Ameba新規登録(無料)
太陽
フォロー
ブログをブロックする
ブログを報告する
ブログをブロックしました
ブログのブロックを解除しました
エラーが発生しました
追加できるブログ数の上限に達しました。
設定
太陽
性別
男性
血液型
A
出身地
茨城県
ステータス
未婚
最新の記事
イケてるカラダを作りたい
1日11時間~イスに座っている人はそうでない人より危険!
テーマ: ブログ
2013年11月28日 12時35分
52
10
リハ終了
テーマ: ブログ
2011年06月11日 15時40分
2
HFJ
テーマ: ブログ
2011年06月09日 09時34分
JOBAをあなどるなかれ
テーマ: ブログ
2011年06月09日 09時20分
勉強勉強勉強
テーマ: ブログ
2011年05月28日 21時52分
1
生い立ち
■ 茨城出身
北関東といわれる茨城県。
その中でもさらに北の位置にある町に生まれ育ちました。
山や海も近くにあり、自然に恵まれた素晴らしい環境でした。
■ 駆け回る少年時代
今もそうなのですが、
子供の頃から家の中よりも外で遊ぶのが好きでした。
・田んぼを裸足で走り回りました。
(足腰が鍛えられました)
・3つ先の駅まで自転車で行ってました。
(心肺機能向上)
・よく近所のお墓の中を探検しました。
(罰当たりでした)
とても好奇心旺盛な子供でした。
しかしそのせいでいつも手足にあざや傷を作っていました。
■ 運動にあけくれる小中学生
教育熱心な母の勧めで、習い事をたくさんしていました。
「習字」「スイミング」「サッカー少年団」「バスケット」
「カブスカウト」「英語塾」「進学塾」「ギター教室」
いろいろとチャレンジはしたのですが、
長続きするものは少なかったです。
とにかく一カ所にじっとしているのが苦手でした。
そのせいか常に動き回っているスポーツ系は大好きでした。
「運動バカ」という言葉がまさに当てはまった子供でした。
■ 遊びほうけた高校時代
そんな運動バカな私でしたが、なんとか高校に入学する事ができました。
その学校は有名大学への進学率も高かったため、
家族も納得してくれました。
しかし入った後が問題でした。
生活環境が変わり、自由に行動できる範囲も大きく広がりました。
そのため好奇心旺盛な私は、良くも悪くもいろいろな事に手を出し始めました。
・1人暮らし
中学生の時まで家族4人で2DKのアパートに住んでいました。
思春期という事もあり、
家族であってもプライバシーのない狭い空間での生活がとても嫌でした。
広い家に住んでいた友達に対するコンプレックスもありました。
そこで私は、数キロ離れた祖父母の家に行き、
庭にある古いプレハブ小屋に1人で住み始めました。
ガスも水道もないプレハブ小屋でしたが、
そこに自由を感じました。
・おもちゃ屋さんでアルバイト
人生初のお仕事です。
当時は「たまごっち」や「ハイパーヨーヨー」などが流行っていました。
新商品の発売日などは、早朝から子供から大人まで、
長い列を作って並んでいたのをよく覚えています。
クリスマス時期になると1日に百万単位の売上がありました。
閉店作業時にお札を数える手が、軽く震えていたのを覚えています。
・バイクの中型免許取得
男は少しくらい悪い方がカッコイイ、そのほうが女の子からモテる!
そう考えていた私はアルバイトで貯めたお金を使い、
親の反対を押切り、バイク免許取得のため教習所へ通いました。
始めて買ったバイクは「FZR250」
スピードがとても早いレーサーレプリカというタイプのバイクでした。
先輩から破格の3万円で譲ってもらいました。
残念ながら最終的に事故で廃車となってしまいましたが、
とても愛着のある一台でした。
・パチンコ/麻雀 ギャンブル三昧
高校生活も後半になる頃、
私は完全に乱れきった生活をしていました。
朝は直接学校に行く事はまずなく、
家を出ると仲間とともにパチンコ屋へ出勤。
という毎日を送っていました。
午後に少しだけ学校に顔をだし、
さっさと帰っては友人宅に集まり朝まで麻雀です。
そんな生活を繰り返していました。
■ 堕落した10代後半
毎晩遊びほうけた高校時代を終え、
それでもなんとか地方の大学に入学できました。
しかし目的も持たぬまま、何となく入学してしまった為、
すぐに飽きてしまい半年ともたずに退学してしまいました。
今になって思うと本当に親不孝な息子でした。
心から反省しています。
そしてこの頃には皆が「車」というおもちゃを手に入れていました。
良くも悪くも、さらに行動範囲が広がりました。
そしてカラダを動かす機会は確実に減っていき、
体型に変化が現れてきました。
■ 友人宅に居候
大学退学後は自宅に帰るわけにもいかず、
友人宅に居候させてもらう事にしました。
海のすぐ近くにある長屋タイプの公営住宅でした。
友人が無職だったため、
家賃はなんと3,000円でした!
この頃は二人とも本当にお金がありませんでした。
スーパーで働く友達に余り物を持ってきてもらったり、
情けない話しですが、
互いの彼女に食料を買ってもらい生活する日も多々ありました。
今でもあの頃よく食べた「冷凍餃子」と
「業務用めんつゆ」で作った、うどんの味は忘れません。
ガスも止められていたので
家で風呂にも入る事もできませんでした。
本当に、本当に貧乏でした。
しかしそれでも楽しい毎日でした。
朝はサーフィン、昼間は町をぶらぶら、
そして夜には友達が集まり朝まで麻雀。
誰に縛られる事もなく、時間を自由に使う毎日。
最高でした。
■ 母の死と上京
そんな生活を繰り返していた私に
人生を変える衝撃的な出来事が起こりました。
母が車の事故により戻らぬ人となりました。
医師の検死によると原因は「クモ膜下出血」との事でした。
頭の中が真っ白になりました。
朝まで元気でいた母が、
夜にはもういないのです。
私が健康業界で働いているルーツは、
この出来事からなのかもしれません。
そしてそれをきっかけに私の意識に変化が生まれました。
「このままじゃいけない!」
真剣に人生を考えるようになりました。
そして考え出した答えは「安定・安心・安全」でした。
当時の生活状況や母の事もあり、
かなり保守的になっていたのだと思います。
そして「公務員」になろうと考え、
東京の専門学校に行く事を決意しました。
■ ぷよぷよ専門学生
皆さんも経験されたかもしれませんが、
学生時代は貧乏生活を送る事となりました。
貧乏生活には慣れていたので苦ではなかったのですが、
不規則な生活や、栄養バランスの悪い食事を続けた事で、
さらににカラダが変わり始めました。
・体重は10kg増の75kg!
・締まりのないたるんだお腹。
・ガサガサに荒れた肌。
実家に帰るといつも「太ったね」の声を聞くようになりました。
正直ショックでした・・・・。
その度に「痩せよう!」と思い、
世間で噂される流行のダイエット法を試すのですが、
結局うまくいかずリバウンドに悩まされました。
■ 就職してゲッソリ
専門学校を卒業後、東京で就職する事にしました。
投資用不動産の販売をする会社に入りました。
担当している物件を売れば歩合が貰えました。
そのおかげで新入社員の給料としては、
結構な金額が入り嬉しかったのを覚えています。
しかしその分、仕事はハードでした。
時間の拘束も長く「朝一から終電まで勤務」
といった生活が続きました。
そのような生活を続けていると食欲も衰え
学生時代とは逆のカラダの変化が起こり始めました。
・体重は一時60kg近くまで減少。
・細くはなったが締まりのないカラダ
・相変わらず肌はガサガサ
次第に体力も落ち始め、
動くとすぐに息が上がるようになりました。
さらには姿勢も悪くなり腰痛もでてきました。
するとしだいに精神的にも落ち込む事ようになりました。
■ 健康業界との出会い
不動産の会社は体調不良から退職する事に決めました。
さてこれからどうしようと迷っていた頃に、
1つの求人を見つけました。
それはフィットネスクラブでの仕事でした。
もともとカラダを動かすのは好きでしたし、
弛んだカラダをなんとかしたいという気持ちがありました。
そこで思い切って応募してみました。
そして私のフィットネスライフが始まりました。
■ 心もカラダも変わり始める
最初は何もかもが新鮮でした。
今までに出会った事のない感性の人たち、
新たに覚える知識、未知なる世界への好奇心。
私以外の人達は経験者が多く、
悔しい思いもたくさんしました。
しかしその気持ちをバネに必死で勉強しました。
不健康な生活により弱々しく衰えていたカラダも、
定期的な運動を始める事で少しずつ変わっていきました。
さらにカラダが変わる事で、
気持ちまでプラスに変わっていきました。
この頃になると仕事へ行くのが毎日楽しく、
どんどんこの世界にのめり込んでいきました。
■ 専門家になるべく
仕事にも慣れ自分にも少しずつ自信がついてきた頃、
今度はこの感動を他の人にも伝えたいと思うようになりました。
しかしそのためには、今のままでは駄目だと気づきました。
もっと知識やスキルが必要だ考え、
外部セミナーや資格試験を受けるようになりました。
さらにお客様に対し説得力があるように、
自分のカラダもより一層鍛えあげました。
そのかいあって、時にはフィットネス雑誌のモデルや、
セミナー講師を務めさせて頂けるようになりました。
■サラリーマン時代
健康業界が好きになった私は
アルバイト先の会社で就職試験を受けました。
そしてサラリーマン生活が始まりました。
自分のやりたい事を比較的自由にできる会社でした。
サラリーマンになった事で仕事の幅が大きく広がりました。
色々と経験ができてありがたかったです。
■矛盾している生活
会社の仕事もなんとか板についてきたころ、
なぜか自分の気持ちにしっくりこない事が多くなりました。
・今の仕事は素晴らしいが、それだけで良いのか?
・自分は本当にやりたいことやっているのか?
・このまま人生終わって良いのか?
母の死から今まで「安定・安心・安全」を求め生きてきました。
しかしそれだけで良いのかと考えるようになりました。
そんな事を考えていると現在の生活が本当に良いのかどうか
分からなくなってきました。
深く悩む日々が続きました。
~続く~
メッセージ
画像一覧
ピグ
アメンバー
アメンバーになると、
アメンバー記事が読めるようになります
アメンバー申請