心に寄り添う書道家 嶺野景風

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彩りあふれる人生を

私は、北海道厚真町で生まれました。

小学校低学年の担任の先生に「字が上手だね。」と言われたのがきっかけで小学校2年生の時に町の書道教室に通い始めました。

書くうちに字が上手になっていく嬉しさで、どんどん書道にのめり込んでいきました。

そして、中学校までは厚真町で川崎和子先生、土屋明峰先生に、高校生になってからは、苫小牧の高校に進学したのをきっかけに、河原啓雲先生のもとで書道を習い始めました。

その頃から、いずれは書道の先生になって、教えることができたら楽しいだろうなと考えるようになりました。

一方で小学校の教師という夢も抱くようになり、その後、短大、北海道教育大学岩見沢校へと進学し、小学校教諭となる夢も抱きながら、書の勉強も続けていました。

大学を卒業してからは、小学校教諭として、札幌市の小学校で勤務しました。

小学校教諭として、子どもと触れ合える授業は、とても楽しい時間でした。

その授業の中でも、一番指導していて楽しかったのが、書写の授業でした。

子どもたちが、書くうちに自分の文字の変化を感じ上手になることに喜んでいるのを見て、書を指導する楽しさを得ることができました。

また、私は小学校教諭をしながら、様々な「悩み」を抱えている子が多いということを年々感じるようになりました。

集中したいけれど気が散ってしまい学習が思うように進まない子。

自分の思いをコントロールできずに怒りの思いが爆発してしまう子。

学校に行くことが思うようにできなくなり家に閉じこもってしまう子。

自分を傷つけることで心を安定させる子。

その子の「悩み」はそれぞれで、一人一人がとても困っていることを接する中で感じました。

それは、もって生まれた特質だったり、外的な環境だったりするのですが、多くの子は自分を責め、自信を無くしていました。

そんな「悩み」を持っている子と関わる中で、少しでも楽になり楽しそうに学校で過ごすことを見ることができるようになったとき、自分のことのように嬉しい思いでいっぱいになりました。

一方で、小学校の間でクリアしたように感じた「悩み」も、進学するとまた元に戻ることもあり、継続的なサポートの大切さを感じることもありました。


たくさんの子どもたちと接しながら小学校教員を続けていた私ですが、2017年頃から、心に負担がかかり、心療内科にかかるようになりました。

幸い、周りの温かい同僚に囲まれ、助けてもらうことができたので、通院も短期で終わることができ、仕事を続けることはできました。

しかし、年々増えていく教師という仕事の責任の重さ、仕事の煩雑さに難しさを感じ、心身共に疲れ果てていました。

子どもと関わることが好きで始めた小学校教員という仕事も、仕事が多くなればなるほど子どもと関わることは減り、楽しさを見出せなくなってしまいました。

そんな中2018年9月に、北海道厚真町を震源として襲った北海道東胆振大震災が起きます。

厚真町は地元であったので、とても心配しましたが実家は幸い全壊は免れ、そこまで大きな被害はありませんでした。

しかし、多くの命が失われた状況を目の当たりにしました。

実家は農業をしているのでできるだけ実家に戻り農業の手伝いをしていく中で、大変な中ではあったものの、そこで生きる人たちのたくましさを強く感じる自分がいました。

平日は小学校教員として働き、休日は実家にできるだけ戻り農業の手伝いをしていた中、11月にまた私自身の心の問題が起こり、小学校教員を休ませざるを得なくなりました。

休んでいる間に、自分の人生を振り返り、小学校教員をこのまま続けるべきなんだろうかと悩んでいた中、ふともう一度書道を習いたいな、という思いが出てきました。

そんな中、12月に突然訪れた訃報。

高校から大学まで習っていた書道の先生である河原啓雲先生が亡くなったのです。

まだ、58歳の若さでした。

私は、あれだけお世話になった方だったのに、書道を続けられていない後ろめたさで年賀状はかろうじてしてはいたものの、連絡を取れずにいました。

書道を始めたくなったからまた連絡をとって習いたいという私のずるい思いが、こんな結果になってしまったのかと自分を責めました。

何よりも、会いたい時に会いに行かなかった自分を責めました。

悔いても悔やみきれないこの思い。

命の尊さ。そして、儚さ。


私は、「自分の命はいつ尽きるかわからない。だったら、ずっとやりたいと思っていた書道教室を始めよう。」と決心しました。

私はお休みをしている間に書道教室を開くための準備をし、2019年3月に16年間の小学校教員を退職しました。

仕事を辞めてからは、ふるさとの厚真町に戻り、厚真町の子どもたちに、自分がしてもらったように書道を教えることを通して、恩返しがしたいという思いから2019年7月に書道教室を開講させました。

2020年6月からは、全国の子どもたちや大人に、書道を通して自信を持って欲しい、心を育てて欲しい思いからオンライン書道教室を運営しています。

2020年8月からは名前や言葉に込められた想いをomoigakiという書作品にし、期間限定で販売しています。

2021年7月からはカラーメンタリストとして、色を中立として自分を知ること、人とのコミュニケーションの取り方を提供しています。

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