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はじめまして!国立大学卒業後、研究者への道に憧れ、国立大学の大学院に進学しました。大学院の在学中に、韓国の大学に語学研修に行き、なんとか論文を書いて修士課程を修了しました。就活イベントなどに参加しましたが、周りとの温度差、情熱の差に違和感を感じました。学生時代に患った病気の治療のため、次の段階の博士課程をやりきるほどの、体力はありませんでした。社会に出て、特にやりたい目的や目標も見い出せずにいたため、私はそのまま大学に残って、治療に専念することを決断しました。大学の授業に少し出席しつつ、治療と家庭教師のバイトを繰り返す日々でした。家庭教師歴が7年目にもなると、合格実績もバンバン出て、弁護士の相談料なみのお給料を頂けるようになっていました。今のパートナーとは、大学院の心理学の講義で知り合いました。それから、半年後、彼は東京に就職し、遠距離恋愛を得て、約1年後、関東で一緒に住むことになりました。私は、関東でも、プロ家庭教師、スポーツジムと楽しく、生活をしてました。短時間労働で、それなりのお給料をもらえていましたが、なにかものたりなさを感じ、自分にしかできない仕事を模索していました。そんなとき、ウェディングプランナーの営業の求人を見つけ、応募しました。未経験もOKな企業で、いちから勉強させてくれました。週1・2回の非常勤勤務で、ウェディングプランナーの仕事につけるなんて、嬉しくて、嬉しくて、最高の仕事だと思いました。お給料は、家庭教師と比べると、かなり少なめでしたが、とりあえずやってみたい情熱だけで、前に進みました。実際に、やってみると、天職で、給料をもらうのが、申し訳ないくらい最高の仕事で、お客様の笑顔が、ほんとうに最高でした。なので、結果を出して、家庭教師なみに時給をあげてやるぞ!という意気込みで、真剣に楽しく働きました。その情熱のおかげで、営業成績が非常勤職員の中で、月間・年間も1位になりました。正社員への話もありましたので、面談で、昇給の話があるかと思いましたが、、、こちらから、昇給を話題にしてみましたが、たとえ昇給したとしても、ほんとうに微々たるものというお話でした。あまりにも、家庭教師の給料が、うなぎ上りにあがっていっていたので、そこで、一気に目が覚めました。結果を出しても、甘くないと感じました。天職と感じる仕事でしたが、現実に引き戻された感じでした。生きていくには、健康で、それなりのお金が必要でした。勤務の日は、朝ごはんを食べたあとは、夜8時ごろまでご飯が食べれなかったり、接客業のためトイレも限界まで我慢することが多くありました。中には、膀胱炎になる人も、いました。また残業は、何時までと決まっていなかったため、仕事が終わるまで帰れませんでした。お昼ご飯も食堂への移動のため、10分でかきこむように食べていました。正直、華やかな世界でしたが、激務でした。なので、体を壊して、転職する人も結構いました。それからも、契約期間終了までは働きましたが、労働とは何だろうか、仕事とは何だろうか、健康とは何かと考え続けました。そして、ウェディングプランナーの仕事を終えるとともに、大学1年生から続けてきた家庭教師の仕事も色々思うところがあり、やめました。そして、上京してから始めていた投資を本格的に勉強しようと思い、パートナーと不動産の勉強を始めました。無事に物件も取得でき、家賃収入をいただいています。私の日々の生活の中で新たに気づいたことや経験をお伝えしています。その気づきや価値観が、読者であるあなたの未来の行動の変化のきっかけになることを願っています。
テーマ: ブログ
30代〜カップル・夫婦
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