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一人っ子で生まれた人生。生まれた瞬間から、重苦しい課題。両親の老後の面倒を見るのは、私の役目。両親からは、虐待を受け続けました。母親からは、毎日 アホ ボケ 死ね と言われ続け、毎日 殴られる 殴られる ぐーで殴られる。隙を見せると 殴られる。背中を見せると 殴られる。何度も 殺されそうに なりながらも、生き延びてきた。精神が不安定だった母親は、私を殴ることで、精神のバランスをとっていました。母親とは同居していましたが、私が55歳になるまで、「いつか殺してやる」と言われ続けていました。カウンセリングを受けたら、よく生きてましたね。 とか よく気が狂わなかったですね とか言われるけれど、生きたくて 生きてきたわけではなくて なぜか 死ななかったから 生きているんです。小学校に上がる前から、人生には、絶望しかありませんでした。学校では、級友からいじめにあい、会社では、パワハラにあい、会社の上司までもが、「きみは 自殺したらどうか」と、業務命令される始末。でも不思議なことに、逃げ出さなかった。そう、逃げ出す気力さえなかった。そんな私でも、父親の借金を返済し、病弱な父親の看護をしました。父親は、65歳の若さで、脳卒中で亡くなりました。母親は、85歳で脳梗塞、90歳で右目失明したので、私が、介護をしました。 懸命に介護をしました。「この人は、私を虐待して 殺そうとまでした」との想いとの葛藤。苦しかった。日々、忍耐 忍耐 忍耐 忍耐 忍耐 忍耐 忍耐 忍耐を続けました。そんな思いも、介護を5年過ぎるころから 少しづつ変わりはじめ、最後は、母親を いとおしく 想えるようになりました。そして、母親は、92歳で 病院で 老衰で亡くなりました。亡くなる前、母親は、病院の人たちに、「うちの息子は、日本一の 親孝行息子です」と言っていたそうです。生んで育てていただいた ご恩は 少しは 返せたかもしれません。両親が亡くなり、親戚の伯父伯母叔父叔母がすべてなくなり、孤児になり、会社も定年退職し、人間関係のしがらみがなくなった今からが、私が、本当に したかったこと 取り組みたかったことに向かっていける人生です。こんな人生だから、こんな私になってしまった、と何かのせいにするのではなく、こんな人生だったから、このような私になることができた、で終わるのではなく、この人生だったからこそ、この私になれたと、歓びをもって語りたいのです。さあ、どんな たのしい 未来が 待ってるのでしょうか?わくわく します。
テーマ: ブログ
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