHK交響楽団 • 第29回: 芝木好子/深町幸男 • 第30回: 一柳慧/吉田簑助/渥美清 • 第31回: 今村昌平/木下順二 • 第32回: 武満徹/本多秋五/森光子 • 第33回: 高井有一 • 第34回: 三代目中村鴈治郎/佐々木昭一郎/山田太一 • 第35回: 遠藤周作/松村禎三/橋田寿賀子 • 第36回: 秋山和慶/幸田弘子/横尾忠則 • 第37回: 今井信子/江成常夫/ひょうご舞台芸術「GHETTO」 • 第38回: 古井由吉/小栗康平/黒柳徹子/馬場あき子 • 第39回: 金石範/入澤康夫/五代目坂東玉三郎/宮崎駿 • 第40回: 萩原葉子/森澄雄/十三代目片岡仁左衛門 • 第41回: 蜷川幸雄/岡井隆/河野多惠子/高倉健 • 第42回: 黒井千次/大島渚/吉永小百合 • 第43回: 加藤幸子/麻実れい/鷹羽狩行 • 第44回: 井上ひさし/小澤征爾/清岡卓行 • 第45回: 高橋たか子/七代目竹本住大夫 • 第46回: 中村稔/前登志夫/観世栄夫/沼尻竜典 • 第47回: 谷川俊太郎/三木卓/奈良岡朋子 • 第48回: 篠弘/司修/二代目中村吉右衛門/いのうえひでのり • 第49回: 岡本眸/野田秀樹/平岩弓枝/細江英公/森山良子 • 第50回: 吉増剛造/舟越桂/永井路子/七代目尾上菊五郎/石内都 • 第51回: 鳳蘭/隈研吾/關正人/辻原登/遠山慶子/金子兜太 • 第52回: 秋山陽/大峯あきら/村上龍/森村泰昌/吉田都/加山雄三 •
先代:
(なし) ザ・ベストテン司会者
初代 - 第4代
1978年 - 1989年
黒柳徹子・久米宏
→黒柳徹子・小西博之
→黒柳徹子・松下賢次
→黒柳徹子・渡辺正行・柄沢晃弘 次代:
(なし)
[表示]表・話・編・歴NHK紅白歌合戦 紅組司会
1951-70年 1951(年初) 加藤道子 | 1952(年初) 丹下キヨ子 | 1953(年初) 本田寿賀 | 1953 水の江瀧子 | 1954 福士夏江 | 1955,56 宮田輝 | 1957 水の江瀧子 | 1958 黒柳徹子 | 1959-61 中村メイコ | 1962 森光子 | 1963,64 江利チエミ | 1965 林美智子 | 1966 ペギー葉山 | 1967 九重佑三子 | 1968 水前寺清子 | 1969 伊東ゆかり | 1970 美空ひばり
1971-2000年 1971 水前寺清子 | 1972 佐良直美 | 1973 水前寺清子 | 1974-77 佐良直美 | 1978 森光子 | 1979 水前寺清子 | 1980-83 黒柳徹子 | 1984 森光子 | 1985 森昌子 | 1986 斉藤由貴&目加田賴子 | 1987,88 和田アキ子 | 1989,90 三田佳子 | 1991 浅野ゆう子 | 1992,93 石田ひかり | 1994,95 上沼恵美子 | 1996 松たか子 | 1997 和田アキ子 | 1998-2000 久保純子
2001年- 2001,02 有働由美子 | 2003 有働由美子&膳場貴子 | 2004 小野文惠 | 2005,06 仲間由紀恵 | 2007 中居正広 | 2008,09 仲間由紀恵 | 2010 松下奈緒
[表示]表・話・編・歴日本レコード大賞 歴代司会者
第1 - 10回 第1 - 6回(1959 - 1964年) 芥川隆行 | 第7 - 10回(1965 - 1968年) 三木鮎郎
第11 - 26回
(帝国劇場開催時) 第11、12回(1969、1970年) 高橋圭三 | 第13回(1971年) 高橋圭三、山本陽子 | 第14 - 18回(1972 - 1976年) 高橋圭三、森光子 | 第19、20回(1977、1978年) 高橋圭三、久米宏、黒柳徹子 | 第21回(1979年) 高橋圭三、檀ふみ | 第22回(1980年) 高橋圭三、渡辺謙太郎、中田喜子 | 第23回(1981年) 高橋圭三、渡辺謙太郎、竹下景子 | 第24回(1982年) 高橋圭三、児玉清、竹下景子 | 第25回(1983年) 高橋圭三、竹下景子 | 第26回(1984年) 森本毅郎、竹下景子
第27 - 35回
(日本武道館開催時) 第27回(1985年) 森本毅郎、倍賞美津子 | 第28回(1986年) 森本毅郎、竹下景子 | 第29、30回(1987、1988年) 関口宏、三雲孝江 | 第31回(1989年) 板東英二、楠田枝里子 | 第32回(1990年) 板東英二、和田アキ子 | 第33回(1991年) 石田純一、布施明、黒柳徹子 | 第34回(1992年) 神田正輝、黒柳徹子 | 第35回(1993年) 宮本亜門、牧瀬里穂
第36 - 45回
(TBS放送センター開催時) 第36回(1994年) 宮本亜門、牧瀬里穂 | 第37回(1995年) 西田敏行、中山秀征、渡辺真理 | 第38回(1996年) 堺正章、飯島直子 | 第39回(1997年) 堺正章、草野満代 | 第40回(1998年) 堺正章、江角マキコ | 第41、42回(1999、2000年) 堺正章、黒木瞳 | 第43回(2001年) 堺正章、米倉涼子 | 第44回(2002年) 堺正章、菊川怜 | 第45回(2003年) 堺正章
第46回 -
(新国立劇場・中劇場開催時) 第46回(2004年) 堺正章、伊東美咲 | 第47回(2005年) 堺正章、綾瀬はるか | 第48、49回(2006、2007年) 堺正章、押切もえ、蛯原友里 | 第50回(2008年) 堺正章、上戸彩、松下奈緒 | 第51回 - (2009年 - ) 堺正章、藤原紀香
[表示]表・話・編・歴24時間テレビ総合司会
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